つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

名言

サファテの凄さが分かる名言・語録集!最強抑え投手の伝説エピソードから人生哲学まで


日本プロ野球でセーブポイントが導入されたのは1974年です。以来、抑え投手の重要性は年々増しているといえます。しかし日本プロ野球史上、200セーブ以上を上げた投手はまだ6人しかいません。その中で外国人助っ人となるとただ1人のみ。それがサファテです。

シーズン54セーブという日本記録を作り、セパ両リーグで30セーブ以上を上げた唯一の投手であるサファテ。イニング数を軽く超える三振を奪い、驚異の43イニング連続奪三振の日本記録も作っています。

外国人リリーバーとしては名球会入り基準である250セーブを目前にしていますが、故障から2019年度の登板はなく、2020年度には引退を示唆するような言葉をフェイスブックに書き込み、後に撤回するということも起こりました。

今回は復活か注目されるサファテの凄さが分かる名言や語録を紐解き、最強抑え投手の伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

スポンサーリンク

 

サファテについて

まずはデニス・サファテの経歴を追ってみます。

1981年4月9日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身。ギルバート高校時代にオールアメリカンでプレー。81イニングで110個の三振を奪うなど活躍し、1999年にドラフト15巡目でテキサスレンジャースに指名されましたが、アリゾナ州立大学に進学。チャンドラー・ギルバート・コミュニティ・カレッジ在籍中の2001年にドラフト9巡目でミルウォーキーブルワーズに指名され入団します。

2006年にメジャー昇格し、2007年シーズン終盤にトレードでヒューストンアストロズへ移籍。
更にそのオフにはボルチモアオリオールズへ移籍し、メジャーでは最多となる57試合に登板。翌年も20試合登板しますが、血行障害もあり、2010年はマイナーにとどまります。

2011年に広島東洋カープと契約。抑えとして起用され、35セーブをあげます。2012年はセットアッパーとして活躍しますが、シーズン後に自由契約。2013年は埼玉西武ライオンズに入団。セットアッパーから抑えまでこなし、9勝10セーブ16ホールドと活躍しましたが、残留を望まずに福岡ソフトバンクホークスと契約。

2014年には全12球団からセーブをあげ、日本プロ野球初となる両30リーグセーブ以上を記録し、チームの日本一に貢献します。2015年、20016年と2年連続で40セーブ以上をあげ、最多セーブ投手となり、2017年には日本記録となるシーズン54セーブでMVPを獲得、3年連続最多セーブ投手に輝き、2014、15、17年と3度の日本一に尽力しました。

しかし2018年の開幕直後に右股関節を痛め、2019年は登板がなく、2020年もまだ復帰の目途が立っていません。

2019年シーズン終了時点で、メジャーリーグ通算4年間で5勝、防御率4.53。日本プロ野球通算9年間で27勝234セーブ、防御率1.55。MVP1回、最多セーブ投手3回。

2020年に引退をほのめかす言葉もありましたが、その後に撤回し、本人もファンも復活の時を待ちわびています。

 

私が選ぶ、サファテの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「長く日本にいることで環境や文化の違いに慣れたことが、ホークスに来てからの活躍につながっていると思います」

コストパフォーマンスに優れた助っ人選手をスカウトする球団として筆頭に上がるのは、間違いなくカープでしょう。ソリアーノやコルビー・ルイスのように、退団後にメジャーで活躍する選手もいます。サファテは自らのケガと奥さんの病気もあって長期間の戦線離脱もあり、自由契約になりましたが、後の活躍を考えると、カープのスカウトの目は確かだったと言えます。

 

「広島時代はケガをしてしまった。西武の頃は調子自体はよかったけど、西武ドームが非常に暑くて、コンディションを整えるのに苦労しました」

カープでセリーグの野球、ライオンズでパリーグの野球を知り、ホークスでついに本領を発揮するサファテですが、助っ人選手は1年1年が勝負という中、ある程度の経験を積むことで大きく開花する選手もいます。逆にいくらメジャーで実績があっても、日本では成功しない選手もいます。その差は野球はもちろん生活など、あらゆる環境に馴染もうとする姿勢にあるのではないかと思います

