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岸田護の凄さが分かる名言・語録集!オリックス一筋の生え抜き監督の伝説エピソードから努力論まで

2005年、オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズの合併は、当時の球界再編論もあり、経営側、選手、ファンを巻き込む大きな騒動となりました。その結果、新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスと分配ドラフトを経て、オリックス・バファローズが誕生します。そのオリックス・バファローズ初の生え抜きの監督が岸田護です。

岸田は2005年の新生バファローズとして初のドラフトでプロ入りし、抜群の制球力を武器に、先発から中継ぎ、クローザーまで務めました。そして引退後も投手コーチとしてチームに貢献し、2025年には監督に就任しました。

チームがオリックスになって以降、他球団での経験がない唯一の生え抜き監督であり、バファローズとの合併後に入団した選手からの監督就任も初であり、その人柄の良さから、チームメイトやスタッフたちからも慕われる存在です。

今回はオリックス一筋の生え抜き監督である岸田護の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論まで迫ります。

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岸田護について

まず岸田護の経歴について追ってみます。

1981年5月10日生まれ、大阪府吹田市出身。小学1年生から野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属。履正社高校では1年生からベンチ入りし、夏の選手権大会に出場しますが、登板機会はありませんでした。高校卒業後は東北福祉大学へ進学。4年生の春にMVPとなり、全日本大学野球選手権大会でベスト4に進出します。大学卒業後はNTT西日本に入社。都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会などで活躍し、2005年のドラフト会議でオリックスバファローズから3位指名を受け、入団します。

ルーキーイヤーは6試合登板に終わりますが、翌2007年にはロングリリーフと先発で4勝をあげます。2008年は故障で離脱、2009年も故障に悩まされますが、初の2桁勝利を記録します。2010年の途中からリーフに転向。クローザーを担うようになります。2011年はリーグ2位の33セーブを記録しました。2013年からは先発転向を目指しては中継ぎに回ることが繰り返され、2019年シーズン限りで引退します。

選手として日本プロ野球通算14年間で、44勝、63ホールド、63セーブ。防御率2.99。

引退後はバファローズのコーチとなり、2025年から監督に就任。

監督として日本プロ野球通算1年間で、74勝66敗。Aクラス1回。

 

私が選ぶ、岸田護の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「どんなにへろへろの球でも、勝ちゲームのままで帰ってくること、チームが勝つことだけを考えています」

抑えとして活躍した印象が強い岸田ですが、プロ入り当初は先発でした。2009年シーズンの後半に安定感を欠いていた抑え投手の配置換えを考えた大石大二郎監督が、ベテラン捕手としてチームを支えていた鈴木郁洋に意見を求めたところ、同じ東北福祉大学の後輩でもある岸田を押したそうです。

鈴木は抑えを務めるには「全責任がかかる最後の砦」であるがゆえ、「そこを任せられる気持ちの強さを持っているのは、うちでは岸田だ」と大石に告げました。

こうして抑えに抜擢された岸田ですが、最初の頃は「三者凡退で、欲を言えば三者三振で帰ってくるという気持ちがあった。どこかキレイに抑えようという意識」したそうです。

「負けたくないし、打たれたくないし、点をあげたくないし、防御率を上げたくない。いろんなことを考えると、つい守りに入ってしまう」

しかしそれで自分を追い詰め、逆にピンチを招くこともあり、腹をくくって開き直った結果、「そんなのいらない」と欲を捨て、「へろへろ球」でも勝てばいいというように切り替えたそうです。

そのキャリアにおいて与四死球率は1.78。奪三振率が8.35。四死球が少なく、三振が取れるということは、ストライクゾーンで勝負が出来る投手だったという証明であり、その制球力と思い切ってストライクゾーンに投げ切れる気持ちの強さこそが、抑えとして活躍できた要因なのでしょう。

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【名言語録その2】

「まだやれると心のどこかで思っていても、違う自分がそれは過信やでと言う」

同僚だった海田智行は、岸田について「私生活も、野球に対する姿勢も、全部がお手本。自己管理や節制を徹底している。後輩への投資と、自分への投資を惜しまない人」と話しています。

「後輩への投資」は、面倒見のよさから「おごってくれる人が来た」と後輩たちに歓迎され、そう言われても気にしない度量があったと星野伸之は語っています。また平野佳寿は「誰に対しても平等にちゃんと接する」と評し「兄貴気質で、人間として大きい人」「親しみやすい先輩で、みんなが自然とついていく」と話しています。

「自分への投資」は体をメンテナンスするための治療器具をそろえたり、遠征先へも自分用のマットレスを持ち込み、ホテルには自腹でベッドを取り外してもらうなどしていました。

高校へ入る時には、別に甲子園に行きたいとも思ってはおらず、自転車で通えるという理由で高校を選び、卒業する頃もスノーボードのインストラクターになろうと考えていた岸田。その一歩引いたような視点が、「平等」で「過信」のないスタイルを生み出したのかもしれません。

上記は岸田の引退セレモニーでの言葉ですが、この部分以外はすべてチームのこと、チームメイトのこと、そしてファンのことと、自分以外の内容でした。それについて山本由伸は「自分の引退セレモニーなのに、チームのことばかり言ってくれて、すごく考えて暮れていたんだなと改めて感じて、すごいカッコいい先輩だなと思いました」と話しています。

その後、良き兄貴としてチームのコーチ、そして監督となっていくのは必然だったと思います。

【名言語録その3】

「パフォーマーたちをどれだけ美しく、格好良く見せられるか。そして勝っていく。それがプロ野球ですから」

2005年に新生オリックスバファローズが誕生して、初の生え抜き監督となる岸田。

「野球は興行、ショーでもあるので。ファンの方が見てくれているので。選手はパフォーマー。パフォーマーたちが頑張って、僕らは縁の下で支えなければいけない。音響さんや照明がいて、僕は舞台監督をやらせていただいているので」

「選手たちには舞台で踊ってもらい、全力で演じ切ってもらうことが一番の目標。もちろん優勝を目指して戦います」

岸田監督、指揮1年目の結果はリーグ3位でしたが、年間を通して日替わりのようなオーダーでした。しかしOPS(出塁率+長打率)を重視した起用で、チーム打率はここ10年で最高を記録しました。

監督の仕事を一文字で表すと、という質問に「苦」(にがい)と答えた岸田。「くるしい」ではなく「にがい」というところに意味を感じます。食べ物や飲み物だけでなく、人も苦みが味わいになります。より苦み走った岸田のこれからに期待したいところです。

 

名言からの学び

・気持ちの強さこそが実力を引き出す

・一歩引くことが多くを見通す距離になる

・プロの舞台は裏方が大事である

 

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