井上一樹監督の凄さが分かる名言・語録集!愛称「ピンキー」の伝説エピソードから人生論まで

かつて王貞治は素手でバットを握っていました。しかし今の打者はほとんどの選手がバッティンググローブをつけ、リストバンド、肘当てや脛当てなど、様々な用具を装備して、打席に立つようになっています。かつてまだカラフルな色合いの用具が少なかった時代に、派手なピンクのリストバンドをつけ、「ピンキー」とあだ名をつけられたのが井上一樹です。
今、プロ野球でのリストバンドは、実用性の面はもちろんのこと、選手の個性を示すものとしても役立っています。更には地球温暖化への取り組み支援のためにグリーンであったり、乳がんへの取り組みを支援するピンクリボン運動応援のためにピンクであったり、社会活動の一環としても使われています。
それをトレードマークとしていち早く取り入れた井上。最初は当時監督だった星野仙一に許されないのではとおっかなびっくりだったそうですが、何も言われずほっとしたと語っています。そしてチームの主軸として成長し、ついに監督にも抜擢されました。
今回はピンクのリストバンドで「ピンキー」と呼ばれた井上一樹監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生論にまで迫ります。
井上一樹について
まず井上一樹の経歴について追ってみます。
1971年7月25日生まれ、鹿児島県姶良郡溝辺町(現霧島市)出身。小学生の時にソフトボールを始め、中学では軟式野球部に所属。鹿児島商業高校に進学し、高校2年夏の選手権大会で甲子園に出場。高校通算40本塁打を記録し、投手としても打者としても注目されました。1989年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け、入団します。
1991年、投手として1軍デビューを果たしますが、1993年の途中から打者に転向。1997年に初本塁打を記録。翌1998年から4年連続で100試合以上に出場し、1999年には規定打席数に達し、初の2桁本塁打を放ちます。その後も常に激しいレギュラー争いを続けますが、規定打席には達することはありませんでした。2005年から3年間、選手会長に就任。2009年シーズン限りで引退します。
選手として日本プロ野球通算19年間で、863安打、79本塁打、13盗塁、打率.275。また投手として1敗、防御率6.75。
引退後はドラゴンズの1軍コーチに就任。2011年に2軍監督、2012年再び1軍コーチとなりますが、2013年限りで退団。その後は野球解説者や評論家として活躍。2020年に阪神タイガースの1軍コーチ、2021年からはヘッドコーチを務めますが、2022年限りで退団。2024年には古巣のドラゴンズで2軍監督に返り咲き、2025年から1軍監督に就任しました。
監督として日本プロ野球通算1年間で、63勝78敗。
私が選ぶ、井上一樹の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「本当に紙一重の男なんです」
ドラフト2位とはいえ、当初は支配下登録外で、今の育成選手のような扱いだった井上。投手として1軍デビューも果たしますが、結果は残せませんでした。
ある試合で打ち込まれた帰りのバスの中、思わず涙をこぼしていた井上に、当時チームの主砲であり、スーパースターだった落合博満が「何泣いてんだよ。この世界はやるかやられるかなんだよ。ベソかいてたんじゃあ、この道では生きていけねぇんだぞ。泣くんじゃねえ」と声をかけられたそうです。その言葉が心の支えとなり、投げやりにならずに済みました。
井上はプロ5年目のシーズン前に野手へ転向します。投手失格から野手としてかろうじて首がつながったのは、たまたま春の教育リーグで野手に怪我人が続出し、戦力として期待されていなかった井上が外野に入り、その試合で2本のヒットを放ったことです。それが首脳陣の目に止まり、かろうじて首がつながりました。
そして1軍で活躍するようになったものの、レギュラー争いから脱落し、年間115打席に止まり、限界を感じ始めていた2003年オフ、監督が落合に変わり、再び奮起するきっかけを得ます。「落合さんが2004年に監督になっていなければ、もっと前に野球選手を辞めていたと思う」と語る井上。「自分の選手寿命を延ばしてくれたのは間違いなく落合さんだと思います」と、そこから引退までいぶし銀の活躍を見せました。
「一番は人に恵まれたことですね。監督やコーチ、先輩、後輩。自分を気にかけてくださった方がたくさんいた」
それが井上が監督にまでなれた理由のひとつなのでしょう。
【名言語録その2】
「人のつながりを大切に、人との出会いで学べることをより多く作ろうとしてきたことが、確実に今に生きているのかなと思う」
人に恵まれ、人との出会いから多くを学んだという井上ですが、選手生活の節目で学んだのが落合だとすると、監督として学んだのは星野仙一です。
「僕は星野さんに拾われ、星野さんに育てられた男です。生涯、色々な監督に導いてもらいましたが、僕の中ではどこまで行っても一番の監督は星野さんなんです」
もし当時の星野に「可愛さランキング」あるとしたら「確実にオレは上位だろうと思いますよ」と言う井上。その頃の星野といえば鉄拳制裁も辞さない熱血漢であり、山崎武司や中村武志といった猛者たちも縮こまるほどの豪腕でした。
しかし井上は星野を相手に冗談を言ったり、少し生意気を言ったり、「監督が投げてくるボールを平気で打ち返し」ていました。それくらいの方が星野は喜ぶというふうに感じていたからだそうです。実際、井上は星野に可愛がられました。
「星野さんと落合さんはある意味、両極端でしたからね。自分が同じことができるかというと、そうは出来ない」監督に就任するにあたり、井上はそう話しています。
「基本は自分らしく、でも色々な師を見てきていいことは取り入れたいし、学びから得たものはこれからも大事にしていきたいと思っています」
名将たちから得たものを、井上がどう生かしていくのか楽しみです。
【名言語録その3】
「ピンクにこれだ、と思ったんだよね」
よくピンク色のリストバンドを使用していたことから、「ピンキー」の愛称で親しまれた井上。メーカーがいろいろな色を用意してくれた中で、ピンクを見て「これだ」と思ったそうです。
ピンク色に決めたものの、やはり気になったのは星野監督の目でした。硬派なイメージの星野だけに、何か言われるかとビクビクしていましたが、何も言われることはなく、そのまま採用となりました。
監督就任の会見では、オーナーに対してピンク色を「ユニフォームにちょっといれてください」と言い、会場を笑わせていました。
そんな井上が監督として自分らしさを見せたのが、2025年8月17日の横浜DeNAベイスターズ戦でした。相手の先発はメジャーから戻り、日本復帰後初登板の藤浪晋太郎。もともと制球力に弱点があり、日本のボールにもまだ馴染んではいない状況だろうと予想される中、井上はスタメンすべてを左打者というオーダーを組みました。更に8月31日にも同じ藤浪に対して、野手8人はすべて左打者で挑みました。
賛否両論があった采配でしたが、井上流が垣間見られたのではないでしょうか。
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