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渡邉恒雄(ナベツネ)の凄さが分かる名言・語録集!球界の独裁者(ドン)の伝説エピソードから人生哲学まで

メジャーリーグの名物オーナーといえば、30年以上もニューヨークヤンキースのオーナーを務めたジョージ・スタインブレナーでしょう。FAで有名選手をかき集め、23年間でのべ18人の監督が就任するというワンマンぶりが有名でした。日本では古くは大映の「永田ラッパ」こと永田雅一、そして「球界の独裁者」こと渡邉恒雄でしょう。

週刊読売の政治記者から、「プロ野球の父」正力松太郎に目をかけられ、大野伴睦や中曽根康弘という政界の大物と関係を深め、読売新聞社の社長や読売グループの会長として、さまざまな方面に大きな影響力を持った渡邉。プロ野球界においても読売ジャイアンツのオーナーや球団会長として、力をふるってきました。

2004年に起った球界再編問題の際には、西武やオリックスと共に1リーグ構想へと動き、その言動から世論の反発に合って、結果的に東北楽天ゴールデンイーグルス誕生の呼び水となり、2リーグ制が維持されました。

今回は球界の独裁者(ドン)とも呼ばれる渡邉恒雄(ナベツネ)の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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渡邉恒雄について

まずは渡邉恒雄の経歴を追ってみます。

1926年5月30日生まれ、東京府豊多摩郡(現東京都杉並区)出身。開成中学校(現開成高校)から東京高等学校、東京帝国大学(現東京大学)に進学。太平洋戦争では学徒動員で徴兵され、近衛師団に所属します。

大学在学中の1945年に日本青年共産同盟の活動に加わり、日本共産党に入党しますが、1947年に離党。1950年に読売新聞社に入社。最も入りたかったという朝日新聞社は入社試験で不合格だったそうです。入社後は正力松太郎に目をかけられ、政治記者として自民党の有力議員だった大野伴睦の番記者になりました。その後は中曽根康弘とも懇意になります。

1989年に読売ジャイアンツの最高経営会議メンバーとなって、球界に関わりを持つようになり、1991年には読売新聞社社長に就任。1996年、ジャイアンツのオーナーになります。2004年には西武のオーナー堤義明、オリックスのオーナー宮内義彦らと共に、経営不振の球団を合併させ、1リーグ化構想を画策しましたが、世論や選手会の反発に合い、更にドラフトの有力候補だった一場靖弘へ小遣いなどの名目で裏金を渡していたことが発覚し、オーナーを引責辞任。楽天の参入により球界再編騒動は収まりますが、渡邉は球団会長に就任し、院政をしき、球界への影響力を維持します。

2014年に球団最高顧問となりますが、2015年にジャイアンツ選手4名による野球賭博が発覚し、引責辞任。その後もジャイアンツのみならず、さまざまな方面に強い影響力を持ち続けています。

 

私が選ぶ、渡邉恒雄の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「オーナーになって喜ぶヤツなんかいませんよ。僕なんか、こんなもん早くやめられれば、どんなにいいことかと思いますよ」

「球界の独裁者」と呼ばれることもある渡邉ですが、特に野球が好きとか、興味があるというわけではありません。

 

「選手のことは僕は全然知らんですよ。野球なんてほとんど見ないんですから」

球団社長やオーナーはあくまでも経営者です。経営者に必ずしも現場レベルの知識は求められません。野球ファンの中には「ナベツネは野球を知らない」と憤る人もいますが、それはさまざまな企業でささやかれる「上は現場を知らない」という愚痴に似ています。野球を知らないことは本人も認めていますし、求められる役目も野球に精通している必要はないのです。

 

「入りたい球団に入れないドラフト制度は、基本的人権を侵害しているのではないか」

たとえばこの発言は、本気でそう思っているというよりは、自由競争になれば有力選手が人気球団のジャイアンツに集まるという、オーナー視線のブラフでしょう。万が一、それで世論が盛り上がればラッキーという、メディアを知り尽くした渡邉のちょっとした仕掛けです。

戦力均衡を図るためと、人気球団や金持球団に希望選手が集まらないようにするための手段として存在するドラフトですが、職業選択の自由に反するのではという論議がよく出されます。しかし医師には医師免許があり、ドライバーには二種免許や大型免許があるように、規制即ち自由の侵害ではありません

