【日本ハム】歴代監督の成績を確認!優勝回数最多はヒルマン監督と栗山監督!
2019/10/26
少し前になりますが、2016年に日本一に輝いた日本ハム!
二刀流の大谷選手、主砲の中田選手など人気も実力もある選手を多数輩出してきました。
また栗山監督も人気がありますよね。
そんな日本ハムの歴代監督をご紹介します。
また優勝回数の最も多い監督が誰なのかをお伝えしていきます。
目次
- 1 日本ハム歴代監督
- 1.1 横沢三郎監督(1946年)
- 1.2 苅田久徳監督(1947年 – 1948年)
- 1.3 井野川利春監督(1949年・1952年-1954年)
- 1.4 安藤忍監督(1950年- 1951年)
- 1.5 保井浩一監督(1955年)
- 1.6 岩本義行監督(1956年〜1960年)
- 1.7 水原茂監督(1961年 – 1967年)
- 1.8 大下弘監督(1968年)
- 1.9 松木謙治郎監督(1969年 – 1970年)
- 1.10 田宮謙次郎監督(1970年- 1973年)
- 1.11 土橋正幸監督(1973年- 終了・1992年)
- 1.12 中西太監督(1974年 – 1975年)
- 1.13 大沢啓二監督(1976年 – 1983年・1984年- 終了・1993 – 1994年)
- 1.14 植村義信監督(1984年)
- 1.15 高田繁監督(1985年 – 1988年)
- 1.16 近藤貞雄監督(1989 年- 1991年)
- 1.17 上田利治監督(1995年 – 1999年)
- 1.18 大島康徳監督(2000年 – 2002年)
- 1.19 トレイ・ヒルマン監督(2003年 – 2007年)
- 1.20 梨田昌孝監督(2008年 – 2011年)
- 1.21 栗山英樹監督(2012年 - )
- 2 最も優勝回数が多いのはヒルマン監督と栗山監督!
- 3 まとめ
日本ハム歴代監督
初代監督から順に記載します。
出身チームについてはプロチームのみの記載です。
横沢三郎監督(1946年)
生年月日:1904年12月16日
ポジション:内野手
出身チーム:東京セネタース
戦後に誕生日した日本ハムの前進、東京セネタースの初代監督に就任しました。
監督としてだけでなく選手として1試合出場しています。
新人を育てプロ野球のブームを作った監督です。
苅田久徳監督(1947年 – 1948年)
生年月日:1911年1月19日
ポジション:二塁手
出身チーム: 東京セネタース〜翼軍〜大洋軍〜大和軍〜東急フライヤーズ〜急映フライヤーズ 〜近鉄パールス〜毎日オリオンズ
現役時代は読売ジャイアンツの前進、大日本東京野球倶楽部で「日本における近代野球の二塁守備は、苅田から始まる」と言われるほどの活躍をみせた名選手です。
監督としても何チームもの監督を務めた名将でした。
井野川利春監督(1949年・1952年-1954年)
生年月日:1908年3月30日
ポジション:捕手、内野手
出身チーム:阪急軍、東急フライヤーズ
初の捕手兼任監督です。
この頃は第二次世界対戦の影響で選手不足もあり兼任する監督が多くいましたが、重労働の捕手と監督の役割をしっかりと果たした井野川監督は素晴らしい監督でした。
安藤忍監督(1950年- 1951年)
生年月日:1895年
出身チーム:プロチーム経験なし
プロチーム経験なしからプロ野球チームの監督に就任しました。
低迷しているチームを立て直すことができず2年間で退任します。
保井浩一監督(1955年)
生年月日:1921年7月19日
ポジション:一塁手
出身チーム:東急フライヤーズ
保井監督は高校時代平安高校で選手として甲子園優勝を果たし、監督としても甲子園出場を決めました。
しかしプロ野球では成績が出せず1年で退任します。
岩本義行監督(1956年〜1960年)
生年月日:1912年3月11日
ポジション:外野手
出身チーム: 東京倶楽部〜南海軍〜大陽ロビンス〜松竹ロビンス〜大洋ホエールズ〜大洋松竹ロビンス〜水沢駒形野球倶楽部〜東映フライヤーズ
現役時代は初代トリプルスリーも記録した名選手でした。
選手兼監督として東急フライヤーズの監督に就任し、人気選手を育てチームを初のAクラス入りを果たします。
水原茂監督(1961年 – 1967年)
生年月日:1909年1月19日
ポジション:三塁手
出身チーム:東京巨人軍、読売ジャイアンツ
球界の魔術師といわれた名監督です。
現役時代は三塁手のレギュラーとして活躍していました。
巨人の監督を務めたあと日本ハムの前進、東映フライヤーズの監督に就任し、2年目で日本一に導きます。
7年監督を務めすべての年Aクラス入りを果たしました。
さすが名監督ですね!
