三木肇の凄さが分かる名言・語録集!愛称「三木ママ」の伝説エピソードから努力論まで

プロ野球選手は、引退後も野球に関わる仕事をしたいと考える場合が多いようです。しかしプロ野球の指導者は監督とコーチを合わせて、1チーム20名ちょっとがほとんどです。つまり現役選手よりも狭き門だと言えます。そんな中、現役引退後も一度も現場を離れることなく、ユニフォームを着続けているのが、三木肇です。
三木は1996年にプロ入りして以来、2008年に引退した後も3球団でコーチや監督を務めて続けており、2026年シーズンには30年間プロ野球の世界に携わってきたことになります。選手としてはもちろん、コーチや監督であれ結果を求められる世界で、これだけ続いているのは凄いことです。
現役時代に野村克也の教えを受け、梨田昌孝、栗山英樹ら優れた監督の元でコーチを務めた三木。名将たちの薫陶を受け、東北楽天ゴールデンイーグルスでは自らが2軍監督時代に育てた選手たちを、1軍でも活躍させ、厳しくも優しく見守る姿から「三木ママ」と呼ぶファンもいます。
今回はファンに「三木ママ」と親しまれる三木肇の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
三木肇について
まずは三木肇の経歴について追ってみます。
1997年4月25日生まれ、大阪府大阪市出身。ボーイズリーグで野球を始め、上宮高校では高校通算23本塁打を記録。1995年のドラフト会議でヤクルトスワローズが1位指名し、入団します。
1997年に1軍初出場を果たしますが、初安打は2000年。2001年には79試合に出場したものの結果が残せず、1軍と2軍を行ったり来たりし、出場しても守備固めや代走が中心でした。2004年、スイッチヒッターにチャレンジします。2008年に北海道日本ハムファイターズに移籍。同年限りで引退します。
選手として日本プロ野球通算13年間で59安打、2本塁打、盗塁30、打率.195。
引退後はファイターズの2軍コーチに就任。2012年には1軍コーチへと昇格。2014年からはスワローズの2軍コーチ、2015年に1軍コーチに昇格し、翌年からヘッドコーチへ。2018年は2軍チーフコーチ。2019年から東北楽天ゴールデンイーグルスの2軍監督、2020年に1軍監督に就任。2021年から再び2軍監督に戻りますが、2024年から1軍監督に再起用されます。
監督として日本プロ野球通算2年間で122勝131敗。
私が選ぶ、三木肇の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「いろいろなことを解釈する能力や受け取め方が上がってくると、練習方法も変わって思考が上がる」
現役時代にはレギュラーを手にすることが出来なかった三木。バッテリー以外のすべてのポジションを守り、スイッチヒッターに挑戦するなど、控え選手だからこその苦労と経験を積み重ねました。
野村克也に「生き残るために一芸を磨け」と諭され、更にあるコーチには「三木って大阪人やろ?間を読んだり、相手の裏をかいたりするのは得意科目やんか。なにを正統派の走塁してんのや」と言われて、自分なりに色々走塁の勉強をするようになったそうです。
また左手首を痛めたことから、リハビリのひとつとして、いつもとは逆に左で打っていたら若松勉からそのまま「左で打ってみろ」と言われて、チャレンジしました。
「レギュラーとしての道を極められなかったけれど、色々な経験ができたのは自分の財産だと思います」
現役を引退し、指導者となった三木は、北海道日本ハムファイターズで栗山英樹監督のもと、2005年時点でオリックスバファローズGMの福良淳一、同じく前監督の中島聡、現千葉ロッテマリーンズ監督の吉井理人、日本代表元監督の稲葉篤紀といったそうそうたる顔ぶれと共にチーム作りをしました。
「野球の捉え方や野球観の話をするとそれぞれ違うんですよ。その後監督を経験された方も多いけれど、みんな野球観の芯は持ちつつ、固定観念や先入観にとらわれず新しいことを柔軟に取り入れている。色々な意見を言い合って、沢山のことを学びましたね」
様々な役割を果たしたり、経験をしたりして、他の人の考えも受け止め、自分なりに解釈することで、三木は野球人として成長してきたのです。
【名言語録その2】
「僅差は大差」
現役時代は名将野村克也の他、若松勉、古田敦也らのもとでプレーし、指導者としても様々な同僚から多くを学んだ三木は「僅差は大差」だという言葉を大事にしています。ひとつのマイナスでも積み重なると大きな損失になる。「そういうのがもったたいないなって思うから、選手に気付かせたい」と考えているそうです。
「常に客観的に自分を見つめて、人が気付かないことにも目を向ける。そういうのって、本当に小さなことかもしれないけど、いつか必ず役に立ってくるから」
「僕はね、選手たちに野球のプロを目指して欲しいんですよ」
「プロ野球選手」ではなく「野球のプロ」。似ているようでいて決定的に違っている言葉です。「プロ野球選手」はプロになった野球選手のこと。「野球のプロ」は野球の真髄を極める者のことです。
そう考えるようになったのは、現役時代に「もっと努力できたんじゃないか」と三木自身が思うことが原点にあります。
「ケガもよくしましたし、自己管理も含めて甘かった。もっと自意識を上げていかなければこの世界では厳しいと今になれば分かりますけど、時すでに遅しですよね」
だからこそ「選手たちには現状に満足して欲しくないし、常にもっと出来ることはないか探して欲しい」と思っています。それが三木の指導者としての理念なのです。
【名言語録その3】
「ポジションは自分で決めるものではないし、必要なかったらいらん、って言われるわけだから」
三木が最初に監督に就任したのは2020年。コロナ禍に見舞われている最中でした。「特別な状況だったこともあるし、無我夢中で突っ走った感じでしたね」と初采配の感想を述べています。難しい状況の中、チームは12球団最多となる逆転負けを喫し、シーズン4位で終わります。その結果、わずか1年で解任となり、2軍監督に戻ることになりました。
「またファームを頼むと言われた時、僕の中では若い選手たちのため、このチームの将来のためと思って前向きに引き受けました」
イーグルスは短い期間で監督を変える傾向があり、大久保博元、平石洋介、今江敏晃はわずか1年だけ指揮を取り、その後は別ポストのオファーがあってもチームを離れています。しかし三木はそのまま残りました。
そして2025年に再び1軍監督に復帰します。打診を受けた時は「かなり考えました」という三木。「1度経験させていただているからこそ、軽い気持ちでは絶対に引き受けられないと思っていました」と語り、「覚悟をもって引き受けた」そうです。
理想の指揮官像は「頼りがいのある人」だと話していますが、長くチームの2軍監督を務めた経験から、教え子たちの頼れる「三木ママ」として、活躍してくれることでしょう。
名言からの学び
・思考の柔軟さが現状の自分を超える知恵となる
・日々のわずかな差が将来の大きな差になる
・必要こそ、最大の動機である
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