つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

日本ハム

北海道日本ハムファイターズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

個性豊かな選手たちが守りにつき、ファンを盛り上げてきた北海道日本ハムファイターズの外野手たち。

今回は北海道日本ハムファイターズの外野を守った歴代選手の成績や最高年俸などを調査して、北海道日本ハムファイターズ歴代最強の外野手についてご紹介します。

それでは歴代の名選手たちをチェックしていきましょう!!

スポンサーリンク

 

北海道日本ハムファイターズの歴代外野手一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主に外野を守った選手を一覧にしてみました。多くの選手が複数のポジションでレギュラーを経験していることがわかりました。

それではライトから順にご紹介します。

北海道日本ハムファイターズの歴代外野手(ライト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 片岡 照七 13 115 0.233 10 34
1951 片岡 照七 13 97 0.174 3 16
1952 浅原 直人 28 106 0.260 7 54
1953 深見 安博 27 102 0.200 19 57
1954 伊藤 庄七 2 97 0.230 3 33
1955 簑原 宏 7 135 0.227 15 59
1956 増本 一郎 29 108 0.223 4 32
1957 毒島 章一 33 127 0.307 9 43 ベストナイン
1958 毒島 章一 33 116 0.306 2 30 ベストナイン
1959 毒島 章一 33 103 0.251 5 26
1960 毒島 章一 33 119 0.273 7 31
1961 毒島 章一 33 139 0.293 3 41
1962 毒島 章一 33 132 0.288 12 77
1963 毒島 章一 33 69 0.257 8 31
1964 毒島 章一 33 149 0.268 13 60
1965 坂崎 一彦 3 123 0.258 11 45
1966 毒島 章一 33 125 0.298 7 44 ベストナイン
1967 毒島 章一 33 127 0.251 5 34
1968 毒島 章一 33 121 0.274 12 39
1969 毒島 章一 33 105 0.262 10 39
1970 毒島 章一 33 103 0.232 5 21
1971 クリスチャン 8 125 0.274 16 59
1972 クリスチャン 8 107 0.244 11 31
1973 千藤三樹男 9 127 0.275 10 57
1974 千藤三樹男 9 113 0.256 6 39
1975 内田 順三 7 108 0.259 3 23
1976 千藤三樹男 9 101 0.280 6 23
1977 ウイリアムス 13 122 0.285 23 57
1978 ミッチェル 39 128 0.274 36 93 本塁打王
1979 ミッチェル 39 111 0.233 22 60
1980 クルーズ 44 127 0.309 26 84
1981 クルーズ 44 116 0.297 18 75
1982 クルーズ 44 125 0.268 17 67
1983 クルーズ 44 113 0.320 11 74
1984 二村 忠美 28 124 0.258 12 50
1985 岡持 和彦 53 115 0.291 10 46
1986 二村 忠美 28 89 0.249 10 30
1987 二村 忠美 28 99 0.221 2 12
1988 五十嵐信一 4 103 0.242 7 28
1989 中島 輝士 7 81 0.233 9 24
1990 鈴木 慶裕 2 86 0.244 2 9
1991 中島 輝士 7 111 0.219 7 27
1992 マーシャル 9 67 0.246 9 26
1993 中島 輝士 7 87 0.286 6 33
1994 田中 幸雄 6 130 0.286 27 87
1995 上田 佳範 44 106 0.226 4 16
1996 上田 佳範 44 126 0.201 7 35
1997 上田 佳範 44 130 0.300 6 39
1998 ブルックス 9 129 0.244 25 73
1999 上田 佳範 44 109 0.224 2 6
2000 島田 一輝 39 80 0.265 6 46
2001 中村 豊 7 120 0.268 3 25
2002 藤島 誠剛 36 47 0.228 5 23
2003 坪井 智哉 7 123 0.330 5 40
2004 坪井 智哉 7 89 0.284 11 43
2005 稲葉 篤紀 41 127 0.271 15 54
2006 稲葉 篤紀 41 128 0.307 26 75 ベストナイン、ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP
2007 稲葉 篤紀 41 137 0.334 17 87 首位打者、最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2008 稲葉 篤紀 41 127 0.301 20 82 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2009 稲葉 篤紀 41 135 0.300 17 85 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2010 稲葉 篤紀 41 137 0.287 16 79
2011 陽岱鋼 24 141 0.274 6 36
2012 糸井 嘉男 7 134 0.304 9 48 最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2013 大谷 翔平 11 77 0.238 3 20
2014 西川 遥輝 26 143 0.265 8 57 盗塁王
2015 岡 大海 31 101 0.236 4 26
2016 近藤 健介 8 80 0.265 2 27
2017 松本 剛 65 98 0.266 5 27
2018 近藤 健介 8 129 0.323 9 69 ベストナイン
2019 大田 泰示 5 132 0.289 20 77
2020 大田 泰示 5 115 0.275 14 68 ゴールデングラブ賞
2021 近藤 健介 8 133 0.298 11 69 ベストナイン
2022 万波 中正 66 100 0.265 14 40
2023 万波 中正 66 141 0.252 25 74 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2024 万波 中正 66 136 0.241 18 60 ゴールデングラブ賞
スポンサーリンク