大下弘監督(1968年)
生年月日:1912年12月15日
ポジション:外野手
出身チーム:セネタース〜東急フライヤーズ〜急映フライヤーズ〜東急フライヤーズ〜西鉄ライオンズ
選手時代は青バットの大下弘として戦後の日本プロ野球を人気にした選手のひとりです。
戦後初の柵越えホームランを打ちその後もずっとホームランを量産します。打球を簡単にポンポン飛ばすことからポンちゃんと呼ばれていました。
また人柄もよい大下監督は大人気選手でした。
松木謙治郎監督(1969年 – 1970年)
生年月日:1909年1月22日
ポジション:一塁手
出身チーム:大阪タイガース
現役時代大阪タイガースの初代主将4番バッターとして活躍し、引退後は阪神の監督としてチーム再建に務めました。
その手腕が買われ東映フライヤーズでも監督に就任します。
退任後は野球解説者として活躍し、殿堂入りも果たしています。
田宮謙次郎監督(1970年- 1973年)
生年月日:1928年2月11日
ポジション:外野手、投手
出身チーム:大阪タイガース、毎日大映オリオンズ
大学時代は投手として活躍し、大阪タイガース入団した1年目で11勝とふた桁勝利を記録します。
1952年からは肩を痛めたため外野手へ転向しミサイル打線の中心として活躍しました。
東映の監督に就任すると、エース投手である森安選手の黒い霧事件と言われる八百長事件で永久追放となり投手陣の戦力が低下します。順位も低下するとともに人気も低下してしまい結果を出すことができませんでした。
土橋正幸監督(1973年- 終了・1992年)
生年月日:1935年12月5日
ポジション:投手
出身チーム:東映フライヤーズ
現役時代はエースとしてリーグ優勝、日本一に貢献しました。
引退後はコーチをしていましたが前田宮監督の退任を受け説得され監督に就任にします。
低迷していたチームを3位にまで引き上げますが、球団が日本ハムに身売りしたため退任となります。
土橋監督はやりたくなかった監督に説得されてなったのに身売りの為に退任になったことに対し不満の声を漏らしました。
その後は野球解説者、他球団のコーチ、監督として活躍しました。
中西太監督(1974年 – 1975年)
生年月日:1933年 4月11日
ポジション:内野手
出身チーム:西鉄ライオンズ
高校時代「怪童」と呼ばれるほどホームランをたくさん打つバッターでした。
プロ入り後も打点王、本塁打王、首位打者のタイトルを取りまくりのホームランキングです!
