北海道日本ハムファイターズの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
24年は新庄野球が花開き、躍進している北海道日本ハムファイターズ。
今回は北海道日本ハムファイターズの歴代サードをリサーチし、ホットコーナーと言われるポジションを守った歴代選手の年俸や成績についてまとめ、歴代最強の選手をご紹介します。
記録にも記憶にも残る選手たちの実績を確認していきましょう!!
目次
北海道日本ハムファイターズの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にサードを守った選手を一覧にしてみました。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 斎藤 宏 | 12 | 118 | 0.287 | 7 | 46 | |
1951 | 斎藤 宏 | 12 | 99 | 0.245 | 5 | 26 | |
1952 | 斎藤 宏 | 12 | 108 | 0.301 | 4 | 49 | |
1953 | 斎藤 宏 | 12 | 109 | 0.210 | 1 | 19 | |
1954 | 斎藤 宏 | 12 | 102 | 0.186 | 0 | 13 | |
1955 | 西江 一郎 | 2 | 129 | 0.280 | 0 | 30 | |
1956 | 松岡 雅俊 | 25 | 152 | 0.237 | 6 | 48 | |
1957 | 石原 照夫 | 3 | 127 | 0.249 | 0 | 25 | |
1958 | 石原 照夫 | 3 | 111 | 0.229 | 0 | 26 | |
1959 | 石原 照夫 | 3 | 110 | 0.232 | 1 | 16 | |
1960 | 西園寺昭夫 | 7 | 116 | 0.221 | 14 | 33 | |
1961 | 西園寺昭夫 | 7 | 136 | 0.258 | 22 | 73 | |
1962 | 西園寺昭夫 | 7 | 133 | 0.255 | 8 | 45 | |
1963 | 西園寺昭夫 | 7 | 144 | 0.262 | 16 | 63 | |
1964 | 西園寺昭夫 | 7 | 130 | 0.234 | 14 | 51 | |
1965 | 西園寺昭夫 | 7 | 140 | 0.235 | 11 | 36 | |
1966 | 西園寺昭夫 | 7 | 134 | 0.271 | 7 | 33 | |
1967 | 佐野 嘉幸 | 4 | 109 | 0.227 | 8 | 32 | |
1968 | 佐野 嘉幸 | 4 | 100 | 0.182 | 6 | 19 | |
1969 | 佐野 嘉幸 | 4 | 112 | 0.268 | 3 | 35 | |
1970 | 岩下 光一 | 2 | 90 | 0.254 | 3 | 14 | |
1971 | 中原 勝利 | 30 | 107 | 0.201 | 4 | 22 | |
1972 | 高橋 博 | 5 | 89 | 0.242 | 6 | 29 | |
1973 | 阪本 敏三 | 2 | 130 | 0.268 | 10 | 41 | |
1974 | 阪本 敏三 | 2 | 109 | 0.280 | 10 | 47 | |
1975 | ジェスター | 3 | 130 | 0.242 | 9 | 45 | |
1976 | 富田 勝 | 3 | 104 | 0.284 | 10 | 44 | |
1977 | 富田 勝 | 3 | 113 | 0.307 | 9 | 59 | |
1978 | 古屋 英夫 | 5 | 108 | 0.218 | 7 | 32 | |
1979 | 古屋 英夫 | 5 | 109 | 0.313 | 15 | 56 | |
1980 | 古屋 英夫 | 5 | 84 | 0.240 | 9 | 30 | |
1981 | 古屋 英夫 | 5 | 130 | 0.290 | 11 | 73 | |
1982 | 古屋 英夫 | 5 | 130 | 0.291 | 13 | 52 | ダイヤモンドグラブ賞 |
1983 | 古屋 英夫 | 5 | 130 | 0.306 | 19 | 65 | ダイヤモンドグラブ賞 |
1984 | 古屋 英夫 | 5 | 130 | 0.248 | 13 | 52 | |
1985 | 古屋 英夫 | 5 | 127 | 0.300 | 33 | 96 | ダイヤモンドグラブ賞 |
1986 | 古屋 英夫 | 5 | 130 | 0.285 | 21 | 68 | ゴールデングラブ賞 |
1987 | 古屋 英夫 | 5 | 104 | 0.260 | 15 | 69 | |
1988 | 古屋 英夫 | 5 | 106 | 0.248 | 6 | 31 | |
