中日ドラゴンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
戦前からの長い歴史を持つ中日ドラゴンズのキャッチャーをこれまで多くの選手が守ってきました。
今回は中日ドラゴンズの歴代キャッチャーをリサーチして、中日ドラゴンズ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。
球界を代表する選手や意外な選手が登場するかもしれません。それでは見ていきましょう。
目次
中日ドラゴンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 野口 明 | 6 | 137 | 0.271 | 18 | 73 | |
1951 | 野口 明 | 6 | 108 | 0.265 | 8 | 49 | ベストナイン |
1952 | 野口 明 | 6 | 114 | 0.269 | 8 | 63 | ベストナイン |
1953 | 野口 明 | 6 | 90 | 0.269 | 2 | 38 | |
1954 | 野口 明 | 6 | 91 | 0.236 | 1 | 27 | |
1955 | 河合 保彦 | 22 | 113 | 0.192 | 5 | 34 | |
1956 | 河合 保彦 | 22 | 96 | 0.189 | 3 | 15 | |
1957 | 吉沢 岳男 | 33 | 82 | 0.195 | 0 | 8 | |
1958 | 吉沢 岳男 | 33 | 100 | 0.210 | 3 | 22 | |
1959 | 吉沢 岳男 | 9 | 114 | 0.171 | 4 | 26 | |
1960 | 吉沢 岳男 | 9 | 112 | 0.211 | 5 | 25 | |
1961 | 吉沢 岳男 | 9 | 119 | 0.190 | 2 | 18 | |
1962 | 江藤 慎一 | 8 | 133 | 0.288 | 23 | 61 | |
1963 | 小川 敏明 | 51 | 101 | 0.211 | 3 | 23 | |
1964 | 小川 敏明 | 51 | 90 | 0.205 | 0 | 11 | |
1965 | 木俣 達彦 | 23 | 132 | 0.248 | 10 | 38 | |
1966 | 木俣 達彦 | 23 | 126 | 0.224 | 9 | 41 | |
1967 | 新宅 洋志 | 19 | 88 | 0.215 | 6 | 24 | |
1968 | 木俣 達彦 | 23 | 118 | 0.289 | 21 | 59 | |
1969 | 木俣 達彦 | 23 | 120 | 0.268 | 33 | 60 | ベストナイン |
1970 | 木俣 達彦 | 23 | 128 | 0.283 | 30 | 65 | ベストナイン |
1971 | 木俣 達彦 | 23 | 126 | 0.280 | 27 | 71 | ベストナイン |
1972 | 木俣 達彦 | 23 | 125 | 0.268 | 21 | 48 | |
1973 | 木俣 達彦 | 23 | 117 | 0.251 | 9 | 32 | |
1974 | 木俣 達彦 | 23 | 123 | 0.322 | 18 | 50 | |
1975 | 木俣 達彦 | 23 | 119 | 0.279 | 3 | 43 | |
1976 | 木俣 達彦 | 23 | 121 | 0.302 | 14 | 40 | |
1977 | 木俣 達彦 | 23 | 123 | 0.310 | 13 | 51 | ベストナイン |
1978 | 木俣 達彦 | 23 | 117 | 0.294 | 16 | 55 | |
1979 | 木俣 達彦 | 23 | 126 | 0.312 | 17 | 72 | ベストナイン |
1980 | 木俣 達彦 | 23 | 125 | 0.298 | 18 | 67 | |
1981 | 中尾 孝義 | 9 | 116 | 0.243 | 5 | 26 | |