黒い霧事件の責任を取り現役を引退すると多数のチームの監督、コーチを務めました。
名コーチでしたが監督としてはいまいちで、日本ハムの監督時代は2年連続最下位で、選手との確執もあり2年間で解任となります。
大沢啓二監督(1976年 – 1983年・1984年- 終了・1993 – 1994年)
生年月日:1932年3月14日
ポジション:外野手
出身チーム:南海ホークス、東京オリオンズ
大沢親分として親しまれ、喝でお馴染みのテレビ番組に評論家として出演していたことが記憶に新しいですね。
お孫さんはタレントの大沢あかねさんです。
日本ハムの監督を3期務めました。
豪快な監督の姿は選手だけでなくファンもついてきたくなりました。1994年にはチーム最下位の結果を受けマウンド上で土下座をするほどチーム愛、ファンへの思いが強い監督です。
多くの野球人、ファンに愛された監督でした。
植村義信監督(1984年)
生年月日:1935年1月5日
ポジション:投手
出身チーム:毎日オリオンズ
エースナンバー18をつけ完封勝利を挙げるなどの活躍をみせた選手ですが、故障や赤痢で26歳の若さで引退しました。
日本ハムの監督に就任すると厳しく熱烈な指導をしたが、成績不振でシーズン途中に退任します。
高田繁監督(1985年 – 1988年)
生年月日:1945年7月24日
ポジション:外野手、三塁手
出身チーム:読売ジャイアンツ
ドラフト1位で巨人に入団し、俊足、強肩、強打の三拍子そろった選手として活躍しました。
引退後、日本ハムの監督に就任するとチーム力の弱い中で次の主力選手になる人たちを育てます。
退任後2005年から2007年にかけて日本ハムのGMに就任しました。
現在はヤクルトのGMをしています。
近藤貞雄監督(1989 年- 1991年)
生年月日:1925年10月2日
ポジション:投手
出身チーム:西鉄軍、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ
選手としても監督としても活躍していました。
特に監督として多くの奇策を使ったことが有名です。
現在では当たり前になっている投手分業制を使ったのも近藤監督でした。
上田利治監督(1995年 – 1999年)
生年月日:1937年1月18日
ポジション:捕手
出身チーム:広島カープ
選手としては芽が出ず現在をわずか3年で引退しますが、コーチとして花開いたのが上田監督です!
いくつものチームでコーチ、監督を経験しチームを優勝に導きました。
しかし日本ハムの監督時代には優勝はできませんでした。
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大島康徳監督(2000年 – 2002年)
生年月日:1950年10月16日
ポジション:外野手、一塁手、三塁手
出身チーム:中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズ
高校生までは野球経験が全くなかった異例のプロ野球選手です。高校生で野球を始めてからはエースで4番と活躍しプロ野球選手になりました。
強打者として活躍しましたが、現役引退後の野球解説者のイメージが強いですよね。
監督としては熱血漢といわれていました。成績が振るわず解任されました。 現在は大腸癌を公表し闘病中です。
トレイ・ヒルマン監督(2003年 – 2007年)
生年月日:1963年1月4日
ポジション:二塁手、遊撃手
出身チーム:メジャー経験、日本プロチーム経験なし
マイナーリーグの選手としてプレイしたあと、11年マイナーリーグで監督を務めます。
手腕を買われ日本ハムで監督を務めることになり来日しました。球団史上初の外国人監督の誕生です。
ヒルマン監督はアメリカ式の野球を捨て日本式の野球の采配を行い、2006年にはチームを44年ぶりの日本一に導きました。
梨田昌孝監督(2008年 – 2011年)
生年月日:1953年8月4日
ポジション:捕手
出身チーム:近鉄バッファローズ
イケメン捕手として女性人気の高い選手でした。
また打てる捕手として実力も兼ね備えています。
引退後、名将として数々の球団で指揮をとりました。
日本ハム監督時代には就任2年目でチームをリーグ優勝に導きます。
元々4年と決めていたようで2011年に引退しました。
栗山英樹監督(2012年 - )
生年月日:1961年4月26日
ポジション:外野手
出身チーム:ヤクルトスワローズ
選手としてはメニエール病を患い7年で現役を終えました。監督としては人を育てる天才の名将です。
選手を信頼し情熱を注ぎ、中田選手や西川選手などの主力選手を育てました。
2016年にはチームを日本一に導いています。
長期政権になっておりますが、益々の活躍に期待したい監督です。
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最も優勝回数が多いのはヒルマン監督と栗山監督!
歴代監督の中で最も優勝回数が多いのはヒルマン監督と栗山監督で2回ずつです。
ヒルマン監督も栗山監督も名将と呼ばれるにふさわしい素晴らしい監督ですね。
栗山監督は2019年以降も指揮を執りますので、単独で優勝回数が一番多い監督になる可能性は十分にあります。
まとめ
・北海道日本ハムファイターズの監督は現在25代目。
・歴代監督で優勝回数が最も多いのはヒルマン監督と栗山監督である。
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