サファテは開幕してすぐに、オフにやろうと思っていたことを急にやらなければならなくなったからアメリカに帰ると言い出し、ホークスの選手たちを慌てさせたことがありました。しかしその日は4月1日で、エイプリルフールの嘘でした。サファテはそうやってチームの一員として積極的に馴染み、日本での活躍と信頼を得るのに成功したのです。

スポンサーリンク

 

【名言語録その2】

「僕は神様に導いてもらい、いろいろなことが出来ている。日本にも神様が連れてきてくれたのだと思っています」

メジャーへの復帰の誘いもあったそうですが、「日本の野球も自分には合っていると思うし、野球人生を終えるときはホークスで」と語るサファテ。更に「神様は困っている人がいれば助けなさいと言っています。自分が野球選手だからということではなく、ひとりの人間として困っている人を助けないといけないと思っています」と自らの信念を話しています。

その言葉通り、東北とは特につながりのなかったサファテですが、東日本大震災の支援として、1セーブにつき10万円を寄付する活動を続けていました。また熊本地震の際にも被災地の子どもたちを球場に招待し、試合のない日には自費で熊本に出向いて、1日野球教室を行うなどしています。

プロとしての成績はもちろん、そんな社会貢献も認められて、2017年に外国人選手として初の正力松太郎賞を受賞しました。受賞が決まった時、すでにアメリカへ帰国していたのにも関わらず、サファテはその賞に込められた重みを考え、受賞式のためだけにわざわざ来日しました。そこには彼を成功へと導くことになった日本や日本野球への理解とリスペクトが感じられます。

正力松太郎賞の条件や基準は?歴代受賞者や賞金も調査

 

【名言語録その3】

「グリーンジャケットを着たいですね」

グリーンジャケットとは名球会への入会者に贈られる緑色のジャケットのことです。通算200勝以上、2000本安打以上、そして250セーブ以上というのが入会基準になっており、サファテは250セーブまであと16セーブと迫っています。

しかし長引く右股関節の故障から、2019年シーズンに登板はなく、2020年はオープン戦に登板するなど、復活への足掛かりとなるかと思われましたが、シーズンに入ると治療のためにアメリカへ帰国。再手術の可能性もあるようです。

 

「プロ野球選手として20年現役を続けたが、私にとって最後の試合はすでに終えた」

自らフェイスブックにそう綴り、引退もささやかれましたが、その後、「まだ野球を辞めると決まったわけではありません。ただ前回の手術から今までのリハビリを励ましてくれていた皆さんに感謝の言葉を伝えたかったのです」と引退を否定しました。

浅尾拓也の故障についてサファテは「あれはドラゴンズが犯した過ちだった。毎日イニングまたぎをやっていた。彼は私が今まで見てきた中で最も優れた能力をもつ投手だったが、残念だ」とし、「俺たちはロボットではない」「自分の肩を守れ」と訴えました。

以前より向上したとはいえ、中継ぎやリリーフ投手に対する評価は、週に1度しか登板しない先発と比べて、相対的に低いように感じます。だからこそサファテが250セーブを越え、グリーンジャケットを着ることが、リリーフ投手の地位向上にもつながると思うので、ぜひとも復活劇を見せて欲しいです。

 

名言からの学び

・環境に馴染むことが成功の秘訣である。

・相手への理解とリスペクトが信頼の鍵である。

・ひとつの結果が全体の評価を変えてゆく。

 

関連記事

ラミレス監督の凄さが分かる名言!名将とも呼ばれる手腕や人生哲学に迫る

ランディ・バースの凄さが分かる名言・語録集!最強助っ人外人「三冠王」の伝説エピソードから人生哲学まで

ウォーレン・クロマティの凄さが分かる名言・語録集!巨人史上最強助っ人の伝説エピソードから人生哲学まで

スポンサーリンク

-名言

こんな記事も読まれています