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ヌートバーの凄さが分かる名言・語録集!侍ジャパン切り込み隊長の伝説エピソードから努力論まで

2023年のWBC日本代表選出において最大のサプライズは?その答えは能力を疑問視する声を積極果敢なプレーであっという間に吹っ飛ばし、明るいキャラクターと堅守と巧打、そしてペッパーミル・パフォーマンスで、すぐに多くのファンを魅了して、一躍時の人になったラーズ・ヌートバーです。

母親が日本人であるヌートバーは、WBCの規定により日本代表として出場可能な選手でした。メジャーリーグでの出場経験はまだ2年間だけとはいえ、2020年と21年にワイルドカード進出、2023年には地区優勝を遂げている強豪セントルイス・カージナルスで活躍し始めた若手は、日本にとって必要な戦力だったと、優勝という結果が証明してくれました。

子どもの頃から日本代表とは縁があり、斎藤佑樹や田中将大と共に撮った写真を大事にしていたヌートバー。WBCでの活躍により、今度は彼の方が多くの少年ファンに写真をねだられ、憧れの対象となりました。

今回は日本代表に憧れる少年から、実際に侍ジャパン切り込み隊長になったヌートバーの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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ヌートバーについて

まずはヌートバーの経歴を追ってみます。

1997年9月8日生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州エルセグンド出身。フルネームはラーズ・テイラー=タツジ・ヌートバーでタツジは母方の祖父の名前。エルセグンド高校時代は野球の他にアメリカンフットボールもプレイし、クォーターバックとしてMVPをとるなど活躍しました。大学でも野球とアメリカンフットボールの双方で将来を嘱望されましたが、野球を選び、南カルフォルニア大学からドラフト8巡目でセントルイス・カージナルスに指名され、入団を決めます。

2018年と2019年はマイナーリーグで着実に経験を重ねましたが、2020年はコロナ禍によりマイナーリーグは開催されず、アルバイトをしながら練習を続けます。2021年にマイナーリーグが再開されると6月になりメジャー契約を結び、メジャーリーグにデビュー。58試合に出場します。2022年には108試合に出場し、走攻守にバランスのとれた若手として期待されるようになりました。

2023年、第5回WBC日本代表に選出されると、チームメイトからは「たっちゃん」のあだ名で呼ばれて、不動の一番打者として出塁率.424、盗塁2、打点7を叩き出します。守備でもセンターとして再三ファインプレーを見せ、ムードメイカーとしても、日本チーム優勝に大きく貢献。一躍、時の人となりました。

2022年シーズン終了まで、メジャーリーグ通算2年間で、92安打、19本塁打、6盗塁、打率.231。

2023年、メジャー開幕後も、一時戦線を離脱したものの、復帰するとすぐにホームランを放つなど、活躍をみせています。

 

私が選ぶ、ヌートバーの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「最終的に野球を選んだのは、私が野球一家で育ったからだと思う。自分の人生は野球に捧げられているのかなって」

高校時代は野球だけでなく、アメリカンフットボールの選手としても結果を残していたヌートバー。しかもクォーターバックといえば花形ポジションであり、それで2年連続MVPとなれば、当然、フットボール強豪カレッジからの誘いもありました。しかし彼は野球を選びました。

野球好きだったヌートバー・ファミリーは、2006年にアメリカで行われた日米親善高校野球大会で、代表選手だった船橋悠と塩澤佑太のホームステイを受け入れるホストファミリーとなりました。ヌートバーはその二人に日本代表の練習に誘われ、斎藤佑樹や田中将大らと共に写真をとるなど楽しい時間を過ごしたそうです。あまりに楽しかったので別れの際には号泣するほど、若き日本代表たちに大きな影響を受けました。

その後、リトルリーグのオールスターに選ばれたヌートバーは、その自己紹介ムービーで「僕は日本を代表してここにいます」というスピーチをしています。彼がフットボールではなく、野球を選んだ理由の中には、野球好きのヌートバー・ファミリーの力が大きかったのは当然ですが、若き日本代表たちも少しばかり手を貸しているに違いありません。

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【名言語録その2】

「その場ですぐに『イエス』『オフコース』と答えたんだ」

ヌートバー自身に日本代表入りに興味があるか、最初に連絡をしたのは大谷翔平の通訳でもある水原一平でした。北海道日本ハムファイターズで球団通訳を務めていた縁で、栗山英樹監督から連絡役を任されていた水原は、ヌートバーからの前向きな『イエス』『オフコース』という答えがあったことを伝えました。

栗山は「野球のグローバル化」や「野球の持つ意味」を考え、ネット面談も行って直接本人の意思と意欲を確認し、初の日系メジャーリーガーの代表選出を決断しました。

ヌートバーが合流すると、そこにはセカンドネームのタツジにちなんだ「たっちゃんTシャツ」が用意され、チームメイトたちがそれを着て、たっちゃんと愛称で呼びました。彼はすぐにチームに打ち解け、いきなり安打を放ち、好守備を見せて、優勝した日本代表の牽引車となりました。

かなりのプレッシャーもあったようで、後に「たったひとりのバカのせいで、アメリカ人は変な奴だと思われたくなかった」とも話していますが、ふたつの母国にリスペクトを持っての戦いだったことがわかります。

チーム優勝後には日本式の胴上げに腰が引けながらも、涙し、こう語りました。

「9歳の時に日本代表になりたいと言ったことがあって、当時そういう思いを抱いたのは母のおかげ。彼女は野球が大好きで、少年野球の頃はいつも庭でキャッチボールをしたり、ブルペンキャッチャーを務めてくれた。彼女の野球への情熱のおかげで僕は野球が大好きになった。大きくなるにつれ、将来、日本代表になれたら、母がもたらしてくれた自分の中の日本人としての部分に、うまく繋がるだろうと考えていたんだ」

一方、母親の久美子さんはこう話しています。
「このWBCはラーズにとっての甲子園なんじゃないかって」

その答えはまさに『イエス』『オフコース』なのではないでしょうか。

 

【名言語録その3】

「野球選手にならなかったらどんな生活をしていたのかという勉強にもなったし、野球ができることに対して、より深く感謝するきっかけにもなった」

コロナ禍は様々なところに大きな影響を及ぼしました。アメリカでは2020年にスプリング・キャンプは中止となり、メジャーリーグは何とか開催されましたが、マイナーリーグは全スケジュールがキャンセルとなりました。

この時、まだマイナーリーグの選手だったヌートバーは、両親に「ただ空きのケージを探して打ちまくる日々を過ごすのはダメだ。仕事をしろ」と言われたそうです。そこで彼は金槌を打ったり、ネジを回したり、というような肉体労働を朝4時起きで週6日こなし、仕事が終わってから打撃の練習をして、その合間にオンラインで大学の授業も受けました。

「かなりハードな夏だったけど、振り返ってみると、自分の人生や現実と向き合う経験になったので、とても良かったと思っている」

彼が所属するカージナルスの本拠地セントルイスは、全米屈指のベースボールタウンです。そんな場所で野球ができる喜びを噛みしめ、日本代表として世界一になった矜持を胸に、更なる飛躍を見せてくれることでしょう。

 

名言からの学び

・環境が人を作り、人を育てる

・ルーツを知ることは、自分を知ることでもある

・経験はすべて糧となる

 

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