清原和博の凄さがわかる名言・語録集!天才ホームランバッターの伝説エピソードから人生哲学まで
高校球児の誰もが夢見る甲子園。その甲子園に5回も出場し、2度の優勝と準優勝という結果を残し、歴代最強とも称されるチームの4番打者として、甲子園通算13本のホームランを記録。そして甲子園のスターであっても、プロ野球で活躍できるとは限らない中、プロ1年目から3割、30本塁打を放ち、通算500本ものホームランを打った天才が清原和博です。
KKコンビこと同級生だった桑田真澄を巻き込み、世間を騒然とさせた運命のドラフトを経て、やがて「番長」と呼ばれる強打者として活躍し、多くの名勝負を生みだした清原。時に宿敵を破って涙し、時に死球を巡って乱闘するなど、記憶に残る様々な野球のドラマを見せてくれました。
甲子園が生んだスーパースターも、2016年に薬物所持で逮捕され、栄光から一転、多くの野球ファンを裏切る結果となってしまいました。
それでも色あせない、強烈なインパクトを残した天才ホームランバッター清原。今回はその清原和博の凄さがわかる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学まで迫ります。
清原和博について
まずは清原和博の経歴を追ってみます。
1967年8月18日生まれ、大阪府岸和田市出身。リトルリーグ時代からすでに注目され、各高校の勧誘合戦の結果、PL学園高校に入学。1年生からレギュラーとなり、1年生の夏から5季連続で甲子園大会に出場。
同級生の桑田真澄と共にKKコンビとして全国的に注目され、多くの高校野球ファンが史上最強のチームに推す、2度の優勝と準優勝という結果を残します。清原自身も甲子園大会史上1位となる通算13本のホームランを放ち、ドラフトの目玉となります。
ドラフト会議では清原が入団を熱望していた読売ジャイアンツが、大学進学を表明していた桑田真澄を1位指名。清原は6球団競合の末に西武ライオンズが1位指名。
ジャイアンツが指名しなかった上に桑田を指名したこと、これを受けて大学進学だった筈の桑田が一転してジャイアンツ入団を決めたことなどから、桑田とジャイアンツの密約疑惑が生まれ、指名されずに涙を流した清原に同情が集まり、大きな騒動となりました。
しかしライオンズに入団した清原は、1年目から大活躍し、打率.304、本塁打31本、78打点で新人王に輝きます。いずれも高校卒新人の歴代最高記録でした。
2年目には日本シリーズで因縁のジャイアンツと対戦。第6戦で先制弾を放ち、日本一となる寸前に1塁守備上で涙を流したシーンは、多くの野球ファンの記憶に残っています。
以降も秋山幸二と共に主軸に座り、AK砲と怖れられ、東尾修、工藤公康、渡辺久信、辻発彦、石毛宏典、伊東勤らと西武黄金時代を作り上げます。清原が在籍した10年間でパリーグ5連覇を含む、8度のリーグ優勝、6度の日本一に輝きます。
1996年オフにFAで、念願のジャイアンツに入団。4番にも座り、32本塁打で95打点をあげましたが、打率が.249と振るわず、厳しい批判を受けます。その後は度重なるケガに悩まされますが、2004年には通算2000本安打を達成。2005年には通算500本塁打を達成します。
2005年オフに戦力外通告を受けますが、仰木彬に誘われてオリックスバファローズに入団。しかし古傷が回復せず、2008年シーズンで引退。
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通算22年の現役生活で、2122安打、本塁打525本、1530打点、打率.272。新人王、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞5回。大きなタイトルには無縁でしたが、サヨナラ本塁打12本とサヨナラ安打20本は史上1位であり、入団から21年連続二桁本塁打も史上1位です。また196死球も史上1位の記録です。
引退後は解説者やタレント活動をしていましたが、2016年に薬物所持で逮捕され有罪。現在は薬物依存のリハビリをしながら、薬物使用の危険について啓蒙活動も行っています。
私が選ぶ、清原和博の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「遅かれ早かれストライクは投げなくちゃならない。それを打てばいいんだから」
