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鉄平の凄さが分かる名言・語録集!トレードを経て首位打者を獲得した名手の伝説エピソードから人生哲学まで

トレードというと、まだ日本の球界ではマイナスなイメージがあるようです。しかしトレードによって新天地で一気に能力が開花する選手たちもいます。古くは中日ドラゴンズから近鉄バファローズに移籍し、3度の本塁打王を獲得したラルフ・ブライアントがいます。近年では読売ジャイアンツから北海道日本ハムファイターズに移籍して20本塁打を記録した大田泰示もいます。そして移籍により首位打者にまで上り詰めたのが鉄平です。

鉄平は中日ドラゴンズから、まだ新球団として形の整わない状況だった東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。その後は俊足好打、更には強肩ぶりを見せつけ、一躍チームの中心選手となり、2009年には首位打者も獲得しました。

寡黙なタイプですが、イーグルスの本拠地である仙台では現役時代はもちろん、引退した後も高い人気を誇り、今も「鉄平コール」を懐かしむファンが多くいて、チーム初期の人気者として愛されている選手のひとりです。

今回は杜の都の人気者であり、トレードを経て首位打者を獲得した名手である鉄平の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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鉄平について

まずは鉄平の経歴を追ってみます。

本名土屋鉄平、1982年12月27日生まれ、大分県大分市出身。小学校1年の時に野球をはじめ、中学校では投手と遊撃手を務めました。津久見高等学校では1年で遊撃手のレギュラーを獲得。高校通算で5割を超える打率と32本塁打を記録。「九州のイチロー」と称され、2000年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受けて入団します。

入団後は打撃を生かすため、2003年のオフに外野手へコンバート。2004年には1軍に昇格し、初安打を記録し、2軍ではMVPを獲得します。しかし1軍の強力外野陣の壁は高く、2005年のオフに東北楽天ゴールデンイーグルスへと移籍します。

登録名を鉄平に改めた2006年、開幕1軍を勝ち取り、シーズン打率.303を残して、レギュラーを獲得。ファン投票でチームのMVPに選ばれます。2007年、2桁本塁打を記録し、オールスターに選出。2009年にはチームの中心選手として首位打者に輝きます。2011年、東日本大震災の影響もあり、不振に陥ります。2013年に選手会長に就任。そのオフにオリックス・バファローズへの移籍が決まります。しかし2014年、2015年と振るわず、オフに戦力外となり、引退。

日本プロ野球通算15年間で、通算878安打、42本塁打、68盗塁、打率.278。首位打者1回。ベストナイン1回

引退後は楽天イーグルスアカデミーのコーチ、野球解説者、イーグルスの打撃コーチなどを務め、2024年から東北楽天リトルシニアの監督を務めています。

 

私が選ぶ、鉄平の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「外野手なら勝負できるというより、はっきり見えていたのは内野手では勝負できないということでした。何年かかっても内野手では1軍の試合に出られないと思いました」

鉄平がドラゴンズに入団したのは遊撃手としてでした。その頃のドラゴンズは立浪和義が二塁手に、福留孝介も外野手にコンバートされ、井端弘和がレギュラーを獲得する流れの中にありました。

そして一塁手は山崎武司、大豊泰昭、ティモンズといった強面のベテランが務め、鉄平曰く「一塁手の圧がすごかった」そうで、一塁手に迷惑をかけてはいけないというプレッシャーからイップスになってしまい、結局、外野手に転向することになりました。

しかしドラゴンズの外野には強打の福留孝介、井上一樹、アレックス・オチョアがいて、森野将彦も外野守備に入ることがありましたし、守備でも鉄壁を誇る英智がいました。

監督だった落合博満が他チームなら活躍できるとトレードに出したことで、イーグルスの監督だった野村克也が「どうしてこんないい選手をだしたかわからん」と嬉しそうにぼやいた鉄平の開花が見られたのです。

