【西武】歴代監督を成績と一緒に徹底解説! 優勝回数最多は森祇晶監督!
2019/10/05
数々のスター選手を輩出してきた西武ライオンズ。
戦後から長きにわたって続いてきた球団です。
その長い歴史の中には黄金期もありましたし、低迷期もありました。そんな西武ライオンズを引っ張っていた歴代の監督と成績についてお伝えしていきます。
目次
- 1 西武ライオンズの歴代監督
- 1.1 宮崎要監督(1950年)
- 1.2 三原脩監督(1951〜1959年)
- 1.3 川崎徳次監督(1960年〜1961年)
- 1.4 中西大監督(1962年〜1969年)
- 1.5 稲尾和久監督(1970年〜1974年)
- 1.6 江藤慎一監督(1975年)
- 1.7 鬼頭政一監督(1976年〜1977年)
- 1.8 根本陸夫監督(1978年〜1981年)
- 1.9 広岡達朗監督(1982年〜1985年)
- 1.10 森祇晶監督(1986年〜1994年)
- 1.11 東尾修監督(1995年〜2001年)
- 1.12 伊原春樹監督(2002年〜2003年)
- 1.13 伊東勤監督(2004年〜2007年)
- 1.14 渡辺久信監督(2008年〜2013年)
- 1.15 伊原春樹監督(2014年)
- 1.16 田邊徳雄監督(2015年〜2016年)
- 1.17 辻発彦監督(2017年~)
- 2 最も優勝回数が多いのは森祇晶監督!
- 3 まとめ
西武ライオンズの歴代監督
初代監督から順に記載します。
出身チームについてはプロチームのみの記載です。
宮崎要監督(1950年)
生年月日:1916年4月27日
ポジション:二塁手
出身チーム:西鉄クリッパーズ
名二塁手として活躍しました。
監督兼選手として西武クリッパーズに入団。
1951年に三原脩監督が就任すると選手専任となり1954年の引退まで活躍します。
引退後はコーチとして黄金期を支えました。
三原脩監督(1951〜1959年)
生年月日:1911年11月21日
ポジション:二塁手
出身チーム:大日本東京野球倶楽部、東京巨人軍
選手としては大日本東京野球倶楽部の初代メンバーとして活躍しました。
兵役を終えると巨人の監督に就任し、その後西鉄の監督となります。そこで名監督ぶりを発揮するのです。
当時球界の盟主と言われてた巨人を就任1年目で破り、6年連続最下位に沈んでいたチームを優勝へと導きます!その後3度にわたって巨人を破り黄金期を気付いた監督でした。
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川崎徳次監督(1960年〜1961年)
生年月日:1921年5月7日
ポジション:投手、外野手
出身チーム:南海軍、東京巨人軍、西鉄クリッパーズ
戦前、二刀流として活躍した選手です。
三原脩監督から黄金期のチームを受け継ぎ、2連続Aクラスを守りました。
中西大監督(1962年〜1969年)
生年月日:1933年4月11日
ポジション:内野手
出身チーム:西鉄ライオンズ
選手時代は強打者として活躍していました。
監督としてはいまいちでしたが名選手を大勢育て名コーチとして名を馳せます。
稲尾和久監督(1970年〜1974年)
生年月日:1937年6月10日
ポジション:投手
出身チーム:西鉄ライオンズ
入団当時こそ不明でしたが、ルーキーイヤーから活躍し、鉄腕と呼ばれるほどの投手です。しかし先発、救援にと肩を酷使し8年という短い選手生命でした。
引退し監督に就任しましたが、3年連続最下位に終わっています。
江藤慎一監督(1975年)
生年月日:1937年10月6日
ポジション:捕手、一塁手、左翼手
出身チーム:中日ドラゴンズ〜ロッテオリオンズ〜大洋ホエールズ〜太平洋クラブライオンズ〜ロッテオリオンズ
プロ野球史上初のセ・パ両リーグで首位打者を獲得した選手です!
選手兼監督として就任し、指名打者としても活躍しました。
鬼頭政一監督(1976年〜1977年)
生年月日:1920年2月9日
ポジション:内野手、外野手
出身チーム:西鉄クリッパーズ、近鉄パールス
財政難からの戦力不足でチームは低迷していました。
そこでフロントはメジャーリーグの一流監督レオ・ドローチャーを監督にしました。
この時鬼頭監督はヘッドコーチに就任したのです。
大きな話題にはなったもののレオ・ドローチャー監督は体調不良で一度も来日せず代わりに監督に昇格したのが鬼頭監督でした。
監督に就任し結果は2年連続の最下位に終わっています。
根本陸夫監督(1978年〜1981年)
生年月日:1926年11月20日
ポジション:捕手
出身チーム:近鉄パールス
球界の寝業師と呼ばれた名監督です!
