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澤村拓一の凄さが分かる名言・語録集!トレードで躍動するセーブ王の伝説エピソードから努力論まで

2020年シーズンは、コロナウイルス禍での特別措置で通常は7月31日までと決められているトレード期限が9月30日まで延長されました。そのためか9月途中の段階でシーズン中のトレードが5件あり、そのうち3件に読売ジャイアンツが絡んでいます。なかでも推定年俸1億5400万円の選手を放出し、650万円の選手を獲得したトレードにファンがざわつきました。その話題となったのが澤村拓一です。

ジャイアンツに入団以来、新人王や最多セーブに輝き、推定年俸1億5400万円に達していた澤村。千葉ロッテマリーンズの若手650万円の香月一也との交換トレードは驚きでしたが、共に現役を終えるまでトレードの正否はわかりません。いずれにせよ2020年シーズンの優勝争いをしているマリーンズにとって、実績のある澤村が加わったことはより強い味方を得たといえるでしょう。

澤村といえば、人気球団所属の宿命もあり、リリーフ失敗が続くと必要以上に叩かれたり、日本シリーズでサインを見落とし、大学の先輩でもある阿部慎之助にマウンドでポカリと叩かれたりもしましたが、そのボールの威力は折り紙付きであり、まだまだ活躍が期待できます。

今回はトレードで躍動するセーブ王澤村拓一の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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澤村拓一について

まずは澤村拓一の経歴を追ってみます。

1988年4月3日生まれ、栃木県栃木市出身。佐野日大高校では3番手投手であり、高校の先輩の勧めで中央大学に進学。大学で急成長し、2年にはエースとなり、各種国際大会の日本代表にも選出されるようになります。4年の時には当時大学生最速となる157キロを記録。

2010年のドラフトで読売ジャイアンツに1位指名で入団します。

ルーキーイヤーから開幕1軍をつかみとり、先発ローテーション入りをして11勝をあげ、見事新人王に輝きます。2012年には2年連続で2桁勝利を記録するものの、敗戦も2連続2桁になりました。2013年の9月からリリーフとして登板。翌2014年に肩の故障で不振だったことから、2015年からリリーフに転向。抑えとして36セーブを残しました。

2016年には37セーブをあげ、最多セーブ投手を獲得。しかし2017年に肩の鍼治療により麻痺が起り、その影響もあってシーズンを棒にふります。2018年に1軍復帰し、中継ぎとして登板しますが安定感を欠きましたが、2019年は復調し、好投を見せました。

2020年は肩の違和感などもあり不安定な投球を続け、2軍に降格。9月に交換トレードでマリーンズに電撃移籍。マリーンズでは即1軍に昇格し、3者連続三振でデビューを飾りました。

2019年シーズン終了まで、現役9年間で通算47勝、74セーブ、50ホールド、防御率2.74。最多セーブ投手1回。

セリーグよりもパワーピッチャーが活躍しやすいといわれるパリーグだけに、今後の更なる活躍が期待されます。

 

私が選ぶ、澤村拓一の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「逃げ道を作りたくないんです。1点くらい取られてもいいとか、自分に都合のいい言い訳を作ってマウンドに上がりたくない。本当に一人ひとり、打ち取ることしか考えていません。技術云々よりも、まずは気持ちで負けちゃいけない。向かっていきたいですね」

高校時代はほとんど控え投手で終わった澤村。高校の恩師である松本弘司監督は「もう、真っ直ぐばっかし、投げていました。もし私がベンチから変化球のサインを出しても、首を振っていたでしょう」と語っていますし、チームメイトの印象もまたブルペンで真っ直ぐにこだわりつづける澤村の姿です。

大学のコーチで、後に監督となり、元東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)などの投手として活躍した高橋善正もまた「ただ強い球、速い球を投げたい」投手だと話しています。

一途で不器用な印象の澤村らしいエピソードですが、その「1点くらい取られてもいい」ということを是認できない性格からか、時に集中しすぎてサインを見落としたり、時に前のめりになりすぎてコントロールを乱したりするのも澤村らしさといえるかもしれません。

乱調で叩かれる澤村に対して上原浩治は「抑えの仕事は点を取られないことでもないし、ましてヒットを打たれないことでもない」と擁護していますが、それは同時に妥協を許そうとしない澤村へのアドバイスでもあり、エールでもあるのだと思います。

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【名言語録その2】

「外車のような排気量の大きなエンジンが欲しいんです。2000ccとか3000ccではなくて、5000cc、6000ccというようなデカいエンジンを自分の体に積みたかったんです」

速球にこだわった大学時代の澤村は、全体練習以外に、週に3回2時間ほどのウエイトトレーニングを欠かさなかったそうです。仲間に食事などに誘われても、1人残ってウエイトに取り組むほどでした。それによって入学時には58cmだった太ももが、卒業時には68cmに達していたそうです。

 

「人と差をつけたいのであれば、それではダメなんです。ダッシュ10本やるにしても、1本1本全力で走るのは何のためなのかを考えなければいけません」

澤村は大学の寮の中ではスリッパを引きずらないように常に意識していたそうです。

 

「だってピッチングの時もかかとからつま先に着地するんですから、こういう細かいところから考え方を変えていくことができたということが、自分に成長をもたらしたと思います」

澤村のピッチングスタイルからは、そういう細かさがあるとは感じにくいのですが、こだわりや細かさが澤村を成長させる原動力となり、同時に弱点にもなっているようです。

しかし何事も両面性を持っているのは当たり前でもあり、そこが克服されれば、澤村は手のつけられない存在になるかもしれません。

 

【名言語録その3】

「もともと勝負運に恵まれているほうじゃないので、どちらかというと、本当に自分の力で勝たないと」

勝負事には実力は当然ですが、運も必要です。特に打線の援護によって勝ち負けが左右されることが多い投手の場合、好投手よりも運のいい投手が勝ちを拾うことはしばしば見られます。田中将大のシーズン24連勝という大記録も、実力だけでは達成できなかったはずです。

2012年の日本シリーズ第2戦に登板した澤村ですが、牽制のサインを見落とし、捕手で大学の先輩でもある阿部慎之助に頭を叩かれる姿が、全国放送で流されました。自分が抑えるんだという強い意識が、視野を狭めてしまったのかもしれません。

しかし勝ち運に左右されない自力をつけるということは、結果的に勝ち運を呼び込むことにもなり得ます。宝くじも買わないと当らないように、勝利もその戦いの場に立たなくては、運も何もないからです。

マリーンズに移籍して、いきなり3者連続三振のデビューは、澤村が戦いの場に立ち、自分の力で勝ちに導くことができる力強い証明だったように思います。

 

名言からの学び

・時に妥協も必要である。

・こだわりは武器にも弱点にもなる。

・運は戦える場所に立てる者にしか微笑まない。

 

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