1982 | 中尾 孝義 | 9 | 119 | 0.282 | 18 | 47 | MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1983 | 中尾 孝義 | 9 | 92 | 0.244 | 16 | 43 | |
1984 | 金山 卓嗣 | 44 | 82 | 0.207 | 4 | 10 | |
1985 | 中尾 孝義 | 9 | 72 | 0.284 | 11 | 29 | |
1986 | 中尾 孝義 | 9 | 98 | 0.238 | 9 | 20 | |
1987 | 中尾 孝義 | 9 | 94 | 0.291 | 16 | 40 | |
1988 | 中村 武志 | 39 | 98 | 0.236 | 5 | 21 | |
1989 | 中村 武志 | 39 | 125 | 0.270 | 7 | 41 | |
1990 | 中村 武志 | 39 | 97 | 0.250 | 7 | 21 | |
1991 | 中村 武志 | 39 | 104 | 0.270 | 20 | 62 | |
1992 | 中村 武志 | 39 | 113 | 0.245 | 6 | 31 | |
1993 | 中村 武志 | 39 | 127 | 0.218 | 18 | 46 | |
1994 | 中村 武志 | 39 | 125 | 0.256 | 9 | 50 | |
1995 | 中村 武志 | 39 | 94 | 0.256 | 8 | 32 | |
1996 | 中村 武志 | 39 | 115 | 0.271 | 12 | 37 | |
1997 | 中村 武志 | 39 | 102 | 0.232 | 8 | 36 | |
1998 | 中村 武志 | 39 | 128 | 0.236 | 5 | 42 | |
1999 | 中村 武志 | 39 | 127 | 0.200 | 6 | 42 | |
2000 | 中村 武志 | 39 | 126 | 0.244 | 4 | 34 | |
2001 | 中村 武志 | 39 | 134 | 0.265 | 2 | 27 | |
2002 | 谷繁 元信 | 7 | 130 | 0.215 | 24 | 78 | |
2003 | 谷繁 元信 | 7 | 112 | 0.264 | 18 | 69 | |
2004 | 谷繁 元信 | 27 | 121 | 0.260 | 18 | 68 | |
2005 | 谷繁 元信 | 27 | 141 | 0.234 | 14 | 65 | |
2006 | 谷繁 元信 | 27 | 141 | 0.234 | 9 | 38 | ゴールデングラブ賞 |
2007 | 谷繁 元信 | 27 | 134 | 0.236 | 6 | 44 | ゴールデングラブ賞 |
2008 | 谷繁 元信 | 27 | 113 | 0.234 | 2 | 27 | |
2009 | 谷繁 元信 | 27 | 115 | 0.208 | 9 | 33 | ゴールデングラブ賞 |
2010 | 谷繁 元信 | 27 | 110 | 0.244 | 7 | 32 | |
2011 | 谷繁 元信 | 27 | 102 | 0.256 | 6 | 31 | ゴールデングラブ賞 |
2012 | 谷繁 元信 | 27 | 134 | 0.228 | 5 | 32 | ゴールデングラブ賞 |
2013 | 谷繁 元信 | 27 | 130 | 0.216 | 6 | 34 | |
2014 | 谷繁 元信 | 27 | 91 | 0.195 | 1 | 23 | |
2015 | 杉山 翔大 | 45 | 64 | 0.183 | 3 | 17 | |
2016 | 杉山 翔大 | 45 | 104 | 0.260 | 3 | 27 | |
2017 | 松井 雅人 | 38 | 87 | 0.221 | 2 | 17 | |
2018 | 松井 雅人 | 38 | 92 | 0.229 | 2 | 22 | |
2019 | 加藤 匠馬 | 52 | 92 | 0.228 | 0 | 13 | |
