つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

名言

岸孝之の凄さが分かる名言・語録集!優しい天才ノーノー投手の伝説エピソードから努力論まで


わかっているようで、よくわからない、そんな言葉のひとつに「キレ」という言い回しがあります。ビールのCMでもお馴染みの言葉ですが、野球ではよくボールの「キレ」と表現されています。その「キレ」の正体についてはボールの回転数だ、腕の振りの良さだといろいろ言われていますが、いずれにせよ球速表示以上の威力を感じさせるボールです。

そんな「キレ」のあるボールとコントロールの良さでノーヒットノーランも記録した投手が岸孝之です。

キレのあるストレートと絶妙なコントロール、打ち気を逸らすカーブなどで打者を翻弄し、ノーヒットノーランも記録した岸。体育会的な雰囲気を嫌い、高校、大学と野球名門校ではない道を選びながらも、その才能を開花させ、プロとして大きな実績を残し続けています。

2016年オフにはFA移籍で地元の仙台に戻り、ファンから高い人気を誇っている岸ですが、2018年には円熟のピッチングで最優秀防御率のタイトルにも輝き、ベテランとしてその後ろ姿でチームを牽引しています。

今回は「キレ」のあるボールでノーヒットノーランも記録した岸孝之の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

スポンサーリンク

 

岸孝之について

まずは岸孝之の経歴を追ってみます。

1984年12月4日生まれ、宮城県仙台市出身。父親の影響で野球を始めますが、髪を坊主にしなくてもいいという理由で宮城県立名取北高校に入学。地元では好投手として知られていましたが、全国的には無名で、野球と学業の両立を考えて東北学院大学に進学します。大学時代には仙台6大学野球リーグで佐々木主税、金本知憲、矢野耀大らを輩出した強豪である東北福祉大学の35連覇阻止にエースとして貢献。18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。2006年の大学社会人ドラフトの希望枠で西武ライオンズに入団

ルーキーイヤーから先発ローテーション入りし、ライオンズでは松坂大輔以来となる新人2桁勝利を記録。惜しくも新人王は田中将大に輝きましたが特別表彰の優秀新人賞を受賞します。2008年も2桁勝利をかざり、リーグ優勝に貢献。日本シリーズでは先発完封の他、リリーフとしても登板し、日本一に貢献。シリーズMVPにも選ばれました。

2009年と2010年にも2桁勝利をあげ、プロ入りから4年連続で2桁勝利を記録。2011年には故障もあり8勝にとどまりますが、2012年からは3年連続で2桁勝利を重ね、2014年にはわずか1四球のみでノーヒットノーランを達成します。2015年はケガの影響で5勝に終わり、2016年には通算100勝を記録します。そのオフにはFA権を行使し、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。

2017年、8勝をあげてチームのAクラス入りに貢献し、クライマックスシリーズでは古巣のライオンズを相手に勝利投手になるなど活躍します。2018年にはチームトップとなる11勝を記録し、最優秀防御率のタイトルも獲得しました。2019年は度重なる故障もあり3勝に終わりました。

2019年シーズン終了時点で、プロ通算13年間で125勝、防御率3.02。最優秀防御率1回、最高勝率1回。

2020年シーズンも故障からなかなか活躍できていませんが、登板すればしっかり試合をつくってくれる投手として、まだまだ活躍が期待されています。

 

私が選ぶ、岸孝之の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「意識の問題です」

抜群のコントロールで知られる岸ですが、最初からコントロールが良かったわけではありません。新人の時にはリーグワースト2位の四球を与えています。しかし徐々に修正し、プロでも屈指のコントロールを身に付けました。どのように修正したのかについての質問を受けた岸は「意識の問題」と答えました

岸はイニング間に行うキャチボールでも、変化球をあえてワンバウンドさせるなど、低めへの投球意識を常に持って練習しています。岸いわく「ボールを叩きつけるように投げる」という基本イメージを徹底して意識しているのです。