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【名言語録その2】

「僕らは野球が身体に沁みついているので、そんな基本を考えたことがないんです。でも改めてひとつひとつのプレーの理由を突き詰めていくと、じゃあ、こうすると相手はこうくるからというふうに、考えの幅が広がっていくわけです」

「トレードには落ち込みました」という鉄平。しかし監督である野村克也の言葉は「とても新鮮」で「野村さんは表と裏、つまり投手だけでなく、打者の心理を含めて解説してくれる。僕にはそれが面白かった」のだそうです。

「野村監督には色んなことを大目に見ていただきました」と鉄平自らが語るように、創設間もなく戦力が乏しかったイーグルスにおいて、多少の失敗は目をつぶり、経験を積ませてもらった鉄平は一気にチームの主力へと成長します。

「ほとんどのバッターって打球が詰まるのが怖いというか、できればそうならないようなバッティングをするものだと思うんですよ。でも絶対に打球が詰まってしまうことはあるわけで、だったらそれを受け入れた上でバットヘッドを走らせることを意識すれば、バッティングの幅は広がるんじゃないか。そう思うようになったことでうまく打てるようになりました」

また「打てなくなったときは凡打の中でも、ここがおかしくなっていたんだとはっきり理解できるように打席に立つようにしています」と語る鉄平。名将との出会いと徹底した独自の打撃論で首位打者を獲得するに至ります。

試合前のフリー打撃では、あえて三塁側にファウルを打つ姿が印象的でしたが、「スイングする一瞬の動きの中で自分が思った通りにバットが出せて、ある程度自分が思い描いた打球が飛んでいるかどうか、ほとんど毎日誤差がでるんです。それの修正」のための練習だったそうです。

その職人のようなこだわりがあればこそ首位打者に輝き、同時にそのこだわりの強さが歴史的出来事の中で迷いを生んだのかもしれません。

【名言語録その3】

「僕らは野球がうまくなるためだけに野球をやってきたわけじゃないんです。誰かが何か困っていたら、それがぜんぜん知らない人であっても、助けてあげるとか、一緒に力を合わせるとか、そういう気持ちになれるような訓練を野球を通してしてきたんです。だったら、今やらなかったら、いつやるんですか」

2011年3月11日、イーグルスの本拠地である仙台をはじめ、東北地方の沿岸部は東日本大震災によって甚大な被害をうけました。オープン戦の遠征先でそれを知ったイーグルスナインも、家族の安否も含め、不安な時間を過ごしました。

「自分が、自分たちが先頭に立って被災地で力にならないといけないのに、東北への移動手段がなく、できることが少ない。何ができるのか考えて探しても見つからない。何もできないと思うと眠れなかったですね」

宿泊していたホテルでは、深夜に選手会長の嶋基宏の部屋を訪ねて、話し込んだりしたそうです。

「今、シーズン中、僕らが十何点差で負けているときも、声を枯らして最後まで応援してくれた人たちが辛い思いをしている。だからいちばん最初に思ったことは、野球選手としてというより、一人の人間として何をすべきかということでした。そこで出た答えは、今は野球をしているときではないんじゃないかということでした」

そんな迷いの中、遅れて開幕した2011年シーズンですが、鉄平は絶不調に陥り、その後も調子を取り戻せぬままトレードとなります。それでもオリックスの一員として仙台に来ると、球場では敵味方問わずに大きな「鉄平コール」が沸き起こりました。

「横浜で楽天の選手だって言われるのはビッグネームの人だけですよ。それ以外はそうそう気づかれない」

そう語っていた鉄平ですが、仙台では今もイーグルスファンから声をかけられ、大人気なのは彼の選手としての輝きはもちろん、その人間性も知っているからなのだろうと思います。


 

 

名言からの学び

・ピンチがチャンスに変わる瞬間を逃してはいけない

・チャレンジする機会が人を成長させる

・正しく人を思う心は伝播する

 

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