2020 | 木下 拓哉 | 35 | 88 | 0.267 | 6 | 32 | |
2021 | 木下 拓哉 | 35 | 123 | 0.270 | 11 | 43 |
1950年代
50年代は3人の選手がレギュラーを務めました。49年からレギュラーを務めていた野口明選手は、51年と52年にベストナインを連続で受賞し、55年に兼任監督に就任するまでレギュラーを務めました。
55年からは河合保彦選手が2年起用され、57年からは吉沢岳男選手がポジションを奪い、卓越したリードを武器に試合に出場し続けました。
1960年代
吉沢選手は61年までレギュラーを務め、61年も119試合に出場しましたが、翌年近鉄に移籍することになり、キャッチャーで入団しながら内外野でレギュラーとしてポジションを確保していた江藤慎一選手が62年は起用され、23本塁打を放ちました。
翌年に江藤選手がキャッチャーから外れると、小川敏明選手が2年務めましたが定着には至らず、65年は前年途中に大学を中退して入団していた木俣達彦選手が起用されました。
木俣選手は67年こそ怪我で出場機会が減少し、新宅洋志選手が務めますが、翌年は木俣選手がレギュラーに返り咲き、69年にセリーグのキャッチャーとして初の30本塁打を達成し、初のベストナインを受賞しました。
1970年代
木俣選手は引き続き扇の要を務め、70年と71年にもベストナインを受賞し、ベストナインの受賞は3年連続となりました。毎年100試合以上の出場を続け、「打てるキャッチャー」として活躍を続けました。
70年代は73年と75年を除き2桁本塁打を放ち、77年と79年にベストナインを受賞しました。
1980年代
80年まで木俣選手はレギュラーとして起用されましたが、ベテランの域に達していたため、81年からは80年のドラフト1位だった中尾孝義選手がポジションを掴み、116試合に出場しました。翌年は打率.282、18本塁打、47打点を記録し、セリーグのキャッチャーとして初めてMVPを獲得、ベストナインとゴールデングラブ賞を同時受賞しました。
怪我で84年は金山卓嗣選手が代わりを務め、85年から再び中尾選手が起用されましたが、88年から外野に転向しました。
代わりに起用されたのは高卒4年目の中村武志選手でした。
1990年代
中村選手は90年代全ての年でレギュラーとして出場し、91年にキャリアハイとなる20本塁打を放ちました。
守備面では強肩を武器にピッチャーを支え、毎年高い盗塁阻止率を記録しており、95年には盗塁阻止率.519の好成績を収めました。
2000年代
中村選手は01年までレギュラーとして出場を続けましたが、同年オフにチームは、横浜のレギュラーキャッチャーだった谷繁元信選手をFAで獲得し、中村選手は出場機会を求めて谷繁選手と入れ替わる形で横浜に移籍しました。
FAで入団した谷繁選手は移籍1年目からマスクを被り、02年は自己最多となる24本塁打、78打点を記録し、04年は落合博満監督の就任即リーグ優勝に貢献、06年と07年、09年にゴールデングラブ賞を受賞しました。
2010年代
監督兼任1年目となった14年まで谷繁選手はレギュラーとして出場を続けました。11年と12年は2年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、12年には24年連続となる本塁打を打ち、入団1年目からの連続シーズン本塁打のプロ野球新記録を樹立、この記録は現役最終年となった15年まで更新しました。
監督に重きを置いた15年はプロ3年目の杉山翔大選手がチームのキャッチャーの中で最多出場を果たし、16年も104試合に出場しましたが、17年は打撃不振で代わりに松井雅人選手がマスクを被りました。
松井選手は18年もレギュラーとして起用されますが、19年に加藤匠馬選手にポジションを奪われると同年オフにオリックスにトレードで移籍し、加藤選手は強肩を武器に出場数を増やしました。
その加藤選手もレギュラー定着には至らず、20年は5年目の木下拓哉選手が台頭、21年は123試合に出場しました。
中日ドラゴンズの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は谷繁元信選手の2億5000万円!
