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ランディ・バースの凄さが分かる名言・語録集!最強助っ人外人「三冠王」の伝説エピソードから人生哲学まで


プロ野球ファンにとって尽きない話題のひとつが、最強の助っ人外国人選手は誰なのかという話題です。古くはスタルヒンやスペンサー、メジャーでも活躍したクロマティ、ホーナー、フィルダー、また記録の面からローズやラミレス、最近ならばバレンティンまで、時代や評価方法、贔屓チームによっても候補者は様々だと思います。しかしその最右翼はランディ・バースで間違いないでしょう。

日本で活躍した6年間で2度の三冠王を獲得し、歴代1位となるシーズン.389の打率、7試合連続本塁打など、多くの記録を残すと共に、1985年には掛布雅之や岡田彰布とのバックスクリーン3連発、二リーグになって初めての阪神タイガース日本一に貢献するなど、記憶にも残る活躍をしました。

野球好きで知られる中居正広の司会で放送されたテレビ特別番組で、野球好きによる投票で最強助っ人外人の一位に選ばれたのはバースでした。

今回は来日からおよそ30年たっても、いまだに最強と呼ばれる助っ人外人ランディ・バースの凄さが分かる名言や語録を紐解き、最強助っ人外人「三冠王」の伝説エピソードから人生哲学までに迫ります。

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ランディ・バースについて

まずはランディ・バースの経歴を追ってみます。

1954年3月13日生まれ、アメリカのオクラホマ州出身。その長打力のある打撃が評価され、プロ入り後はミネソタ・ツインズを皮切りに、メジャー5球団を渡り歩きますが、守備力や走塁に難があり、メジャーでは通算9本塁打に終わります。

1982年のオフに阪神タイガースと阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の争奪戦の結果、タイガースに入団

1983年、25試合連続安打や本塁打35本を記録するものの、何かと口うるさいタイガースファンが物足りないと批判。しかし球団はバースの残留を決めます。翌年も打率.326で本塁打27本と好成績を残しますが、やはり解雇の声が上がり、新たに監督に就任するタイガースのレジェンド「牛若丸」こと吉田義男が強く希望し残留しました。

1985年には見事に三冠王を獲得し、タイガースの日本一に貢献。当時の日本記録だったシーズン55本塁打にあと一本にまで迫り、一躍全国区のスター選手に躍り出ます。更に1986年にはシーズン打率.389の日本記録と共に、二年連続三冠王に輝きました。

翌年も好成績を残しますが、1988年になり息子の水頭症が判明。シーズン途中ながらも息子の治療のために退団し、帰国します。

帰国後は野球を引退。農場経営をしながら、市議や上院議員も務めました。

 

私が選ぶ、ランディ・バースの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「チームメイトにいい打者がいなければ、なかなか自由には打たせてもらえない」

バースが在籍していた当時のタイガースは打力のチームで、後々まで野球史に名前が残る選手が何人もいました。バース曰く「打席に入る時はいつも真弓が塁に出ているし、後ろには掛布、岡田がいた。だからほとんど敬遠されなかった」と言っています。

いかに強打者でも前後を打つ選手によっては、簡単に敬遠されてしまい、なかなか成績は残せません。

 

「三番でカキ(掛布雅之)の前を討つのが好きだったんだ。だってラクだからね。後ろからカキやオカダさん(岡田彰布)も出てくるんだし」

今だに伝説として語られる1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発は、まれにみる強打者が集まっていたことと、そしてバースの連続三冠王やチームの日本一は、彼らの前に塁を埋めてくれる好打者が揃っていたから可能だったのでしょう。

積極的に将棋を覚えて、チームメイトと打つなどのコミュニケーション力や、チームメイトをリスペクトする気持ちは、外国人選手が日本で活躍するためには何が必要なのかを教えてくれます

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【名言語録その2】

「やっぱり頭を使うことだよ」

バースは「ほとんどの主力投手の持ち球と球筋、配球を覚えていた」そうで、対戦の前はそれを頭の中でちゃんと整理し、結果を出していました。

外国人選手がよく口にする日本のストライクゾーンの広さについても、「外角のストライクゾーンが広いというのは確かにあった」と言いますが、こう続けています。

 

「ただひとつ言えるのは、そういう差別はあるかもしれないけど、これは日本だけのことじゃないってことだよ。実はMLBにもそういう差別はあるんだ。メジャーでも一年目の選手のストライクゾーンは広いけど、だんだん実績を積んでスタープレーヤーになっていけば、ソーンは狭くなっていく」

予断を持たず、外国人差別があると意識しすぎなかったことが、バースの成功につながっているのでしょう。

ただ王貞治が持っていたシーズン55本の本塁打記録に迫った時は「54本まではこぎつけるかもしれない。だけど、それっきり打てるような球はこなくなるだろうね」と語っています。結局その呪縛はタフィ・ローズがタイ記録を作った時にも、バレンティンが記録を更新した時も話題となりました。

バースは外国で活躍する選手の難しさも教えてくれたといえます。それは退団のきっかけとなった息子の病気に関してもそうでした。

 

【名言語録その3】

「家族が私を必要としているから帰る」

タイガース在籍中にバースの息子ザックは水頭症を発症します。しかしタイガースは外国人選手の場合、通常は契約に含まれる家族への保険をかけておらず、多額の医療費負担を嫌がった球団側が解雇。息子の治療のために最強助っ人は帰国します。

まだ日本人の多くは家族の事情を仕事には持ち込まない時代でもあり、事情を理解できない人にバース自身も非難される事もありましたが、彼はその後も日本を愛してくれています。

 

「アメリカではずっとリザーブの選手だったけど、日本に来て中心選手になれた。特に85年にバッターとして大成功したことで、チームにとってなくてはならない選手になれた。今まではいてもてなくてもいい選手だったけど、ここに居場所を見つけたという気持ちになれたのが、あの優勝のおかげだったんだ。本当に私を必要としてくれるチームに出会えた。優勝の瞬間にそう実感したことを、今でも鮮明に覚えているよ」

1985年のタイガース優勝時には、ファンがバースに似ているとしてケンタッキー・フライド・チキンのカーネルサンダース人形を胴上げし、道頓堀に落としたという有名な事件がありましたが、タイガースはそれ以来、日本一とは縁がありません。

バースのような稀有な助っ人がまた甲子園にやってくるまで、待つしかないのでしょうか。

 

名言からの学び

・どれだけ優れた者でも、チームに恵まれないと力は発揮できない。

・環境が違うと言い訳せずに、頭を働かせた者が成功を勝ち取る。

・失ったものの大きさは後になって気付く。

 

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