低迷期するチームの改革をし、1981年には勝率が14年ぶりに5割となりました。
西武黄金期の基礎を作った監督なのです。
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広岡達朗監督(1982年〜1985年)
生年月日:1932年2月9日
ポジション:遊撃手
出身チーム:読売ジャイアンツ
選手としては東京六大学の花形のスターで巨人に入団すると1年目から新人王を獲るほどの活躍ぶりでした。
現役引退後、コーチを経て監督になります。
広岡監督はとにかく厳しい監督で禁煙禁酒、食事制限、服装など細く指示をだし選手からは不満の声も上がっていました。
しかし結果として就任1年目からチームを日本一へと導きます。
歯に衣着せぬ発言で批判の声も多かった広岡監督ですがその圧倒的な指揮力は誰もが認めざるをえませんでした。
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森祇晶監督(1986年〜1994年)
生年月日:1937年1月9日
ポジション:捕手
出身チーム:読売ジャイアンツ
巨人V9時台の正捕手として活躍した選手です。
西武の監督に就任すると管理野球といわれる手法で、8回ものリーグ優勝に導きました。まさに黄金期を作った監督です。
常勝軍団となった西武は勝つことが当たり前になってしまい観客が減ったという理由でフロントから解任されてしまいました。
東尾修監督(1995年〜2001年)
生年月日:1950年5月18日
ポジション:投手
出身チーム:西鉄ライオンズ〜太平洋クラブライオンズ 〜クラウンライターライオンズ〜西武ライオンズ
西武黄金期に投手の柱として活躍した選手でした。
監督としてはチームの若返りをはかり2度のリーグ優勝に導いています。
現在はタレントとしても活躍していて、プロゴルファーの東尾理子さんのお父さんとしても有名ですよね。
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伊原春樹監督(2002年〜2003年)
生年月日:1949年1月18日
ポジション:三塁手
出身チーム:西鉄ライオンズ〜太平洋クラブライオンズ〜読売ジャイアンツ〜クラウンライターライオンズ〜西武ライオンズ
監督就任1年目から90勝をあげ4年ぶりのリーグ優勝に導きました。
翌年も2位とAクラス入りを果たしますが、当初から予定されていた伊東勤監督の就任が決まり退任しました。
伊東勤監督(2004年〜2007年)
生年月日:1962年8月29日
ポジション:捕手
出身チーム:西武ライオンズ
選手としては西武ライオンズ黄金期の司令塔として活躍しました。
フロントに強く要求され監督に就任します。
就任1年目にして日本一、リーグ優勝に3回導きました。
しかし球団側とは大きな確執があり、監督退任のセレモニーすら球団側は行いませんでした。長年選手としても監督としても貢献した伊東監督に対するこの仕打ちは野球ファンにとってもがっかりするものとなりました。
現在はロッテの監督として指揮を振るっています。
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渡辺久信監督(2008年〜2013年)
生年月日:1965年8月2日
ポジション:投手
出身チーム:西武ライオンズ
ドラフト1位で西武に入団し、最多勝を3度とるなど黄金期の右のエースとして活躍した選手でした。
長身でイケメン!女性人気も高かったです
監督としては勝つことをよりも個人の個性を大切にし魅力的なチームを作りました。
若手の器用も積極的に行い、選手のミスは自分のミスだと褒めて育てる育成法で選手との信頼関係も厚かったです。現在西武の中心選手である栗山選手、中村選手、菊池選手などを一人前に育てあげたのも渡辺監督でした。
そうした監督としての高い人望に結果も当然ついてきます。就任1年目から日本一に輝きました。
ファンからもとても人気が高くとても惜しまれながら
の退任でした。
現在SDとしてチームを支えています。
伊原春樹監督(2014年)
常勝軍団復活を目標に2期目の指揮をとります!
渡辺監督とは正反対で服装や素行を厳しく指導し、選手から反発をうけていました。
巧みな小技を駆使して一点をもぎ取り勝利をつかもうとしましたが、西武の選手にははまりません。
開幕から3連敗し、両リーグ最速30敗すると6月3日に休養を決め、2014年いっぱいで退任しました。
田邊徳雄監督(2015年〜2016年)
生年月日:1966年5月11日
ポジション:内野手
出身チーム:西武ライオンズ、読売ジャイアンツ
西武ライオンズ黄金期の遊撃手として活躍した選手です。
伊原監督の休養をうけ、2014年6月から監督代行、2015年から監督に就任しました。
選手とのコミュニケーションを大切にする監督で厚い信頼関係を築きましたが、結果は2年連続でBクラスに終わり退任します。
辻発彦監督(2017年~)
生年月日:1958年10月24日
ポジション:二塁手
出身チーム:西武ライオンズ〜ヤクルトスワローズ
人一倍の努力で西武黄金期に活躍した選手です。
一軍監督として就任するのは初めてとなります。
守りの野球で低迷期にあるチームを優勝へと導いてくれました!
最も優勝回数が多いのは森祇晶監督!
歴代監督の中で最も優勝回数が多いのは西武黄金期を引っ張った森祇晶監督です。
リーグ優勝を8回しそのうち6回日本一に輝いています。
これは凄い記録ですよね!
名将と呼ばれながらも選手が主役、監督が脇役というポリシーがある人望のある監督でした。
まとめ
・西武ライオンズの監督は現在17代目。
・歴代監督で優勝回数が最も多いのは9年監督を務め日本一を6回、リーグ優勝8回成し遂げた森祇晶監督である。
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