 

1950年代

50年代は実に7人の選手がレギュラーを務め、49年から所属していた片岡照七選手が2年、戦前にプロとしてプレーし、戦後に社会人野球でプレーしていた浅原直人選手が52年にプロとして復帰して1年間守り、史上5人目となるサイクル安打を達成しました。

53年に浅原選手がレフトに移るとセンターから深見安博選手が回りましたが翌年は高橋ユニオンズに移籍、54年は伊藤庄七選手、55年は蓑原宏選手、56年は増本一郎選手と1年ごとにレギュラーが代わりました。

55年にセンターのレギュラーを掴んだ毒島章一選手は57年にライトに移り、57年から2年連続でベストナインを受賞しました。

1960年代

毒島選手は怪我により出場が困難だった63年と再びセンターを務めた65年以外の年でライトのレギュラーとして100試合以上に出場し、66年に3回目のベストナインに選出される等、1番打者やクリーンアップの一角として打線を牽引しました。

毒島選手がセンターを守った65年は前年オフに巨人から複数トレードの一員として入団した坂崎一彦選手が起用され、二桁本塁打を放ちました。

1970年代

毎年三塁打を量産して活躍し、70年も103試合に出場した毒島選手でしたが、翌年は肩の故障により出場することができず、2000安打まで残り23本でユニフォームを脱ぐことになりました。

71年からの2年はメジャーリーグ経験のあったボブ・クリスチャン選手が務め、73年はプロ2年目だった千藤三樹男選手がレギュラーを獲得し、センターにポジションを移した75年は内田順三選手が起用されましたが、76年は再び千藤選手が守り、高い守備力でチームに貢献しました。

77年からは外国人選手の起用が増え、メジャーリーグで10年プレーした経験を持ち76年に入団していたウォルター・ウイリアムス選手はセンターから移った77年に23本塁打を記録、78年はウイリアムス選手と同じく76年に入団してレフトを守っていたボビー・ミッチェル選手が36本塁打を放ち本塁打王を獲得、79年も22本塁打を記録しましたが、打撃三部門で前年より成績を落とし、同年限りで退団しました。

1980年代

80年に来日したトミー・クルーズ選手は三振が少ない確実性の高いバッティングを披露し、来日1年目の80年は打率.309、26本塁打、84打点の好成績を残しました。83年にも打率.320のハイアベレージを記録、翌年から指名打者として出場するようになりました。

84年は前年にレフトを守って新人王を獲得した二村忠美選手、二村選手がレフトに戻った85年は70年にピッチャーとして入団し、2試合に登板した後野手に転向して77年にセンターのレギュラーを務めた岡持和彦選手が115試合に出場しました。

86年からの2年は二村選手が再び務め、88年は内外野守れるユーティリティプレーヤーの五十嵐信一選手がライトでの出場を増やし、89年は前年のドラフト1位で名門・プリンスホテルから入団した中島輝一選手が開幕スタメンを勝ち取り、シーズン途中に死球による骨折はありましたが、メインで起用されました。

1990年代

90年はセンターから鈴木慶裕選手が回り、91年と93年は再び中島選手が守りましたが、中島選手がファーストを務めた92年はマイク・マーシャル選手が起用され、変化球に対応できずに67試合の出場にとどまりました。

94年に守りについた田中幸雄選手はショートからレフトを経ての起用で、95年に田中選手がショートに戻ると91年のドラフト1位で入団して、93年にピッチャーから野手に転向していた上田佳範選手が抜擢され、98年を除いて100試合以上に出場しました。

98年はジェリー・ブルックス選手が129試合に出場して25本塁打を放ちました。

2000年代

00年代前半はレギュラーが定まらず、00年は島田一輝選手、01年は中村豊選手、02年はパンチ力のある藤島誠剛選手が主に起用されましたが定着には至りませんでした。

振り子打法が特徴でルーキーだった98年に安打を量産していた坪井智哉選手が02年オフに阪神からトレードで加入、03年は開幕スタメンを果たして打率.330を記録しました。坪井選手は2年守った後、05年にレフトへ移り、空いたライトを守ったのはメジャーリーグ移籍を目指してFA宣言をしていたヤクルトの稲葉篤紀選手でした。

移籍先が決まらずにいた稲葉選手は2月にファイターズに加入し、移籍2年目の06年は打率.307、26本塁打、75打点を記録してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞日本シリーズMVPを獲得しました。

