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大野雄大の凄さが分かる名言・語録集!令和初の沢村賞投手の伝説エピソードから努力論まで


日本プロ野球で投手最高の栄誉と呼ばれる賞が沢村賞です。その名はプロ野球の黎明期に活躍し、あのベーブルースなどが加わった全米チームをもうならせた剛腕であり、太平洋戦争で戦没した悲運の名投手沢村栄治からとられました。2020年シーズン、コロナ禍に見舞われ、各選手ともコンディショニングが難しい中、素晴らしい快投を見せて、令和初の沢村賞に輝いたのが大野雄大です。

沢村賞の選考対象は「先発完投」型の投手です。投手分業が進む中、完投数は減っており、2000年以降の沢村賞受賞者でも2桁完投に達したのは松坂大輔、ダルビッシュ有、涌井秀章、田中将大、菅野智之とビッグネームが並びます。そんな中、2020年の大野はコロナ禍で試合数が少ない中、わずか20登板で10完投という見事な記録を残しました。

投手の負担を考え、先発完投というのは時代遅れだという声もありますが、ローテーションの間隔や1試合での球数などを考慮しながらの完投ならば、1試合をひとりの投手でまかなえるのはチームとして助かります。大野は1イニング平均14.7球という圧倒的な効率での成績だけに、時代遅れどころかこれからの完投投手の見本というべき投球だったと言えます。

今回は令和初の沢村賞投手となった大野雄大の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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大野雄大について

まずは大野雄大の経歴を追ってみます。

1986年9月26日生まれ、京都府京都市出身。中学時代は軟式野球で活躍し、京都外大西高校に入学。3年の春の選抜大会で甲子園で登板しました。卒業後は佛教大学へ進学。京滋リーグで3季連続MVPを獲得し、全国大会でも快投を見せ、国際大会で日本代表にも選ばれました。2010年のドラフト1位で中日ドラゴンズに指名され入団します。

入団前に左肩を痛めていたため、ルーキーイヤーは主にリハビリと2軍戦での登板でしたが、1試合のみ1軍で登板。2年目に初勝利をあげます。2013年に先発ローテーションの一角に定着し、初の2桁勝利をあげ、2015年まで3年連続で2桁勝利を記録します。

2016年に左肘痛があり、2018年には未勝利に終わります。しかし2019年になると復調を見せ、9月14日にはノーヒットノーランを記録し、初タイトルとなる最優秀防御率を獲得。そして2020年は短いシーズンながらも快投を見せ、チームにとって8年ぶりとなるAクラス入りに貢献し、2年連続となる最優秀防御率、最多奪三振、更に沢村賞に輝きました。

2020年シーズン終了まで、通算プロ10年間で69勝、防御率3.12。沢村賞1回、最優秀防御率2回、 最多奪三振1回。

球界を代表する左腕として、更なる活躍が期待されています。

 

私が選ぶ、大野雄大の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「大野雄大のボールはこれやって、見せられたと思います」

佛教大学は京滋リーグというあまり注目されないリーグであるため、大野は自身の力を見せる舞台として明治神宮大会での活躍が大事だと考えていました。事実、明治神宮大会や全国大学野球選手権大会など、全国区の大会で活躍することで注目されるようになりました。

いわゆる「ハンカチ王子世代」であり、高校からプロ入りした田中将大や前田健太らの他に、大学では斎藤佑樹、大石達也、澤村拓一らの有力投手がいて、彼らに対して「絶対に負けてへんと思ってます」と対抗心を隠そうとはしませんでした。強者がひしめく世代で、母子家庭という大変さも抱え、更に目立たないリーグでアピールが難しいなど、いろいろハンデはあった大野ですが、ライバルの存在がお互いを高め合えたということを考えれば、大野は充分に恵まれた世代だったと言えます。

若い頃の大野は、ビッグマウスだと言われ、ドラゴンズへの入団後もちょっとした誤解とコミュニケーション不足から投手コーチともめたこともありますが、左肘を故障していてもドラフト1位に指名してくれたチームのためにエースとして投げ続けた結果が、ノーヒットノーランやタイトル獲得につながったのだろうと思います。

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【名言語録その2】

「今ここで、来年も応援よろしくお願いしますと軽々しく言うことはできません」

2016年の本拠地最終戦でドラゴンズファンに向かって語った大野の言葉です。大野がドラゴンズに入団した2011年、チームは落合博満監督のもと、リーグ2連覇を果たしました。しかし大野が1軍で活躍するようになって以降、2013年からはBクラスの常連となり、2016年にはついに最下位に沈みました。

「我々が今すべきことはドラゴンズを応援したい、選手と一緒に戦いたいと思っていただけるようなチーム作りをすることだと思う。選手個々がどうしたらチームが強くなるのかを考え、必ず強いドラゴンズを取り戻すために精進しますので、見ていてください」

そう語った大野ですが、エースとして期待されながら、2018年には登板数が6試合にとどまり、いわゆる「投げ抹消」の繰り返しで、1軍で投げてはすぐに登録を抹消されて2軍へというサイクルを繰り返しました。FA権取得までの1軍登録日数を減らすためではないかと大野に同情する声もありましたが、本人は「結果を出せなかった自分が悪い」と語っています。

しかし、そこからの復活劇は見事で、その挨拶から3年目にセリーグの最優秀防御率を獲得し、4年目にはチームのAクラス入りに大きく貢献しました。まさしくただのビッグマウスではなく、有言実行の男になりました。

 

【名言語録その3】

「僕が投げない6日間で僕以外の選手が必死にプレーしているのを見ているうちに、だんだんと力が湧いてきたんです」

2019年に獲得した最優秀防御率のタイトルは、2位のクリス・ジョンソンとわずかに0.01差であり、大野の力だけでなくチームの協力があってこそ獲得できたタイトルでした。

 

「チームメイトみんながつくってくれたチャンスですから。自分だけの力ではできなかったし、本当に感謝しかないですね」

続く2020年シーズンは、どの選手にとっても難しいシーズンだったと思います。変則な強行日程とコンディショニング不足から、中継ぎ投手の負担が大きくなりすぎたチームが崩れていくなか、大野は先発した試合の半分で完投し、文句のつけようのない大黒柱としての活躍を見せ、チームを久しぶりのAクラス入りに導きました。

 

「自分はいきなりバーンと上がっていくことができる選手ではなく、階段を一段一段上がっていって、結果を出していく投手だと思っています。その年、その年にあった目標を達成していくことを大事にしてきました。その後に先が見えてくるかなと」

ビッグマウスから、有言実行、そしてチームの大黒柱へと、まさに大野は一段ずつ階段を上り続けています。これからの一段一段が楽しみです。

 

名言からの学び

・ビッグマウスは結果を出してこそ意味が生まれる。

・結果がすべてを覆す。

・成長が最大の結果である。

 

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