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石井一久GMの凄さが分かる名言・語録集!天才左腕の伝説エピソードから人生哲学まで


プロ野球の世界にもちょっと風変わりなキャラクターの人がいます。例えば打撃の天才だと言うオールドファンもいる榎本喜八は、一塁の守備についている時、ランナーが出塁すると真剣に「お前、明日死ぬぞ」と呟いてきたそうです。「ナイターより『元気が出るテレビ』を見たい」と野球よりビートたけしを選んだ発言をしたのは石井一久です。

日米通算で182勝を上げた石井ですが、名将野村克也はもっと努力をしていれば、歴史に残るすごい選手になれたと絶賛する才能の持ち主でした。しかし常にマイペースを貫き、野球よりもサッカーが好き、やらされてなんとなくうまくなり、友だちを作るためにFA宣言し、引退も「マンネリ」に飽きたからで、引退試合にはセグウェイに乗ってグラウンドを一周するという、どこまでが本音が冗談かわからない、人を食った言動で知られています。

引退後もお笑いで有名な吉本興業の契約社員になるなど話題となりましたが、2018年に東北楽天ゴールデンイーグルスのGMに就任すると、FAでチームの主軸となる浅村栄斗を獲得する手腕を見せました。

今回は天才左腕であり、何かとお騒がせな石井一久の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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石井一久について

まずは石井一久の経歴を追ってみます。

1973年9月9日生まれ、千葉県千葉市出身。東京学館浦安高校では甲子園出場はならなかったものの、予選で奪三振の山を築いて注目され、1991年のドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。ルーキーイヤーには未勝利ながら日本シリーズで先発するなど、将来のエースとして期待されました。

1993年に初勝利をあげると、95年には13勝を記録し、チームのリーグ制覇と日本一に貢献します。98年から4年連続で開幕投手となり、エースとして活躍しますが、2001年オフにポスティング制度を使い、メジャーリーグのロサンジェルス・ドジャースに移籍します。

メジャーでも初年度から二桁勝利をあげますが、打球を頭部に受けて、少しずれていれば命にかかわるほどの、亀裂骨折を負います。2003年には日米通算で100勝を記録。2005年にトレードでニューヨークメッツに移籍するものの不調でマイナー降格も経験します。

2006年、スワローズに復帰し、期待通り二桁勝利をあげ、翌年にはプロ野球最速投球回での1500奪三振を記録。オフにはFA宣言し、埼玉西武ライオンズに移籍します。安定して二桁に近い勝星を上げ続けるものの、故障もあり2013年限りで引退。

日本プロ野球通算18年間で143勝、防御率3.63。最優秀防御率1回、最多奪三振2回。メジャーリーグ通算4年間で39勝、防御率4.44

引退後は吉本興業の契約社員となり、野球解説も行っていましたが、2018年に東北楽天ゴールデンイーグルスのGMに就任しました。

 

私が選ぶ、石井一久の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「それなりにやらされるんで。やらされたら上手くなっちゃわないですか?」

喘息持ちだったため、父親に野球でもやったらと勧められたものの、野球よりサッカーが好きになり、野球は止めようと思っていたそうですが、たまたま打ったホームランがきっかけで高校から誘いが来て、何となく野球をやらされていたら上手くなってしまい、あれよあれよという間にプロ野球選手になっていたという石井。

 

「プロに入って、あんまり大したことないなと思ったんです。それなりに努力すれば、まあまあ上まで行けんじゃないかって」

好きな事と生まれ持った才能が、必ずしも一致するとは限りません。プロ野球選手を目指して夢破れた人たちが聞いたら、ため息をつきたくなるような話だと思いますが、天才とはそういうものなのでしょう。

ルーキーイヤーのオープン戦に登板した時には、150キロ近い速球を出したことについて「スピードガンが壊れているんじゃないですか」と話し、首位打者もとった高沢秀昭に本塁打を打たれたことについても「ホームラン?誰に打たれたんだっけ?」と、首を傾げる大物ぶりを見せつけました。

またヤクルトからFA宣言した時は「友だちって大事じゃないですか。ヤクルトってところに在籍していたわけですけど、ヤクルトにしか友だちがいないわけじゃないですか?他の球団行ったらもっと出来るじゃないですか」と答えています。

どこまでが照れ隠しの冗談で、どこまでが本心なのかわかりませんが、天才ならではの独特の感性が感じられます。

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【名言・語録その2】

「妥協しようと思ったら、いくらでも妥協できる環境ですよ。だから自分で考えて頑張らないといけない。落ちるのも自分、上がるのも自分。要は自分次第ということで」

メジャー挑戦の一年目のキャンプから、調整は自身に任され、上記の言葉を残しています。天才肌で独特の物言いをする石井ですが、なんだかんだ言っても、やるべきことはしっかりやるという部分が感じられます。

メジャーではオープン戦の結果が悪く、メディアにGMが叩かれていたことから、シーズンに入り勝ち星を上げた時には「ダニー(GMのダニー・エバンス)のためにも勝たなきゃなと思って、本当に勝ちましたよ」と語っています。またライオンズ時代に古巣ヤクルトに勝てば全球団勝利という時には、9回に続投するかを聞かれ、志願して完投しました。自著の中には「オトコ気はいらない」などと書いてはいますが、立派な男気に感じます。

石井はイチローが引退したことを聞かれた時「僕の知ったことじゃないので」と笑いながらも、イチローの今後について「想像がつくことはして欲しくない。人のやったことのないことを常にやってきた選手だったので、同級生として、人生を通してそういう存在であって欲しいなあと思います」と話しています。

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そこには石井自身の中にも「想像のつくことはしたくない」というような思いがあるように感じます。

 

【名言・語録その3】

「他の球団でプレーすることは、将来必ず、君のためになる」

GMとしてFAで獲得した浅村栄斗にかけた言葉です。選手として4球団でプレーし、ポスティングとFAという、選手に許される権利をいずれも行使した経験を持つ石井だけに、経験が自分を変えるというのを自覚しているからこその言葉でしょう。

 

「野球がこんなに危険なスポーツだって、知りませんでした」

2002年9月8日、ドジャース対アストロズ戦で頭部に打球をうけ、頭蓋骨亀裂骨折した石井。医師には1ミリずれていたら死んでいただろうと言われたそうです。

 

「あのアクシデントがあってから人生観が変わりました。もう些細なことは気にならなくなったんです。昔は結構イライラしてたんですけど、最近は『死なないから別にいいじゃん』って思いますもんね」

監督やコーチなど指導者経験のない石井。イーグルスのGMとして、浅村の獲得という大成果は残したものの、監督初年度でAクラス入りを果たした平石洋介監督の解任。

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そして東日本大震災以来、復興の象徴としての役目を持つイーグルスの顔だった嶋基宏の自由契約。スワローズとライオンズ色の強い首脳陣の配置。地域色を考慮しない選手獲得など、さまざまな批判の声も強い中、どんなチームを作り上げるのか注目です。


ゆるキャラのすすめ。 [ 石井一久 ]

 

 

名言からの学び

・天才の感性は枠にはまらない。

・他人に向ける言葉は、自分に対する言葉でもある。

・大きな経験は人生観を変える。

 

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