07年は打率.334のハイアベレージを記録して首位打者と最多安打の2タイトルを獲得ベストナインとゴールデングラブ賞は2年連続での受賞となり、最終的には09年まで4年連続で受賞することとなりました。

2010年代

稲葉選手は10年までライトを守り、肩を痛めた11年は指名打者に回りました。その11年は台湾出身の陽岱鋼選手が高卒6年目で初めて開幕一軍と開幕スタメンを果たしました。

翌年はセンターの糸井嘉男選手とポジションを入れ替わり、代わってライトを守った糸井選手はベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

糸井選手が12年オフに電撃トレードでオリックスに移籍すると二刀流の大谷翔平選手が13年は多く起用され、14年はファーストから西川遥輝選手が回り、43盗塁で盗塁王を獲得、15年に西川選手がライトに移るとプロ2年目の岡大海選手が101試合に出場しました。

キャッチャーや内野を守っていた近藤健介選手は16年にライトを守り、18年には打率.323を記録してベストナインを受賞し、近藤選手が怪我により離脱した17年は松本剛選手がメインで起用されました。

19年は前年までの2年はレフトを守っていた大田泰示選手がライトに移り、20年に初めてベストナインを受賞、21年は再び近藤選手が起用されて自身3回目となるベストナインに選出されました。

近藤選手がセンターで起用された22年に抜擢された高卒4年目の万波中正選手は二桁本塁打を放ち、翌23年は25本塁打74打点でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、走攻守において抜群の身体能力を活かしたダイナミックなプレーを見せ、チームの中心選手として活躍しています。

スポンサーリンク

 

北海道日本ハムファイターズの歴代外野手(センター)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 原田 清 11 100 0.248 4 34
1951 大下 弘 3 89 0.383 26 63 首位打者、本塁打王、ベストナイン
1952 深見 安博 27 96 0.294 23 75 本塁打王
1953 常見 昇 7 111 0.265 1 26
1954 常見 泰生 7 128 0.245 3 29
1955 毒島 章一 33 133 0.298 6 50
1956 毒島 章一 33 149 0.266 5 43
1957 増本 一郎 29 115 0.226 1 23
1958 ラドラ 23 125 0.240 9 57
1959 吉田 勝豊 9 124 0.257 11 44
1960 ラドラ 44 103 0.245 4 32
1961 吉田 勝豊 9 140 0.298 17 82
1962 吉田 勝豊 9 130 0.306 18 79 ベストナイン
1963 吉田 勝豊 9 140 0.235 19 76
1964 吉田 勝豊 9 142 0.267 9 48
1965 毒島 章一 33 132 0.265 12 44
1966 白仁天 41 126 0.262 4 23
1967 白仁天 7 128 0.280 10 51
1968 白仁天 7 117 0.296 15 51
1969 白仁天 7 109 0.291 12 46
1970 白仁天 7 127 0.276 18 64
1971 白仁天 7 107 0.238 11 38
1972 白仁天 7 126 0.315 19 80
1973 白仁天 7 96 0.247 6 20
1974 白仁天 7 114 0.261 15 42
1975 上垣内 誠 25 93 0.241 6 28
1976 ウイリアムス 13 122 0.285 23 57
1977 岡持 和彦 7 108 0.282 5 27
1978 島田 誠 24 115 0.294 1 15
1979 島田 誠 24 129 0.276 8 47
1980 島田 誠 8 129 0.306 5 42
1981 島田 誠 8 115 0.318 3 41 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1982 島田 誠 8 125 0.286 6 33 ゴールデングラブ賞
1983 島田 誠 8 127 0.303 14 40 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1984 島田 誠 8 128 0.271 7 42 ゴールデングラブ賞
1985 島田 誠 8 128 0.281 18 58 ゴールデングラブ賞
1986 島田 誠 8 121 0.241 5 41
1987 島田 誠 8 122 0.263 5 30 ゴールデングラブ賞
1988 島田 誠 8 97 0.219 3 21
1989 鈴木 慶裕 2 107 0.252 6 21
1990 嶋田 信敏 39 113 0.262 6 34
1991 大内 実 52 120 0.263 0 18
1992 鈴木 慶裕 2 120 0.284 6 34
1993 鈴木 慶裕 2 114 0.248 2 30
1994 鈴木 慶裕 2 72 0.244 3 17
1995 井出 竜也 5 129 0.228 9 46
1996 井出 竜也 5 122 0.254 7 38
1997 井出 竜也 5 135 0.284 8 45 ゴールデングラブ賞
1998 井出 竜也 5 130 0.216 6 28
1999 井出 竜也 5 60 0.257 7 26
2000 井出 竜也 5 103 0.267 13 56
2001 井出 竜也 5 109 0.288 11 35
2002 井出 竜也 5 120 0.226 13 38 ゴールデングラブ賞
2003 石本 努 37 99 0.247 0 20
2004 SHINJO 1 123 0.298 24 79 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2005 SHINJO 1 108 0.239 20 57 ゴールデングラブ賞
2006 SHINJO 1 126 0.258 16 62 ゴールデングラブ賞
2007 森本 稀哲 1 144 0.300 3 44 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2008 森本 稀哲 1 121 0.253 0 21 ゴールデングラブ賞
2009 糸井 嘉男 26 131 0.306 15 58 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2010 糸井 嘉男 26 138 0.309 15 64 ゴールデングラブ賞
2011 糸井 嘉男 7 137 0.319 11 54 最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2012 陽岱鋼 24 144 0.287 7 55 ゴールデングラブ賞
2013 陽岱鋼 1 144 0.282 18 67 盗塁王、ゴールデングラブ賞
2014 陽岱鋼 1 125 0.293 25 85 ゴールデングラブ賞
2015 陽岱鋼 1 86 0.259 7 36
2016 陽岱鋼 1 130 0.293 14 61 ゴールデングラブ賞
2017 西川 遥輝 7 138 0.296 9 44 盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2018 西川 遥輝 7 140 0.278 10 48 盗塁王、ゴールデングラブ賞
2019 西川 遥輝 7 142 0.288 5 41 ゴールデングラブ賞
2020 西川 遥輝 7 115 0.306 5 39 ゴールデングラブ賞
2021 淺間 大基 26 128 0.251 5 31
2022 松本 剛 12 117 0.347 3 44 首位打者、ベストナイン
2023 五十幡亮汰 50 70 0.228 0 6
2024 松本 剛 7 127 0.236 1 19
 
