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種田仁の凄さが分かる名言・語録集!ガニマタ打法のユーティリティプレーヤーの伝説エピソードから努力論まで

プロ野球選手にとってフォームはもうひとつの顔です。ファンならばそのフォームだけで外野席からでも選手を見分けられますし、良い活躍をすればそのフォームと共にいつまでも記憶に残ります。一度見れば忘れられない独特の「ガニマタ打法」でカムバック賞に輝いた種田仁も、記憶に残る1人です。

プロ入り当初は特別なフォームではなかった種田。故障や打撃不振、脱税事件の余波などもあり、レギュラーを手にしていたところから、一時は出場機会を失いましたが、試行錯誤の上、高くバットを上げ、大きく左足を開いた「ガニマタ打法」で復活を遂げました。その個性あふれる打撃フォームは、まさに唯一無二のものでした。

個性的な打法の上に守備ではユーティリティプレーヤーであり、いぶし銀のような活躍を見せた種田ですが、私生活の方では無頼で奔放な面があり、トラブルも多く、脱税事件の他にも自己破産、無免許でスピード違反、離婚などゴシップ誌を騒がせ、破天荒なものでした。

今回はガニマタ打法で記憶に残る種田仁の凄さが分かる名言や語録を紐解き、個性派ユーティリティプレーヤーの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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種田仁について

まずは種田仁の経歴を追ってみます。

1971年7月18日生まれ、大阪府八尾市出身。強豪上宮高校に入学すると1年生の時からベンチ入り。当時の上宮高校には種田と同級生に元木大介、小野寺在二郎、1学年下に宮田正直、2学年下に薮田安彦、中村豊、久保孝之、市原圭といった後にプロ入りする選手が勢ぞろいしていました。甲子園では2年の春に選抜大会でベスト8、3年の選抜では決勝に進むも、種田の悪送球をきっかけとするエラーで準優勝。夏の選手権大会ではベスト8となります。

卒業後は大学進学が内定していて、プロ入りを拒否していましたが、1989年のドラフト会議で中日ドラゴンズが6位で強行指名。上位指名選手並みの条件を提示し、入団となります。

ルーキーイヤーから1軍出場を果たし、2年目となる1991年に初安打を放ち、シーズン後半にはレギュラーを勝ち取り、1993年には全試合に出場、初の規定打席に到達します。しかし1994年のケガをきっかけに控えに回るようになり、1997年には8試合出場に止まりました。

2000年に「ガニマタ打法」を身に着けると、代打で11試合連続出塁を記録するなど復活し、カムバック賞を獲得。2001年シーズン途中で横浜ベイスターズへ移籍。ユーティリティープレーヤーとして活躍し、2004年にはレギュラーとしてシーズン打率3割を記録。2005年にも打率3割を越えましたが、2006年に肘を故障し、2007年オフに戦力外となり埼玉西武ライオンズへ移籍。翌年1軍出場はないまま引退します。

日本プロ野球通算19年間で、通算1102安打、71本塁打、76盗塁、打率.264。

引退後は解説者、韓国プロ野球のサムソン・ライオンズや東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチを務めましたが、2012年に退団後は野球界を離れました。

 

私が選ぶ、種田仁の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「何で元木が1位で僕が6位なんですか」

チームメイトだった元木大介が福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に、野茂英雄の外れ1位で指名されていたためか、ドラフト指名後、挨拶に訪れたスカウトに対して、元木より低い指名順位について喰いかかったという種田。しかしそのスカウトはそれくらいの性格の方がプロでは成功すると感じたそうです。

大学進学が決まっていて、ドラフト指名を拒否していた種田ですから、指名順位は関係ない筈ですが、それでも1位と6位という差に、元木よりも評価が低いと感じたのでしょう。当時の元木は女性ファンが殺到する人気者であり、それを目の当たりにしていた種田は野球では負けないという意識があったのだと思います。

結局、プロでは安打数、本塁打数、盗塁数、打点、通算打率など主要な記録は、すべて元木を上回りました。ドラフト順位に喰いかかっる強烈な自負心は、プロとして必要な矜持だったと言えます。

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【名言語録その2】

「油断していたし、タイミングもギリギリで慌てた」

1989年の春、甲子園の選抜大会で、種田がいた上宮高校は順調に勝ち進み、決勝へと駒を進めました。東邦高校との試合は1対1のまま延長に入り、10回表に上宮が1点勝ち越し、その裏も2アウトまで追い込みますが、ランナー1、2塁でセンター前のタイムリーを打たれて同点。そこで1塁ランナーが2塁をオーバーランし、挟殺プレーとなりますが、種田の送球がそれ、カバーに入ったライトも後逸。その間にランナーが戻り、決勝点となりました。

その時のプレーについて、後に上記のように振り返りました。記録上は後逸したライトのエラーしたが、事実上、種田のエラーだったと言えるでしょう。

野球に限らず、スポーツの世界では頭で考えていては間に合わないことがよくあります。その中で正しい動きをするには、日頃の練習と途切れない集中力が必要です。ビジネスでも「考えるより動け」と言う人がいますが、その前にちゃんと訓練を積み重ねていなければ、正しい行動はできません。

また常にそれを再現するには、ルーティンや型が重要です。種田が行きついた型が「ガニマタ打法」でした。

里崎智也の見立てによると、種田は肩が入る癖を防ぐためだと言います。つまり右打者ならばテイクバックの時に左の肩がより深く捻られると、バットがミートポイントまで出るのが遅くなり、いわゆる差し込まれる状態になりやすくなります。それを避けるためあのようなフォームになったと解読しています。

いつも遅くまで特打ちをしていたという種田だけに、試行錯誤を繰り返し、バットを振り込み抜いた末に生まれた唯一無二の型なのだと思います。

 

【名言語録その3】

「最悪の時、それを受け止めないと次へは進めない」

愛甲猛曰く「種田は呑む打つ買うの三拍子がそろった典型的な昭和の野球選手」であり、グラウンドでは明るく気配りのできる性格で練習の虫でしたが、私生活はまさに無頼漢でした。

現役時代には脱税事件にからみ3週間の出場停止処分を受け、現役引退後は自己破産、女性関係のトラブルなどで離婚、無免許運転でのスピード違反といったスキャンダルを起こし、今は野球界から離れています。

自己破産は現役引退後に所得が大きく減ったことで税金が払えなくなったためだそうですが、コーチとしてのキャリアを築く道筋にあっただけに、とても残念です。本人の言葉通り、それをも受け止め、次へと歩んで欲しいものです。

 

名言からの学び

・自負心はプロとして必要な矜持である

・身に着けたルーティンや型が咄嗟の正しい行動につながる

・過去を受け止めてこそ未来につながる

 

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