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宇野勝の凄さが分かる名言・語録集!珍プレーで守備で伝説を作った愛される男の人柄や人生哲学まで

かつてプロ野球のオフシーズンには名物コンテンツだった「珍プレー好プレー」。その珍プレーがプロ野球史上に残る失策として記録されたのが1981年。約40年も前のことですが、いまだにその映像が繰り返し放送されている選手が、宇野勝です。

珍プレーでばかり記憶されている宇野ですが、当時の遊撃手は守備の人であり、打撃に関しては余り期待されていませんでした。しかし宇野は本塁打王も獲得し、通算338本塁打を放った強打の遊撃手として、注目され、池山隆寛や石毛宏典らと共に、新しい遊撃手像を作り上げたひとりです。

遊撃手としてシーズン41本塁打はいまもプロ野球歴代1位であり、珍プレーで注目される守備も、落合博満は「中日のショートではトップクラス」と評価していた宇野。打撃も守備も荒っぽさはあったものの、もっと評価されて良い選手だと思います。

今回は珍プレーで守備で伝説を作った宇野勝の凄さが分かる名言や語録を紐解き、愛される男の人柄や人生哲学にまで迫ります。

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宇野勝について

まずは宇野勝の経歴を追ってみます。

1958年5月30日生まれ、千葉県匝瑳市出身。銚子商業高校では夏の選手権大会に出場。1976年のドラフト3位で中日ドラゴンズに入団します。ルーキーイヤーに一軍出場を果たし、翌1978年に初安打と初本塁打を記録します。1979年には2桁本塁打を放ち、レギュラーに定着。以降、14年連続で2桁本塁打をマークします。

失策が多かった宇野ですが、1981年8月26日の読売ジャイアンツ戦で、ショートフライを下りながら捕球しようとして、ボールをおでこに当ててしまい、ヘディング事件として有名になります。

1982年、30本塁打でリーグ優勝に貢献。1984年には37本塁打で掛布雅之と共に本塁打王に輝きます。1985年は遊撃手史上最多となる41本塁打を記録。1988年からは選手会長も務めます。

1988年に立浪和義にポジションを譲り、二塁や三塁の守備につくこととなりました。1992年のオフに千葉ロッテマリーンズにトレードで移籍。1994年オフに戦力外通告を受け、引退。

プロ通算18年間で、1620安打、338本塁打、78盗塁、打率.262。本塁打王1回、ベストナイン3回。

引退後は解説者やドラゴンズのコーチなどを務めています。

 

私が選ぶ、宇野勝の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「もう過ぎたことは言いたくないんですが、あの時のショックは一生心に残ります」

1981年8月26日のヘディングエラー事件は、昭和から平成、そして令和になっても語り継がれているほど、プロ野球史上でもっとも有名な珍プレーとなってしまいました。しかしヘディングだけならば広島カープの主砲でダイヤモンドグラブ賞10回の名手だった山本浩二も同じ年に似たようなエラーをしています。なのに宇野のプレーだけがこれほど有名になったのはいくつか理由があると思います。

ひとつはその時、ジャイアンツは158試合連続得点記録を続けており、ドラゴンズのマウンドにあがったのが、対ジャイアンツ戦で通算35勝を記録した燃える男星野仙一だったこと。試合は星野が力投し、6回まで無失点という緊迫した状況でした。そこで宇野のエラーによって159試合連続得点となり、星野はグラブを地面に叩きつけて悔しがりました。

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ふたつめの理由はその一部始終が全国放送され、映像として残ったことです。すでにON砲の長嶋茂雄監督は退任し、王貞治は助監督となっている時代ですが、ジャイアンツの人気は根強く、多くの人がこの試合のこの場面を目にしていました。

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三つめは、山本浩二のエラーは外野手で、打球がフェンス付近の深い位置まで飛んだために、一瞬どんなエラーが起こったのか、映像でもわかりにくかったのに対し、宇野の方は高く上がった内野フライだったため、観客の目も映像も追いやすく、絶妙の間があったためだと思います。

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本人は本塁打王も獲得したほどの打者であるのに、そのエラーのことばかり言われ、ショックで嫌だった時期もあったようですが、後に著書ではそれで全国の人に覚えてもらったことなどを「良かった」と回想しています。まさに映像時代が生んだ人気者といえます。

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【名言語録その2】

「僕のノルマは1試合1エラーに1ホーマー」

ヘディングエラーの他にも、宇野は数々の珍プレーを残しています。ヘディングと同じ1981年には遠征の際にユニフォームを忘れてしまい、スコアラーのユニフォームを借りて出場しました。ちなみに宇野の背番号は7でしたが、そのユニフォームは77でした。

1984年にはライトがエラーをしたと見るや猛然と一塁を蹴り、二塁へと向った宇野ですが、大きなジェスチャーで止める前のランナー大島康徳を追い越してしまい、アウトになるという珍プレーを起こしています。

それでもファンやチームメイトに愛された宇野。ヘディングエラーの後にグラブを叩きつけて悔しがった星野も、落ち込む宇野を優しく食事に誘ってくれました。星野の車に追突した時も、冗談を交えながら許してくれたそうです。

宇野がロッテを戦力外になった時、星野はドラゴンズの監督に内定しており、彼にドラゴンズ復帰を打診したそうです。残念ながら星野の監督就任が白紙に戻り、復帰はなりませんでしたが、それだけ宇野が愛される選手だったといえます。

 

【名言語録その3】

「謝るわけないよ。抑えろ、だよ」

野手がエラーをした時、今中慎二によると「落合さん、宇野さんには謝ってもらった記憶がない。それどころか、マウンドに来て『次は絶対抑えろよ』と言って守備位置に帰るんです」と話しています。

それに対して宇野は上記の言葉を返しています。もちろん傲慢なのではなく、ベテランの照れ隠しや開き直りで、若手を和ませ、鼓舞しようとしたのでしょう。

エラーも多かった宇野ですが、だからといって守備が下手だったというわけではありません。守備範囲の広さと強肩で数々のファインプレーも見せています

本塁打の打てる攻撃的な遊撃手という姿は、確実に坂本勇人のような選手に受け継がれ、野球を面白くしてくれた先駆者としても、記憶されるべきだと思います。

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名言からの学び

・時代や状況が人気者を作る。

・ミスを許すことで、伸びる者もいる。

・先駆者は先駆けだからこそミスもする。

 

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