スポンサーリンク

1950年代

49年に入団した原田清選手が50年に守り、その原田選手とポジションを入れ替わる形でファーストから大下弘選手が移り、打率.383を記録して2年連続となる首位打者に加えて、26本塁打を放ち自身3回目となる本塁打王に輝き、ベストナインも受賞しました。

52年のシーズン開幕直後に大下選手は西鉄へトレードとなり、そのトレード相手だった深見安博選手は西鉄で2本塁打を放った後に加入しており、移籍後に記録した23本塁打と合わせた25本塁打で本塁打王のタイトルを獲得、2球団にまたがる本塁打王獲得はプロ野球史上唯一の記録です。

深見選手は53年にライトに回り、前年までレフトを守っていた常見昇(泰生)選手が2年務めた後、55年からの2年は毒島章一選手が起用されました。

毒島選手がライトに移った57年はライトを守っていた増本一郎選手、58年はジャック・ラドラ選手が来日して125試合に出場、59年はルーキーだった57年にレフトのレギュラーを務めていた吉田勝豊選手がセンターで起用されました。

1960年代

60年はラドラ選手が再び守り、ファーストにポジションを移していた吉田選手は61年から再度センターで起用され、62年には打率.306、18本塁打、79打点を記録してベストナインに選出されました。

64年までレギュラーを務めた吉田選手でしたが、65年に巨人へトレードで移籍することになり、交換相手だった坂崎一彦選手がライトを守ったことにより、65年はライトから毒島選手が移りました。

韓国出身で62年に入団したキャッチャーの白仁天選手は、65年に正捕手の座を掴みましたが、66年から外野に転向することになり、センターで毎年100試合以上に出場し、安定した成績を残しました。

1970年代

引き続き白仁天選手が起用され、主にクリーンアップの一角の担い、センターを守った66年から74年までで7回二桁本塁打を記録しました。

チームが日拓ホームフライヤーズから日本ハムファイターズへとかわった75年にトレードで太平洋クラブライオンズに移籍し、75年は前年オフに広島からトレードで加入した上垣内誠選手が主に起用され、76年はメジャーリーグ経験豊富なウォルター・ウイリアムス選手が入団して23本塁打を記録しました。

77年はピッチャーから転向した経験を持つ岡持和彦選手が108試合に出場し、78年にポジションを掴んだ島田誠選手は俊足を武器に攻守で活躍し、79年には1試合で二盗、三盗、本盗を記録しました。

1980年代

島田選手は80年に初めて打率3割を記録して55盗塁をマーク、翌年はベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。島田選手は88年までレギュラーを務めましたが、ゴールデングラブ賞には81年からの5年連続を含む6回選出され、不動のセンターとしてチームを牽引しました。