甲子園のスターとして、プロ1年目から大活躍した清原ですが、2年目を迎えるにあたり、警戒されて投手がストライクを投げてこなくなるのでは、との問いに対して、こう答えました。
プロに入り、山田久志や村田兆治など、すでに球界のレジェンドだった投手たちとの対決は、若きスター清原にとって刺激的だったようです。
「山田さん、兆治さんのときには速い球しか待っていませんでした。もっと変化球を投げてくれればいいのに、頑なにまっすぐしか投げてこない。そういう勝負が楽しくてしょうがなかったんです」
山田は速球が打たれはじめるようになり、ようやく決め球のシンカーを投げるようになり、それを清原にホームランされた時、引退が頭によぎったそうです。
当時のパリーグはまだ観客も少なかった頃ですが、実に個性的な選手が多く、やんちゃな清原が伸び伸びと野球をやるには、いい環境だったろうと思います。
ただそういった一対一の勝負へのこだわりが、タイトルを取る貪欲さには結びつかなかったともいえそうですし、後年、勝負よりも勝ちを優先した阪神タイガースの藤川球児の投球に、罵声を浴びせる事件にも結び付くのでしょう。
【名言・語録その2】
「まだまだ8000万の投手やなと思ったわ」
野茂英雄との初対戦の後に言った言葉です。その後も「きょうは7000万円の野茂やったね」など、マスコミに対してわかりやすくも、強いプライドを感じさせる言葉を残しています。
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「二軍っていうのは、僕、プロ野球だと思ってませんから」
オリックス時代に2軍で調整中にはそう言ってはばからず、洗濯物も二軍の選手と一緒にされたくないと、自分で持ち帰っていたという強烈な自負心は、自分はこんなものではないと自身を鼓舞する一面もあったようです。
またグラウンドでは死球を巡り、平沼定晴や藪恵一、山口和男らと乱闘やにらみ合いなど、多くの武勇伝を残し、プロ入りの頃はドラフトの一件で可哀想と応援されていたのが、次第にヒール役へと変化していきました。
初めて甲子園に出場した時は、極度の緊張から神経性の下痢に悩まされたそうで、「俺はみんなが思っているほど強くない」とこぼし、「俺はガラスや。何か言われるたびにパリッ、パリッでヒビが入る。脆いガラス」と自ら語るほどの繊細さを、きっと筋肉の鎧をまとい、強い態度をとることで隠し続けていたのでしょう。
【名言・語録その3】
「いま思えば、野球での苦しみなんか、たいしたことなくて、どんな状況でも野球をやっていることが幸せだった」
薬物事件後に語った言葉です。留置場では「114番」と呼ばれる暮らしに「自分の人生を振り返って、どこからおかしくなったのかとか、狂い始めたんだろうとか、苦しかったですね」とも話しています。
ドラフトで自分ではなく、桑田がジャイアンツの1位指名を受け、「巨人は裏切った。ましてやや桑田を1位にした」と恨み、母親に「あんたが勝手に惚れて勝手に振られたんやろ」と叱責されたそうですが、清原の原点はやはりそこにあるように思います。
事件後のインタビューでも何だかんだ言っても、そのわだかまりが残っていると感じてしまいます。
桑田によれば、密約などなかったそうですが、どうあれジャイアンツの選択は桑田だったという事実を、どこか消化しきれなかったのかもしれません。
球界レジェンドの江夏豊も薬物使用での逮捕歴がありますが、その後の更生により、解説者や臨時コーチなどで野球界に復帰しています。
大魔神といわれた佐々木主浩は、清原にいち早く手を差し伸べ、裁判では情状酌量の証人として出廷しましたし、ダルビッシュ有もSNSで「周りが何を言おうが、僕は何でもサポートします」と発信しています。
ドラフトで泣いた弱い清原に戻って、素直にいろいろな人の手を借りながら更生し、いずれ野球界に戻って欲しいものです。
そのための苦労もまた、野球での苦しみだと思えば、きっと耐えられるのではないかと思います。
まとめ
・一対一の勝負がドラマを生む。
・プライドには守るべきプライドと、捨てるべきプライドがある。
・失ったものの重さは、失ってから知る。
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