もっとも、自由競争にしたとしても、今ではFAでジャイアンツからのオファーを断る選手も出てきていますし、以前とは違い、絶対にジャイアンツがいいという選手の数は減っているだろうと思います。なのでドラフトを廃止してもV9の再現はきっと無理でしょう。しかしそれでも利があれば主張するのがオーナーというものだろうと思います。

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【名言語録その2】

「無礼な。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」

2004年に起こった球界再編騒動で、渡邉のこの発言が世論の反発を呼びました。この発言は選手会長だった古田敦也が記者に「オーナーと直接話をする機会を持ちたいか」と聞かれ、「できればいいですね」と、もしも可能ならばというレベルの返事が、オーナーに直接対話要求を突きつけるものとして記者が誇張して渡邉に伝え、それに答えたものです。

これに続けて渡邉は「オーナーと対等に話すなんて協約上、根拠はひとつもないよ」と話しています。言い方には問題があるものの、伝言ゲームのような誤解から生まれた発言であり、また経営者として近鉄の経営破綻や他球団の経営不振は深刻で、選手うんぬんの話ではないということだったと思います。普通、企業倒産に社員が何を言っても仕方がないように、社員即ち選手レベルの話ではなかったのは確かです。

更に渡邉は近鉄買収に名乗りを上げたライブドア社長の堀江貴文に関して「加盟できないんだよ。オレが知らない人は入るわけにはいかない。プロ野球というのは伝統がそれぞれある。金さえあればいいというもんじゃない」と拒絶しました。

この背景にも読売新聞の社会部が、ライブドア社が抱える問題をいくつも把握していて、司法の手が入ることも考えられるという情報をすでに握っていた上での発言だったようです。またパリーグではクラウンライターや日拓ホームなど短期間でチームを売却し、安定経営できなかった実例もあり、長期間運営できる企業でなければならないという意味もありました。

渡邉の言葉遣いには問題があるものの、自民党の大野伴睦や中曽根康弘と懇意で、かつては大臣になりたい議員が入閣を頼みにきたという人物だけに、上から目線もある意味で仕方がありません

また、その後のパリーグの隆盛を見れば、1リーグ化が正解とはいえなかったと思いますが、当時の経営側の判断としてはやむを得ないところだと思います。少なくとも世論に押されてライブドアが参入していたら、そこから数年後に球団は破綻し、否応なく球界再編の道に進んでいたでしょう。

 

【名言語録その3】

「読売グループ内の人事異動だ」

2003年オフに原辰徳監督が退任した際の言葉です。この言葉も大きな物議をかもしましたが、企業人である渡邉にとっては、そのままの意味だったのだと思います。

ジャイアンツの監督は生え抜きのスター選手であるという伝統があります。しかしそれは人材が限られるというマイナス面もあります。2005年オフに「人事異動」した原の後釜である堀内恒夫が退任し、渡邉は初の生え抜き以外の監督として星野仙一の招聘を画策しました。新しい血を入れようというのは悪い判断ではないと思いますが、星野が率いた北京五輪代表の不振や周囲の反対もあり実現しませんでした。

結果として原辰徳が再び指揮をとることになりますが、1975年の長嶋茂雄監督以降、長嶋2回、藤田2回、原3回と同じ顔触れが繰り返し監督に就任しています。それはまさに「人事異動」のようです。

しかしそれは一度退任しても再びチャンスがあるということでもあり、「半沢直樹」のようにリベンジの可能性が与えられるということです。事実、原辰徳は3度目の監督で2020年7月4日に通算1034勝を挙げて、ジャイアンツ歴代2位の勝ち星を記録。1066勝で1位のV9監督川上哲治も間近に迫っています。

もちろんこれも結果論ではありますが、監督として再チャレンジが可能であるということは、指導者の人材不足が叫ばれているプロ野球界において、重要なことだと思います。意図しているしていないに関わらず、渡邉がさまざまな形でプロ野球に貢献してきたことは間違いありません。

 


渡邉恒雄回顧録 (中公文庫)

 

 

名言からの学び

・利の在るある所は皆賁所と為す(自分に有利と思えば、誰もが勇猛果敢になる)

・見たまま、知ったままが現実ではない。

・結果論もまた評価である。

 

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