89年はルーキーだった鈴木慶裕選手が開幕戦に1番センターで出場する等、107試合に出場しました。

1990年代

90年は嶋田信敏選手がプロ12年目で最多となる113試合に出場し、91年は大内実選手が自己最多の120試合に出場しました。

92年からは再び鈴木選手が起用されましたが、94年のシーズン途中に受けた死球で成績が低迷、93年のドラフト2位で入団していた井出竜也選手がプロ2年目でレギュラーを掴み、97年にはゴールデングラブ賞を受賞し、打撃でも148安打を記録、98年からはトップバッターを務めました。

2000年代

井出選手は引き続きセンターで起用されていましたが、トレイ・ヒルマン監督が03年に就任すると構想から外れ、俊足の石本務選手がプロ13年目で初めてレギュラーとして起用されました。

04年に北海道に移転すると阪神在籍時の00年オフにメジャーリーグに挑戦していた新庄剛志選手(登録名:SHINJO)を獲得し、強肩と広大な守備範囲で3年連続となるゴールデングラブ賞、勝負強いバッティングで04年にベストナインを受賞、数々のファンサービスを披露して、北海道移転元年からの3年間ファンを魅了しました。

06年シーズン序盤に突然同年限りでの引退を表明した新庄選手の後にセンターを守ったのは、新庄選手とともに鉄壁外野陣を形成していたレフトの森本稀哲選手で、07年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞ゴールデングラブ賞は08年にも選出され、06年にレフトでも受賞していたことから3年連続での栄誉でした。

09年に森本選手はレフトに戻り、代わって起用されたのは野手転向4年目だった糸井嘉男選手で、打率.306、15本塁打、58打点の好成績を残してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

2010年代

遠投120メートルを超える強肩と50メートル5秒台を誇り、打撃でも広角に打ち分けることのできた糸井選手は、センターを守った11年まで3年連続でゴールデングラブ賞に選出され、打撃成績は3年連続で3割超えと二桁本塁打を記録しました。

強肩をより活かすために糸井選手とライトの陽岱鋼選手を12年に入れ替え、陽選手は俊足を武器に広大な守備範囲を見せて広い札幌ドームで躍動、12年から3年連続でゴールデングラブ賞に選出され、13年に47盗塁を決めて球団史上初となる盗塁王を獲得しました。

16年にもゴールデングラブ賞を獲得した陽選手でしたが、同年オフにFAで巨人に移籍し、レフトの西川遥輝選手がセンターにコンバートされ、コンバート1年目の17年は14年以来となる盗塁王と前年に続いてのベストナインを獲得し、初めてのゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せました。

18年にも盗塁王を獲得し、21年にレフトに戻るまでセンターを務めた西川選手は20年まで4年連続となるゴールデングラブ賞を受賞、21年は西川選手と同じ左打ちの淺間大基選手が務め、22年は17年にライトのレギュラー経験のあった松本剛選手が怪我での離脱がありながら打率.347を記録して首位打者とベストナインに輝き、松本選手がレフトを守った23年は俊足の五十畑亮汰選手が起用され、24年は再び松本選手がセンターに戻りました。

スポンサーリンク

 