1989 | 古屋 英夫 | 5 | 109 | 0.272 | 14 | 42 | |
1990 | 中島 輝士 | 7 | 117 | 0.253 | 11 | 50 | |
1991 | 小川 浩一 | 25 | 98 | 0.243 | 7 | 20 | |
1992 | 片岡 篤史 | 38 | 124 | 0.287 | 8 | 39 | |
1993 | 片岡 篤史 | 8 | 99 | 0.219 | 11 | 41 | |
1994 | 片岡 篤史 | 8 | 106 | 0.224 | 6 | 39 | |
1995 | 広瀬 哲朗 | 1 | 113 | 0.267 | 2 | 35 | |
1996 | 広瀬 哲朗 | 1 | 119 | 0.256 | 3 | 34 | |
1997 | 片岡 篤史 | 8 | 135 | 0.286 | 17 | 67 | ゴールデングラブ賞 |
1998 | 片岡 篤史 | 8 | 133 | 0.300 | 17 | 83 | 最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1999 | 片岡 篤史 | 8 | 115 | 0.274 | 15 | 63 | |
2000 | 片岡 篤史 | 8 | 135 | 0.290 | 21 | 97 | |
2001 | 片岡 篤史 | 8 | 106 | 0.254 | 16 | 62 | |
2002 | 田中 幸雄 | 6 | 132 | 0.278 | 17 | 53 | |
2003 | 小笠原道大 | 2 | 128 | 0.360 | 31 | 100 | 首位打者、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2004 | 小笠原道大 | 2 | 101 | 0.345 | 18 | 70 | ベストナイン |
2005 | 小笠原道大 | 2 | 133 | 0.282 | 37 | 92 | |
2006 | 木元 邦之 | 10 | 69 | 0.239 | 1 | 21 | |
2007 | 小谷野栄一 | 31 | 113 | 0.253 | 5 | 37 | |
2008 | 小谷野栄一 | 31 | 120 | 0.251 | 6 | 60 | |
2009 | 小谷野栄一 | 31 | 138 | 0.296 | 11 | 82 | ゴールデングラブ賞 |
2010 | 小谷野栄一 | 5 | 144 | 0.311 | 16 | 109 | 打点王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2011 | 小谷野栄一 | 5 | 129 | 0.237 | 5 | 47 | |
2012 | 小谷野栄一 | 5 | 134 | 0.228 | 3 | 39 | ゴールデングラブ賞 |
2013 | 小谷野栄一 | 5 | 139 | 0.275 | 3 | 46 | |
2014 | 近藤 健介 | 54 | 89 | 0.258 | 4 | 28 | |
2015 | レアード | 5 | 143 | 0.231 | 34 | 97 | |
2016 | レアード | 5 | 143 | 0.263 | 39 | 97 | 本塁打王、ベストナイン、日本シリーズMVP |
2017 | レアード | 5 | 137 | 0.229 | 32 | 90 | |
2018 | レアード | 5 | 120 | 0.233 | 26 | 65 | |
2019 | 近藤 健介 | 8 | 138 | 0.302 | 2 | 59 | 最高出塁率 |
2020 | ビアヌエバ | 44 | 54 | 0.220 | 4 | 19 | |
2021 | 野村 佑希 | 24 | 99 | 0.267 | 7 | 37 | |
2022 | 野村 佑希 | 24 | 93 | 0.279 | 6 | 36 | |
2023 | 清宮幸太郎 | 21 | 99 | 0.244 | 10 | 41 |
1950年代
50年代は4人の選手が守りにつき、50年からの5年間は斎藤宏選手が務め、52年はチームトップの打率.301を記録しました。その斎藤選手に代わって55年に守ったのは阪神を54年オフに自由契約となり入団した西江一郎選手、56年は早稲田大学から入団した松岡雅俊選手が152試合に出場しました。
松岡選手がセカンドに回った57年はショートを守っていた石原照夫選手がサードに移り、58年には当時の日本記録となる154守備機会連続無失策を記録しました。
1960年代
59年まで守った石原選手に代わり、60年はショートから西園寺昭夫選手が回り、上位打線で起用されて66年まで毎年130試合以上に出場しました。
66年オフに西園寺選手は阪神へトレードで移籍し、66年にショートのレギュラーとして起用されていた佐野嘉幸選手がサードを守り、69年に初めて規定打席に到達しました。
