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三浦大輔の凄さが分かる名言・語録集!球界レジェンドの伝説エピソードや練習方法にも迫る!


ホエールズ、ベイスターズと、横浜一筋で25年。抜群の制球力で組み立てる巧みな投球術で通算172勝を挙げ、同じく独特のヘアースタイル(リーゼント)とダンディーな佇まいで“ハマの番長”のニックネームでも親しまれた三浦大輔氏。

常に男気に満ちあふれるパフォーマンスは、球団の垣根を越えて多くの野球ファンの共感を呼び、記録にも記憶にも深く刻まれる超一流の野球人として名を残しました。

ちなみに、現役を引退した2016年には「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録(一軍公式戦24年連続安打で通算122安打目)も樹立。本職以外でもワールドワイドに名を馳せた、まさにレジェンド中のレジェンドの一人といえるでしょう。

今回は、そんな三浦大輔氏が発信してきた数多くの名言の中から3つを厳選して紹介。球界レジェンドの伝説エピソードや練習方法にもアプローチしてみたいと思います。

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三浦大輔氏について

それでは、まず、三浦氏の経歴についておさらいします。

1973年(昭和48年)12月15日生まれ、奈良県橿原市出身。高田商業高校から1991年ドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団しました。

1995年から頭角を現し、先発ローテーションの一角に定着。2年後の1997年に自身初の二桁勝利を達成し、セ・リーグを代表するスターターの一人に成長。エースナンバーの「18」を背負うことになった1998年には自己最多の12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献しました。

その後も、エース格として息の長い活躍を続けた三浦氏。平均球速139km、最速148kmのストレート、そしてカットボール、スライダー、フォーク、スローカーブ、シュートなど多彩かつ精度の高い変化球を操る技巧派・頭脳派投手として着実にキャリアを積み重ねました。

右肘の手術や、独自の2段モーションを禁止されたことによるピッチングフォームの変更など、長い現役生活の中では苦心する時期もありましたが、それらの逆境もタフな精神力で跳ね返し、誰もが認める横浜の中心選手、横浜の顔として君臨。

また、最高勝率(1997年)、最優秀防御率(2005年)、最多奪三振(2005年)のタイトルも、三浦氏の輝かしい球歴に彩りを添えています

 

特選!私が選ぶ「三浦大輔氏の三大名言」

「違う球団ならもっと勝てたとかはないです。俺は横浜の三浦大輔だから」

横浜ファンの皆さんにとっては、これほどシビれる名言はないでしょう。また、横浜ファンでなくても、感銘を受ける殊玉のフレーズだと思います。

主力選手がFA権を取得すると、その後の動向に注目が集まるのが常ですし、他球団に移籍するではないかという心配が生まれるものですが、三浦氏は横浜一筋で現役生活を全う。だからこそ、レジェンドとして敬意を受けることになったのは想像に難くありません。

確かに常勝球団であれば、現役通算勝利の数も変わったと思いますが、自身を「横浜の三浦大輔」と位置づけ、愛着の深い球団に骨を埋めると決めて努力鍛錬を続けてきたのは素晴らしいの一言。潔い男気が色濃く見て取れますね。

「三浦大輔の原点は何かと考えたら、強いチームを倒して勝つこと。強いチームに勝って優勝したい」

前述の名言とリンクする部分がありますが、ここで触れている「原点」こそに、三浦氏の現役生活の全てが凝縮されているといっていいでしょう。

実際、FA権を獲得したときには阪神タイガースから熱烈なラブコールがあったそうです。阪神といえば、関西出身の三浦氏にとっては身近な球団。幼少の頃は熱心な阪神ファンだったと聞きますし、移籍に向けて心が揺れ動いたのは間違いありません。

それでも、悩みに悩んだ末に横浜残留を決意。当時、実力的には横浜に勝る阪神に移るのではなく、その阪神を含めた上位チームに勝つ、そして横浜を優勝球団に導くことに価値を見出した三浦氏は、やはりチームの顔であり、長年に渡って真のエースと称されるに至ったのでしょう。

実社会においても、現状の自分の居場所について悩んだり、思案したりすることは少なくないと思いますが、今一度、冷静に状況を分析し、三浦氏のように、今、自分が置かれている状況でやりがいや生き甲斐を見つけることも大切であると感じます。

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「瞬発系の練習を多く採り入れた。細かい動きを採り入れて、筋肉や関節の隅々まで刺激を入れる」

若い頃は持久系の練習の割合が高かったという三浦氏。それがベテランの域に入るとともに、瞬発系の練習が多くなっていったそうです。

球速抜群の豪速球で相手打者をねじ伏せるのではなく、卓越したコントロールと様々な球種を武器にゲームメイクするタイプだった三浦氏。だからこそ、年齢とともに変化していくフィジカルに応じて練習内容の見直しも必要だったのでしょう。

細かい動きを採り入れて筋肉や関節の隅々まで刺激を入れる…言うは易く行うは難しの非常に繊細な世界における作業だと思いますが、これを地道に継続できたことで実現した長い現役生活。純粋に、尊敬に値することだと思います。

私たちも仕事や学業で何か壁に突き当たったときには、それまで実践してきた自分のやり方を見つめ直し、新たな方策を採り入れる勇気も必要かもしれません。そのことにより、新たな道が見つかり、新たな可能性が広がることも考えられますからね。

 

名言からの学び

・横浜一筋で現役生活を全う。だからこそ、レジェンドとして敬意を受けることになったのは想像に難くない。

・今、自分が置かれている状況でやりがいや生き甲斐を見つけることが大切である。

・それまで実践してきた自分のやり方を見つめ直し、新たな方策を採り入れる勇気も必要。

 

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