北海道日本ハムファイターズの歴代外野手(レフト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 常見 昇 7 113 0.264 17 69
1951 常見 昇 7 102 0.282 11 56
1952 常見 昇 7 105 0.293 4 35
1953 浅原 直人 28 104 0.218 12 49
1954 浅原 直人 28 129 0.229 12 63
1955 増本 一郎 29 118 0.228 4 26
1956 簑原 宏 7 139 0.242 7 41
1957 吉田 勝豊 28 115 0.223 11 45
1958 増本 一郎 29 110 0.185 2 16
1959 張本 勲 10 125 0.275 13 57 新人王
1960 張本 勲 10 106 0.302 16 56 ベストナイン
1961 張本 勲 10 129 0.336 24 95 首位打者、ベストナイン
1962 張本 勲 10 133 0.333 31 99 最高出塁率、MVP、ベストナイン
1963 張本 勲 10 150 0.280 33 96 ベストナイン
1964 張本 勲 10 129 0.328 21 72 最高出塁率、ベストナイン
1965 張本 勲 10 132 0.292 23 88 ベストナイン
1966 張本 勲 10 122 0.330 28 90 ベストナイン
1967 張本 勲 10 120 0.336 28 88 首位打者、最高出塁率、ベストナイン
1968 張本 勲 10 114 0.336 24 65 首位打者、最高出塁率、ベストナイン
1969 張本 勲 10 129 0.269 20 67 首位打者、最高出塁率、ベストナイン
1970 張本 勲 10 125 0.383 34 100 首位打者、最高出塁率、最多安打、ベストナイン
1971 張本 勲 10 128 0.313 26 78
1972 張本 勲 10 127 0.358 31 89 首位打者、最高出塁率、最多安打、ベストナイン
1973 張本 勲 10 128 0.324 33 93 ベストナイン
1974 張本 勲 10 120 0.340 14 62 首位打者、最高出塁率、ベストナイン
1975 千藤三樹男 9 117 0.281 5 36
1976 ミッチェル 39 107 0.244 23 66
1977 ミッチェル 39 128 0.243 32 75
1978 千藤三樹男 9 103 0.305 4 35
1979 富田 勝 3 128 0.280 12 61
1980 富田 勝 3 90 0.240 7 29
1981 井上 弘昭 10 85 0.259 4 30
1982 木村 孝 9 112 0.234 3 19
1983 二村 忠美 28 97 0.282 13 35 新人王
1984 ブラント 33 86 0.232 16 41
1985 二村 忠美 28 107 0.225 13 37
1986 ブリューワ 44 130 0.321 20 68
1987 ブリューワ 44 129 0.303 35 98 ベストナイン
1988 岡持 和彦 7 92 0.181 4 28
1989 デイエット 9 84 0.278 14 41
1990 ブリューワ 44 109 0.295 17 63
1991 ウインタース 10 130 0.269 33 84
1992 五十嵐信一 15 103 0.292 2 37
1993 田中 幸雄 6 128 0.253 12 63
1994 五十嵐信一 15 80 0.287 1 20
1995 デューシー 20 117 0.249 25 61
1996 デューシー 20 120 0.246 26 59
1997 ブルックス 9 134 0.277 16 63
1998 西浦 克拓 66 134 0.245 20 62
1999 フランクリン 10 131 0.238 30 80
2000 オバンドー 64 107 0.332 30 101 ベストナイン
2001 田中 幸雄 6 139 0.255 20 77
2002 DTクローマー 15 131 0.245 20 54
2003 エチェバリア 43 110 0.275 31 84
2004 石本 努 37 90 0.289 1 11
2005 坪井 智哉 7 98 0.309 2 19
2006 森本 稀哲 46 134 0.285 9 42 ゴールデングラブ賞
2007 坪井 智哉 7 100 0.283 0 23
2008 工藤 隆人 53 104 0.256 0 12
2009 森本 稀哲 1 107 0.247 1 29
2010 森本 稀哲 1 115 0.272 2 30
2011 中田 翔 6 143 0.237 18 91
2012 中田 翔 6 144 0.239 24 77
2013 中田 翔 6 108 0.305 28 73 ベストナイン
2014 中田 翔 6 144 0.269 27 100 打点王、ベストナイン
2015 西川 遥輝 8 125 0.276 5 35
2016 西川 遥輝 7 138 0.314 5 43 ベストナイン
2017 大田 泰示 33 118 0.258 15 46
2018 大田 泰示 33 104 0.274 14 59
2019 王柏融 99 88 0.255 3 35
2020 近藤 健介 8 108 0.340 5 60 最高出塁率、ベストナイン
2021 西川 遥輝 7 130 0.233 3 35 盗塁王
2022 今川 優馬 61 94 0.227 10 39
2023 松本 剛 7 134 0.276 3 30
2024 水谷 瞬 53 97 0.287 9 39
スポンサーリンク

 

1950年代

50年代にレフトを守った選手は、レフトを務める前後でセンターやライトでレギュラー経験のある選手が多く、50年から3年間守った常見昇選手は53年にセンターへ、53年から
2年起用された浅原直人選手は52年にライトを務め、55年にレフトを守った増本一郎選手は翌年ライトに回り、ライトだった簑原宏選手が56年にレフトで起用されました。

ルーキーながら57年にレギュラーに抜擢され二桁本塁打を放った吉田勝豊選手は59年からセンターを守り、58年はセンターに移っていた増本選手が1年だけ再びレフトを務め、59年に高卒1年目でレギュラーを掴んだ張本勲選手新人王を獲得し、長くレギュラーを務めていくことになりました。

1960年代

張本選手はプロ2年目の60年に打率3割超えを果たしてベストナインを受賞すると61年に1回目の首位打者に輝き、翌62年はMVPを獲得しました。

右に左に打ち分けてヒットを量産、63年にはリーグ2位となる41盗塁を決めながら本塁打は33を数え、打撃でも走塁でも打線を牽引し、60年代はすべての年でベストナインに選出され、67年から3年連続で首位打者のタイトルを手にしました。

1970年代

70年は打率.383、34本塁打、100打点と打撃三部門で自己最高の成績を残して4年連続となる首位打者に輝いた張本選手は、71年を除いて首位打者とベストナインを獲得、74年までレフトのレギュラーを務めましたが、75年は指名打者での出場となりました。

空いたレフトのポジションは、72年からプレーしていた千藤三樹男選手ボビー・ミッチェル選手や76年に張本選手とのトレードで巨人から加入していた富田勝選手が務め、ミッチェル選手は77年に32本塁打を放ちました。