ここで中日ドラゴンズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2003 | 谷繁 元信 | 2億5000万円 | 0.264 | 112 |
2 | 2000 | 中村 武志 | 1億3000万円 | 0.244 | 126 |
3 | 1980 | 木俣 達彦 | 2500万円 | 0.298 | 125 |
4 | 2021 | 木下 拓哉 | 2400万円 | 0.270 | 123 |
5 | 1987 | 中尾 孝義 | 2050万円 | 0.291 | 94 |
多数の選手がマスクを被った中日ドラゴンズのキャッチャーですが、年俸は上位2人が下位3人を大きく引き離しています。1位は谷繁元信選手で、03年の2億5000万円が歴代最高年俸でした。FAで横浜から加入し、在籍2年目の03年に最高年俸となり、03年は前年より少し出場試合数は減りましたが、18本塁打を記録しました。
2位は1億3000万円の中村武志選手で、長年レギュラーとしてチームを支え、FA権を行使せずに残留した99年オフに1億3000万円になりました。00年も126試合に出場し、レギュラーとして活躍しました。
3位は80年の木俣達彦選手の2500万円です。60年代後半からレギュラーとして活躍した名キャッチャーは、79年に5回目のベストナインを受賞しました。当時は選手の年俸が低く、現代であれば億を超えていたこと間違いなしです。
4位は21年の木下拓哉選手。プロ5年目の20年にポジションを掴み、88試合に出場すると年俸は2400万円になりました。21年シーズンは123試合に出場し、パンチ力のあるバッティングを見せ、11本塁打を放ちました。
5位にランクインしたのは中尾孝義選手でした。ルーキーだった81年から木俣選手の後を受けレギュラーとして起用され、82年にはセリーグのキャッチャーとして初となるシーズンMVPを獲得する活躍を見せました。中日ドラゴンズ在籍最終年だった87年の2050万円が自身最高年俸となりました。
私が思う歴代最強の中日ドラゴンズのキャッチャー(捕手)は木俣達彦選手!
何人ものリーグを代表する選手が中日ドラゴンズの扇の要としてプレーしましたが、歴代最強のキャッチャーは木俣達彦選手だと考えます。
ここで、木俣達彦選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1944年7月7日
身長:173cm
出身:愛知県
最終学歴:中京大学中退
血液型:O型
1944年(昭和19年)7月7日生まれ、愛知県岡崎市出身。中京商業高校から中京大学に進み、大学2年次の1964年に中退して中日ドラゴンズに入団しました。
プロ1年目から出場機会を得て、2年目の65年からレギュラーに定着しました。現役通算19年で2142試合に出場して打率.277、285本塁打、872打点を記録しています。
「打てるキャッチャー」として活躍し、69年にはセリーグのキャッチャーとして初となる30本塁打以上となる33本塁打を記録、翌年も30本塁打を放ちました。毎年120試合前後に出場し、通算で5回ベストナインを受賞しています。
60年代後半から80年まで長年にわたりレギュラーを務め、「打てるキャッチャー」として打撃面で活躍した木俣選手が中日ドラゴンズ歴代最強のキャッチャーだと考えます。
中日ドラゴンズの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識
65年にレギュラーに抜擢された木俣達彦選手以降、中日ドラゴンズのキャッチャーのレギュラーは1人の選手が長く務める傾向がありましたが、近年はレギュラーが定まっていません。
セリーグのキャッチャーとして初めてMVPを獲得した中尾孝義選手、強肩を武器に投手陣を支えた中村武志選手、横浜からFAで移籍して選手兼任監督も務めた谷繁元信選手の3人が複数年務めましたが、谷繁選手が引退して監督に専念してからは1~2年でレギュラーキャッチャーが代わり、レギュラーを奪われた選手はトレードや戦力外で次々に退団しています。
21年シーズンに木下拓哉選手が谷繁選手以来となるシーズン120試合以上に出場し、久しぶりにレギュラーを長く務める選手となることを期待されています。
まとめ
・中日ドラゴンズのキャッチャーは木俣達彦選手や中村武志選手、谷繁元信選手が長くレギュラーを務めた。
・木俣選手がベストナインを5回、中尾孝義選手がセリーグのキャッチャーとして初となるMVP、谷繁選手が5回ゴールデングラブ賞に輝いている。
・歴代で一番年俸が高かったのは、谷繁選手の2億5000万円。
・木俣選手はセリーグのキャッチャーとして初めて30本塁打以上を放ち、通算でも285本塁打を記録している中日ドラゴンズ歴代最強のキャッチャーである。
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