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二出川延明の凄さや実力が分かる名言・語録集!名物審判員の伝説の誤審エピソードから「オレがルールブックだ」発言まで

インプレー中はただの石ころと同じ存在で、ボールが当ろうと野手とぶつかろうとプレイは続行されるのに、時に試合の重大局面を左右する存在。それは審判員です。その審判員の中でも数々のエピソードを残している名物審判員が二出川延明です。

まだビデオ判定どころか、ビデオそのものが普及する以前、すべての判定は審判員の目で行われ、そこにはたくさんのドラマが生まれました。

判定は常に正確であるべきだという意見もあるでしょうが、ゲームの語源は「人が集まる」という意味だといわれている通り、スポーツは人の営みのひとつであり、誤審も含めて人が作り出す娯楽であるという考え方もあります

いずれにしても、良きにつけ悪しきにつけ、今よりもスポーツが人間臭かった時代、審判員の地位を引き上げるのに二出川が果たした役目は大きかっただろうと思います。

今回は名物審判員の二出川延明の凄さや実力が分かる名言や語録を紐解き、伝説の誤審エピソードから「オレがルールブックだ」発言にまで迫ります。

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二出川延明について

まずは二出川延明の経歴を追ってみます。

1901年8月31日生まれ、兵庫県神戸市出身。明治大学では外野手として活躍しました。当時は審判も選手が行っていたことから、特に二出川はルールについて熱心に勉強したそうです。卒業後は京阪電鉄に入社。1929年には和歌山県の天草中学(現向陽高校)の監督に就任。その年の夏の甲子園大会に出場し、準優勝に導きます。

1934年に日米野球の全日本選抜に選手として選ばれ、その後、大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)に入団。1936年にプロ野球初の移籍として名古屋金鯱軍に選手兼監督として入団。1年限りで引退し、審判員に転身します。

1950年にプロ野球が2リーグに分裂。二出川はパシフィックリーグの審判員となります。1960年に審判部長、1963年に引退。1970年には野球殿堂入りを果たしています。

1989年、88歳で永眠されました。

 

私が選ぶ、二出川延明の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「写真が間違っています」

ビデオによるリプレイ映像がなかった時代、ホーム上のクロスプレーで二出川は「アウト」と判定。翌日の新聞にはカメラマンがプレーの瞬間を撮影した写真が掲載され、実際には「セーフ」だったことがわかりました。リーグ会長に呼び出された二出川はそれについて、「写真が間違っています」と反論しました。

実際は誤審だったわけですが、そもそもビデオなどのテクノロジーがなかった時代からスポーツは存在し、判定は誤審も含めて審判の目に任されてきた歴史があります。

当時、カメラはまだ高価なものであり一般に普及はしておらず、ピント調整も手動だったので、動きの速いスポーツシーンの中で決定的一枚を撮るのは至難の業でした。しかも現像してみるまで何が写っているのかわからない状態です。つまり最新テクノロジーと撮影技術、そして運と時間が作用した一枚であり、現在のビデオ判定ほど素早く安定して明確な証明をしてくれるものではありませんでした。

であれば判定は即座に審判が担い続けるものであり、その審判が下した判断はどうあれルールとして有効なものです。そもそも審判とは判定を下すものであり、正誤をただすものではありません。

現在はビデオ判定があるものの、投球のストライク判定に関しては適用されません。審判の判定がすべてです。ファンとしては「より正確に」と望む気持ちもわかりますが、審判の判定が「正しい」のではなく、「有効」なのだという原則は、今も変わりません。もっとも更なるテクノロジーの進化が、今後の新しい変化を生み出すかもしれませんが。

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【名言語録その2】

「オレがルールブックだ」

1959年7月19日に行われた毎日大映オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)と西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の一戦で、8回裏オリオンズの攻撃でランナー1塁から醍醐猛夫が送りバントをし、投手の稲尾和久が素早く捕球し、2塁へ送球。中根塁審の判定は「セーフ」。納得できない遊撃手の豊田泰光はグローブを放り投げ、ライオンズの三原脩監督も抗議しましたが、中根塁審は走者の足と捕球が同時なのでセーフと判定。

三原監督はバックネット裏にある審判控室に向かい、そこにいた二出川に同時はアウトだと主張しますが、二出川はルールブックに同時はセーフとあると反論。納得できない三原はルールブックを見せろと詰め寄りますが、二出川は毅然と「オレがルールブックだ」と答えたそうです。

実際にはもう少し違う表現をしたという説もありますが、意味としては大きく違いはありません。詰め寄られた二出川ですが、その日はたまたまルールブックを家に忘れたので、三原の要求を突っぱねたとの逸話も残っています。ルール上、同時はセーフなので、二出川の判断は正しいのですが、審判の権威を示すエピソードとして語り継がれています

この話もあり、厳格なイメージがある二出川ですが、明らかにセーフをアウトと誤審してしまい、抗議を受けた時には「今のはアウト。ただし次からはわからない」と煙に巻いたそうです。

スポーツでは、時に悪い意味で「審判が主役」と記憶される試合があります。その多くは審判の判定ミスだけでなく、試合のコントロールに失敗したケースです。それは審判が権威を押し通すだけで、試合の流れや選手の感情を掌握できなかったために混乱が起きています。

二出川はプロ選手や監督としての経験もあるためか、監督や選手の機微を読むのがうまく、ひとつ間違えると権威主義になりかねないところを、うまくバランスをとっていたようです。だからこそ、今も伝説として語りつがれているのでしょう

 

【名言語録その3】

「いまのは気持ちが入っておらん」

1956年に皆川睦雄が、スリーボールから打者に打ち気が無いのを見て、真ん中に軽く投げ込むと二出川は「ボール」と判定しました。当然、捕手の野村克也と共に抗議をしましたが、「気持ちが入ってないからボールだ」と答えが返ってきたそうです。稲尾和久もルーキーの頃に真ん中の球をボールと判定されて抗議したところ「プロ投手にとって、ど真ん中はボールなんだ」と言われました。

稲尾和久の凄さがわかる名言!球界レジェンドの人生哲学とは

 

これらのエピソードは戦後プロ野球の復興期らしいなと感じますし、賛否もあるでしょう。ただプロ野球の先輩であり、戦前と戦後のプロ野球を知る二出川からすると、平和な時代の後輩たちに対して、何かしら思うところがあったのかもしれません。

現在の審判の経歴を見ると、約7年目でようやく1軍の試合に出て、10年目ほどでオールスター、18年目ほどで日本シリーズの審判を務めています。それだけ経験が求められる職業なのだと感じますし、審判員もまたプロなのだと思わされます。

引退後は「行けばいろいろ注意したくなる。もう年寄りの出る幕ではない」と、あまり球場に出向くことはなかったという二出川ですが、「気が向いたとき、スタンドでひっそりと試合を見るのが楽しい」とも語っています。

球場で静かにグラウンドを見つめているお年寄りの中には、二出川のように野球と深く関わっていた人もいるのでしょう。それが日本野球のすそ野の広さにつながっているのだと思います。

 

名言からの学び

・進化や変化によって、変るものもあれば、変らないものもある。

・権威だけで掌握はできない。

・歴史が多くのものを育てていく。

 

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