1980年代

80年は富田選手が守りましたが、同年オフに中日へトレードとなり、そのトレード相手だった井上弘昭選手が81年はメインで起用されました。

82年は木村孝選手、83年はルーキーだった二村忠美選手が務め、二村選手は新人王を受賞、二村選手がライトに回った84年はマーシャル・ブラント選手が起用されましたが、86試合の出場にとどまりました。

ライトに移っていた二村選手が85年は再びレフトを守り、翌年は長打力を期待されたトニー・ブリューワ選手が加入したことによりまたまたポジションがライトに変わり、ブリューワ選手は来日2年目の87年に打率.303、35本塁打、98打点を記録してベストナインを受賞しました。

ブリューワ選手が故障により出場できなかった88年は岡持和彦選手が代わりに起用され、ブリューワ選手が指名打者に回った89年はブライアン・デイエット選手の起用が増えましたが、目立った成績は残せませんでした。

1990年代

来日1年目の86年から連続で20本塁打以上を記録していたブリューワ選手でしたが、90年は17本塁打に終わり同年限りで退団し、指名打者を務めていたマット・ウインタース選手がレフトに守って33本塁打を放ち、ウインタース選手が再び指名打者で起用されるとユーティリティプレーヤーの五十嵐信一選手やショートでも結果を残していた田中幸雄選手が守りにつくようになりました。

90年代後半は外国人選手の活躍が光り、95年から2年間守ったロブ・デューシー選手は1番を打って2年連続で25本塁打以上を記録、97年のジェリー・ブルックス選手は16本塁打でしたが、99年のマイカ・フランクリン選手は両打席から本塁打を量産し、30本のアーチを描きました。

98年は和製大砲として期待されていた西浦克拓選手が前年の4本塁打から大きく飛躍する20本塁打を記録しました。

2000年代

00年代前半は長打力が武器だった選手が起用され、99年は指名打者だったシャーマン・オバンドー選手が00年に打率.332、30本塁打、101打点を記録してベストナインを受賞、01年は田中選手が久しぶりにレフトを務めて20本塁打、02年はDTクローマー選手が同じく20本塁打を放ち、オバンドー選手に代わって獲得されたエンジェル・エチェバリア選手は03年に31本塁打を記録して、自慢の長打力を発揮しました。

04年以降は巧打・俊足・好守の選手が多く起用され、04年は前年センターを務めていた俊足の石本努選手、05年と07年は巧みなバットコントロールが武器の坪井智哉選手、06年と09年は好守が光る森本稀哲選手がレギュラーを務めました。

08年にプロ3年目で最多となる104試合に出場して守備と走塁でチームに貢献していた工藤隆人選手は同年オフに巨人へトレードで移籍しました。

2010年代

09年に続いて森本選手が10年に起用されましたが、同年オフにFA権を行使して横浜へ移籍、11年は前年ファーストを守っていた中田翔選手がレフトに回り、15年に再びファーストを守るまで4年間起用され、13年にベストナインを初受賞し、翌年は100打点を記録して打点王とベストナインを獲得しました。

15年からの2年は西川遥輝選手が守り、16年にベストナインを受賞、17年からの2年は巨人で55番を背負い期待されていた大田泰示選手がトレードで加入し、プロ入り9年目で初めて規定打席に到達して初の二桁本塁打を記録しました。

大田選手がライトに移った19年は台湾出身の王柏融選手、20年はヒットメーカーの近藤健介選手が起用され、近藤選手は打率.340を記録して最高出塁率とベストナインに輝きました。

近藤選手がライトで起用された21年は西川選手が再び守りにつき、4回目となる盗塁王に輝きましたが、チーム方針により自由契約となり、新庄剛志監督就任1年目の22年は長打力が魅力の今川優馬選手が10本塁打を放ち、23年は前年センターで首位打者を獲得した松本剛選手、24年は23年オフの現役ドラフトでソフトバンクから入団した水谷瞬選手がプロ6年目で一軍初出場を果たし、交流戦MVPを獲得する等、ブレイクしました。

スポンサーリンク

 

【北海道日本ハムファイターズ】歴代外野手の年俸ランキング!歴代最高年俸は稲葉篤紀選手の2億5000万円!

