中畑清監督の凄さが分かる名言・語録集!かっこいいエピソードから人生哲学にも迫る!
どんな時も「絶好調」という言葉と、その明るいキャラクターや派手なパフォーマンスからファンに愛された「絶好調男」こと中畑清。
読売ジャイアンツは「球界の紳士たれ」との遺訓もあってか、選手はどちらかというと、大人しく優等生であることを求められます。そんな中、中畑はムードメイカーとして、率先してチームを盛り上げる、どこかジャイアンツらしくないキャラクターでした。
現役引退後は、アテネオリンピックで病に倒れた長嶋茂雄の代わりに采配をとり、2011年オフに誕生した横浜DeNAベイスターズの初代監督として、弱小球団を盛り上げる手腕を発揮しました。
今回はそんな「絶好調男」中畑清監督の凄さが分かる名言や語録、かっこいいエピソードから人生哲学にも迫ります。
中畑清について
まずは中畑清の経歴を追ってみます。
1954年1月6日生まれ、福島県西白河郡出身。安積商業高校から駒澤大学へ進学。東都リーグで活躍し、1975年のドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。
3年目の1978年に開催された日米野球でブレイクし、その翌年から一軍入りし、ハッスルプレーで注目をあびるようになりました。その後、怪我がきっかけでサードからファーストにコンバートされ、レギュラーに定着。
3割近いアベレージとパンチ力のあるバッティングで主軸打者として活躍。通算13年間で1294安打、本塁打171本、打率.290を記録。また7年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、一塁守備の名手としても名を残しました。
引退後は主に解説者や古巣ジャイアンツの打撃コーチを務め、2004年のアテネオリンピックでは長嶋監督の指揮下、ヘッドコーチ兼打撃コーチに就任しますが、長嶋が体調を崩したため、指揮官として銅メダルを獲得。
2012年からは横浜DeNAベイスターズの初代監督として、5位2回、6位2回と結果は残せませんでしたが、筒香や宮崎など多くの戦力を育て上げ、徹底したファンサービスで観客動員数を増やすなど、チームの基礎を作り上げました。
私が選ぶ、中畑清監督の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「ひとつのチームや一人の監督のやり方で固定されては面白くないだろう。12球団あるんだから、それぞれの個性を出して戦えばいいんだよ」
横浜DeNAベイスターズは、かつて大洋ホエールズだった時代から、残念ながら万年最下位候補のチームでした。特に中畑が采配をとる前は6年連続Bクラス。それが中畑退任後、2年連続でAクラス入りしたのは、積極的な走塁や守備力強化など、中畑が撒いた種が花開いたことも要因のひとつでしょう。
中畑の采配は守備力と機動力を重視するものでしたが、もしかしたら、かつて1987年の日本シリーズで中畑自身も選手として対戦し、スピードと守備力の差を見せつけられた西武ライオンズのイメージが頭にあったのかもしれません。またバントが多いのは古巣ジャイアンツの影響だろうと思われます。
中畑が退任するシーズンは、序盤で首位になるなどセリーグを大いに盛り上げる結果を残し、退任を惜しまれましたが、「監督という仕事は責任を取ることしかない。勝てば選手、負ければ監督。それでいい」とユニフォームを脱いだのは、男気溢れてかっこいいと思います。
【名言語録その2】
「プロは見られてナンボの世界」
見られることで力を発揮するようにならなければ、プロとはいえないし、プロは自分自身が商品でもあるので、多く見られるようにならないといけません。
「人に見られること、注目を集めることがどれだけ大事かってこと」
その言葉には、まだ一軍に定着する前、日米野球でメジャーでは有名な監督であるスパーキー・アンダーソンの目に止まり、レギュラー獲得のきっかけとなった経験や、ミスタージャイアンツ長嶋のポジションだったサードを誰が守るかということで注目され、切磋琢磨した経験が背景にあるのでしょう。
何かと長嶋とのエピソードが多い中畑ですが、長嶋監督時代にノックでしごかれて、好きなカレーを全部吐いたとか、スランプの時は風呂場で素っ裸の長嶋に熱心に指導を受けたなど、いくつも有名な話があります。アテネオリンピックでは、病身の長嶋に代わって指揮をとった中畑ですが、彼の中にはいつも長嶋というスターの姿があり、それがひとつの手本になっていたのだろうと思います。
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【名言語録その3】
「ミスをしたっていいんだよ。積極的なミスはいくらでも許す」
弱小球団では、常に新しい戦力を見つけ、育てなければいけません。そのためには厳しさと寛容さが必要です。では普通のミスと積極的なミスの違いは何か?
「このチームは妥協点が低い。勝負の中で勝ちたいという意識が薄いと感じる。それぞれに力はあってもそれをひとつの目的意識の中に結束させられない。力が分散していると、個々が頑張っても弱い鉄砲のまま」
つまり低いレベルで妥協したミスは駄目で、妥協せずに高い意識をもった上でのミスは構わないということなのでしょう。
確かに勉強でも仕事でも妥協点が低いと、赤点は免れることはできても高得点は望めませんし、指示待ちばかりではやりたい仕事もできません。
中畑は1989年、近鉄バファローズ(現オリックスバファローズ)との日本シリーズの際、すでに引退を表明していました。ジャイアンツは3連敗から巻き返して3連勝し、最終第7戦。中畑は代打で登場し、試合の流れを決定づけるホームランを放ちます。それによりジャイアンツは大逆転による日本一に輝きます。
時に奇跡のような結果も、引退間際まで妥協しない高い意識が生み出すものなのではないでしょうか。
名言からの学び
・指揮官は方向性を打ち出し、後はその責任をとる覚悟が必要である。
・プロは注目され、見られることで成長する。
・高い意識を持って、挑むならば、ミスはただの失敗ではない。
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