1970年代
ショートを守っていた選手がサードに移ることが多く、60年代前半にショートのレギュラーを務めた岩下光一選手が70年はサードを守り、岩下選手が引退することとなった71年はプロ3年目だった中原勝利選手が前年の11試合から大きく出場試合数を多く伸ばして107試合に出場しましたが、翌年は南海から移籍してきた高橋博選手にポジションを譲りました。
73年からの2年はショートを守っていた阪本敏三選手が起用され、75年はジェスターの登録名でプレーしたゲーリー・ジェスタッド選手が球団初の外国人野手として入団しましたが、1年で大洋に移籍、翌76年は巨人からトレードで加入した富田勝選手が守り、レギュラー2年目だった77年にはリーグ6位となる打率.307を記録しました。
富田選手は78年にセカンドにポジションを移し、77年のドラフト2位で亜細亜大学から入団した古屋英夫選手が開幕直後にレギュラーを獲得、79年に打率.313、15本塁打、56打点の好成績を残して、レギュラー定着を果たしました。
1980年代
古屋選手は89年までで5シーズン全試合出場を果たし、どの打順でも実力を発揮してチームに貢献、守備でも瞬発力を活かして打球を好捕し、4回(ダイヤモンドグラブ賞3回、ゴールデングラブ賞1回)守備の名手に贈られる賞を受賞する等、活躍しました。
1990年代
古屋選手が代打に回った91年は前年セカンドを守っていた小川浩一選手がサードを務め、92年は大卒ルーキーの片岡篤史選手が抜擢されて124試合に出場、3年間サードを守りましたが、94年に負った肘痛の影響で95年からの2年はファーストに回りました。
空いたサードにはショートから広瀬哲朗選手が移り、95年と96年の2年務めて両年とも110試合以上に出場しました。
97年に巨人から落合博満選手が加入してファーストを守ることになり、再び片岡選手がサードへコンバートされ、片岡選手は3番打者として97年から3年連続で二桁本塁打を放ち、98年には打率.300を記録しました。97年から2年連続でゴールデングラブ賞に選出、98年にはベストナインを受賞する等、攻守にわたりチームを牽引しました。
2000年代
片岡選手は00年に自己最多となる21本塁打を放つなど、中軸打者として結果を残していましたが、01年オフにFA権を行使して阪神へ移籍、02年はレフトから田中幸雄選手が回り、田中選手が指名打者を務めるようになった03年はファーストから小笠原道大選手がコンバートされ、打率.360、31本塁打、100打点を記録して2年連続となる首位打者に輝き、サード部門で初となるベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。
確実性に加えて、長打力と勝負強さを兼ね備えた3番打者として04年は打率.345、70打点、05年は37本塁打92打点を記録した小笠原選手は06年に再びファーストに回り、06年は木元邦之選手が多く起用され、07年にポジションを掴んだのは小谷野栄一選手でした。
07年の途中からレギュラーとして出場するようになった小谷野選手は、08年にプロ6年目で初めて開幕スタメンを果たし、09年にはゴールデングラブ賞に選出されました。
2010年代
引き続き小谷野選手がレギュラーを務め、10年は全試合出場を果たして109打点で打点王を獲得、ベストナインと2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞しました。クリーンアップの一角やクリーンアップの後ろを打つポイントゲッターで起用されていましたが、14年シーズン途中にプレー中の怪我で離脱、代わりに近藤健介選手が起用されました。
元々キャッチャーだった近藤選手は翌年に指名打者に回り、チームは大砲候補としてブランドン・レアード選手を獲得、来日1年目の15年に37本塁打を放ち期待に応えると翌16年は39本塁打を記録して本塁打王とベストナインを受賞し、日本シリーズでも3本塁打で日本一に導き、日本シリーズMVPに輝きました。
17年と18年も本塁打を量産したレアード選手でしたが、18年の契約満了をもって退団、19年は外野にポジションを移していた近藤選手が14年以来となるサードのレギュラーとして起用されました。
20年に近藤選手が再度外野に移ると巨人から移籍してきたクリスチャン・ビアヌエバ選手がメインで起用されましたが、思うような成績が残せずに1年で退団、21年は高卒3年目の野村佑希選手が抜擢されました。
22年になると野村選手はこの年就任した新庄剛志監督により4番で起用され、打線の中心を担い、野村選手がファーストに回った23年は入れ替わる形で清宮幸太郎選手がサードにポジションを移し、二桁本塁打を記録しました。
北海道日本ハムファイターズの歴代サード(三塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸は小笠原道大選手の4億3000万円!