ここでは北海道日本ハムファイターズ歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 2009 稲葉 篤紀 2億5000万円 0.300 135
2 2021 西川 遥輝 2億4000万円 0.233 130
3 2006 SHINJO 2億2000万円 0.258 126
4 2021 近藤 健介 1億9500万円 0.298 133
5 2012 糸井 嘉男 1億9000万円 0.304 134

 

球史に名を残す選手が誕生した北海道日本ハムファイターズの外野手ですが、1位は09年に2億5000万円でプレーした稲葉篤紀選手でした。04年オフにヤクルトからFAで入団し、05年から毎年安定した成績を残して、09年も打率3割をマークして、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

2位にランクインしたのは西川遥輝選手でした。外野のレギュラーとしては14年にライト、15年から2年間レフトを守り、17年からの4年間はセンターで起用されました。年俸2億4000万円となった21年に再びレフトを務め、自身4回目となる盗塁王を獲得しましたが、チームの方針により自由契約となり、球界は騒然としました。

3位は06年のSHINJO選手。04年にメジャーリーグから復帰した際に北海道移転1年目のファイターズに入団、プレーだけでなくパフォーマンスでもチームを盛り上げました。2億2000万円で迎えた06年は春先に突如同年限りでの引退を表明し、惜しまれながらユニフォーム脱ぎました。

4位は21年に1億9500万円でプレーした近藤健介選手がランクインしました。巧みなバットコントロールで安打を量産し、レフトを務めた20年に打率.340のハイアベレージを記録すると外野での自己最高に到達、21年はライトを守りベストナインに選出されました。

5位の糸井嘉男選手は抜群の身体能力でピッチャーから転向して09年にセンターのレギュラーを掴み3年連続でゴールデングラブ賞を受賞、年俸が1億9000万円となりライトに移った09年もゴールデングラブ賞に選ばれましたが、翌年1月にオリックスにトレードで移籍しました。

稲葉篤紀の名言!尊敬されるレジェンドのリーダーシップと努力論

 

私が思う最強の北海道日本ハムファイターズの歴代外野手は張本勲選手!

名選手が守った北海道日本ハムファイターズの外野手ですが、歴代最強は安打製造機・張本勲選手で間違いありません。

ここで、張本勲選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者
生年月日:1940年6月19日
身長:181cm
出身:広島県
最終学歴:浪華商業高校
血液型:B型

1940年(昭和15年)6月19日生まれ、広島県広島市出身。59年に当時の東映フライヤーズに入団し、1年目から出場機会を得ました。

開幕スタメンを果たしてプロ1年目は125試合に出場して新人王を獲得すると翌年は打率.302を記録してベストナインを受賞、プロ3年目の61年には打率.336の好成績を残して初めての首位打者に輝きました。

広角に自在に打ち分け、毎年ハイアベレージを記録する一方で、長打力も兼ね備えていて、MVPを獲得した62年は打率.333、31本塁打をマーク、70年には自己最高となる34本塁打を放ち、レフトのレギュラーを務めた59年から74年の間で12回の打率3割以上と13回の20本塁打以上を記録しました。

67年からは4年連続で首位打者を獲得し、特に最終年となった70年は打ちに打って残した打率.383は当時のプロ野球史上歴代1位(現在では4位)の記録で、本塁打と打点も自己最高の成績を残しました。

レフトのレギュラーだった16年間で7回首位打者に輝き、11年連続を含む14回もベストナインを受賞してチームを牽引、プロ野球の歴史で1人しか到達していない3000安打を後に記録する張本勲選手が北海道日本ハムファイターズ史上歴代最強の外野手です。

張本勲の名言・語録集!天才バッターの伝説エピソードから人生哲学にも迫る!

 

北海道日本ハムファイターズの歴代外野手に関する豆知識

04年の日本球界復帰の際に北海道日本ハムファイターズを選び、北海道を盛り上げたSHINJO選手。試合前にバイクやゴンドラに乗って入場する演出や襟付きのアンダーシャツを着用する等、話題を多く提供していましたが、個人だけではなくチームメイトともに見せるパフォーマンスもありました。

試合前のシートノックで秘密戦隊ゴレンジャーの被り物を着用した際は森本稀哲選手坪井智哉選手石本勉選手島田一輝選手の4人と協力してゴレンジャーに扮し、自身の顔の覆面を被った際には森本選手、石本選手、稲葉篤紀選手小谷野栄一選手が覆面に加えてユニフォームも自身のネームと背番号が入ったものを着用して、球場に訪れたファンを楽しませました。

 

 


まとめ

・北海道日本ハムファイターズの外野は同じ選手が複数の外野のポジションでレギュラーを務めている。

・ライトでは毒島章一選手と稲葉篤紀選手、センターでは白仁天選手や島田誠選手、レフトでは張本勲選手が長くレギュラーを務めた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、09年の稲葉篤紀選手の2億5000万円。

・張本選手はレフトのレギュラーを務めた16年間で首位打者7回、ベストナイン14回、MVPを1回獲得する活躍を見せ、70年には当時のプロ野球シーズン最高打率.383を記録した北海道日本ハムファイターズ歴代最強の外野手である。

 

関連記事

北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

北海道日本ハムファイターズの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

北海道日本ハムファイターズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

北海道日本ハムファイターズの歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

北海道日本ハムファイターズの歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

スポンサーリンク

-日本ハム

こんな記事も読まれています