変化球はコントロールを意識しすぎると、投げる際に腕の振りが速球よりも緩くなりがちです。一流の打者となれば、その違いを見逃すことなくタイミングを合わせてきます。なので打ちにくい変化球はしっかりと低めをめがけて腕を振ることが基本です。それが速球でも生き、「キレ」のあるボールになるのです。

岸はその基本を忠実に守り、日頃から強い意識を持った練習をすることでコントロールを克服したのです。

スポンサーリンク

 

【名言語録その2】

「ゲームを作ることだけを考えて、一生懸命に投げるだけなんで」

岸は常にまずはゲームを作ることを意識しているそうです。それは先発投手の仕事としてもっとも重要なことです。

岸の好投手ぶりが一躍知られるようになったのは、2008年の日本シリーズでしょう。読売ジャイアンツの強力な打線を相手に、先発、リリーフと獅子粉塵の活躍をみせ、14回2/3を無失点に抑えて、シリーズのMVPに輝きました。特に当時はスライダーとフォークの全盛期であり、岸が武器のひとつとしているカーブに、ジャイアンツの打者たちは翻弄されました。

令和を迎える頃から、メジャーでも日本でもパワーカーブやナックルカーブなど、カーブ系のボールが見直され、武器とする投手が増えてきました。カーブは400勝投手の金田正一や昭和の怪物江川卓などが得意とした球種であり、再び脚光を浴びるのは嬉しくもあります。

時代がどうであろうと、自身の武器として有効に活用し続けた岸。岸のような存在があったからこそ、今日のカーブ再評価もあるのだと思います。

 

【名言語録その3】

「新たな野球生活が始まったな、と思いました。地元で投げるのは、特別な気持ちです」

FA権を行使して、故郷である仙台をホームとするイーグルスに移籍した岸ですが、翌年のライオンズ戦ではかつてのフランチャイズである所沢で激しいブーイングを繰り返し浴びせられました。メジャーではブーイングもひとつの勲章だと言われますが、ネットでも厳しい言葉が並んでいました。

同じように故郷のチームにFA移籍した選手は他にもいますし、多くは好意的に評価されていますが、なぜか一部のライオンズファンは岸に激しく反発したようです。自由獲得枠での入団というのも理由のひとつだったようですが、それは球団側の都合であり、岸が要求したわけではありません。

高校時代も大学時代も、体育会系の理不尽さに我慢できず、再三野球部を辞めようとした岸ですが、ほぼ無名だった岸に早くから注目したのがライオンズのスカウトでした。大学でドラフト候補にまで成長した頃、高校時代には存在しなかった地元球団のイーグルスが生まれ、本当は地元に残りたかったものの、それまでお世話になったライオンズのスカウトへの恩返しもあり、岸はライオンズへの入団を決めました。

その後、岸はライオンズで100勝以上の勝ち星をあげ、充分に義理を果たしてFA権を行使した経緯を考えると、叩かれた理由がわかりません。

特にライオンズは1979年にフランチャイズが所沢に変わり、新たに地元に球団が出来た感動を覚えているファンがまだたくさんいる筈なので、同じライオンズファンでも地元の球団に行った岸に拍手をした人もたくさんいたと思います。きっとブーイングの中でも岸にはその拍手が届いていたのではないでしょうか。

 

名言からの学び

・意識が結果を変える。

・継承されなければ再評価はない。

・人にも球団にも歴史がある。

 

関連記事

田中将大の凄さがわかる名言・語録集!天才投手の伝説エピソードから努力論まで

藤川球児の凄さが分かる名言・語録集!メジャーから復活した阪神の天才セーブ王の伝説エピソードから人生哲学まで

岩隈久志の凄さが分かる名言・語録集!ノーノー達成のメジャーリーガーの伝説エピソードから努力論まで

スポンサーリンク

-名言

こんな記事も読まれています