ここでは北海道日本ハムファイターズの歴代サードを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はサードのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合 |
1 | 2005 | 小笠原 道大 | 4億3000万円 | 0.282 | 133 |
2 | 2018 | B.レアード | 3億0000万円 | 0.233 | 120 |
3 | 2001 | 片岡 篤史 | 1億8000万円 | 0.246 | 106 |
4 | 2011 | 小谷野 栄一 | 1億4600万円 | 0.237 | 129 |
5 | 2002 | 田中 幸雄 | 1億4000万円 | 0.278 | 132 |
北海道日本ハムファイターズのサードは、多くの選手が守りについていますが、1位は03年から3年間守り、03年には首位打者を獲得した小笠原道大選手で、05年の4億3000万円が最高年俸となりました。03年は打率.360、31本塁打、100打点を記録、04年は打率.345をマークし、迎えた05年は37本塁打92打点と結果を残して打線を牽引しました。
2位は3億円のブランドン・レアード選手で、15年に来日していきなり34本塁打を放ち、翌年は39本塁打を記録して本塁打王に輝きました。3年連続で30本塁打以上を記録、最高年俸となった18年も26本のアーチを描きました。
3位は01年の片岡篤史選手です。90年代初めからサードのレギュラーを務め、00年に自己最多となる21本塁打を放ち、クリーンアップの一角としてチームを支えました。1億8000万円でプレーした01年オフにFAで阪神に移籍しました。
4位にランクインしたのは11年に1億4600万円でプレーした小谷野栄一選手です。07年から13年までレギュラーを務めて、10年に全試合出場を果たし、勝負強いバッティングで109打点を挙げ打点王を獲得すると自己年俸に到達しました。
5位は02年の田中幸雄選手。打てるショートとして長年レギュラーを務めていましたが、片岡選手の移籍後サードに回り、1億4000万円でプレーしました。サードでも17本塁打を記録して、実力を発揮しました。
私が思う歴代最強の北海道日本ハムファイターズのサード(三塁手)は小笠原道大選手!
強打者の多い北海道日本ハムファイターズのサードですが、歴代最強のサードはフルスイングでファンを魅了し、骨折していても本塁打を放つ「ガッツ」こと小笠原道大選手ではないでしょうか。
ここで、小笠原道大選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者
生年月日:1973年10月25日
身長:178cm
出身:千葉県
最終学歴:暁星国際高校
血液型:A型
1973年(昭和48年)10月25日生まれ、千葉県千葉市美浜区出身。暁星国際高校から社会人のNTT関東に進み、96年のドラフト会議で3位指名を受けて日本ハムファイターズに入団しました。
社会人時代はキャッチャーを守っていましたが、プロ入り当時の登録は内野手で、内野手登録ながらプロ1年目は23試合でスタメンマスクを被り、プロ2年目はキャッチャー登録、3年目で再び内野手に変更されてファーストのレギュラーを獲得しました。
今では当たり前となった2番打者に強打者を置き、バントをさせない戦術の先駆けとして、99年は2番を打ち、リーグ5位の25本塁打を放つ等打線を牽引し、ファーストを守った99年から02年までの4年間で首位打者1回、最多安打2回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞を4回獲得しました。
03年からサードにポジションを移しても実力どおりの結果を残し続け、03年は打率.360、31本塁打、100打点で首位打者に輝き、翌04年も打率.345のハイアベレージを記録、05年は打率こそ3割を下回りましたが、37本塁打を放ちました。
ヘルメットが飛ぶほどのフルスイングから広角に打ち分け、確実性と長打力を兼ね備えた強打者として打線の中心を担い、サードを守った3年間でも好成績を残し続けた小笠原選手が、北海道日本ハムファイターズ歴代最強のサードでしょう。
北海道日本ハムファイターズの歴代サード(三塁手)に関する豆知識
78年から89年まで長きにわたりファイターズのホットコーナーを守った古屋英夫選手。瞬発力のある守備で守備の名手に贈られるダイヤモンドグラブ賞とゴールデングラブ賞を通算4回受賞していますが、打撃面でプロ野球史上初の記録を達成しています。
レギュラー定着後しばらくは下位打線を打つことが多かった古屋選手ですが、徐々に打順が上がっていき、打率.306を記録した83年は5番、33本塁打と長打力を見せつけた85年は主に4番を務めました。
レギュラー定着後は80年と88年を除いて二桁本塁打を記録しており、上位・中軸・下位と様々な打順で本塁打を記録、86年の5月に9番で本塁打を打ち、プロ野球史上初の全打順での本塁打記録者となりました。
まとめ
・西園寺昭夫選手や古屋英夫選手、小谷野栄一選手が長くレギュラーとしてプレーしていた。
・小笠原道大選手や小谷野選手、ブランドン・レアード選手が打撃主要タイトルを獲得している。
・歴代で一番年俸が高かったのは、05年シーズンの小笠原選手の4億3000万円。
・小笠原選手はファーストでも抜群の実績を残し、サード転向後の3年間も首位打者を獲得する等、好成績を残し続けた歴代最強のサードである。
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