和田毅の凄さが分かる名言・語録集!メジャー経験もあるレジェンド投手の伝説エピソードから努力論まで
いわゆる松坂世代と呼ばれる時代の選手たちは、牽引車となる松坂大輔に触発されて、素晴らしい成績を残した選手が数多くいます。なかでも先発投手として通算100勝以上を記録した選手は3人。松坂本人の他に、杉内俊哉、そして和田毅です。
松坂世代も2020年には40歳を迎え、現役でいるのは松坂の他、藤川球児、久保裕也、渡辺直人、そして和田の5人だけとなりました。しかしこれは「5人も」と言うべきかもしれません。プロ野球選手の寿命が伸びたとはいえ、2019年時点で選手の平均年齢は26.2才。高卒新人に至っては自分の子どもでもおかしくはない年齢です。
和田は決して速いとはいえない平均140キロ程度のまっすぐを武器に、大学時代には「早稲田のドクターK」と呼ばれ、東京6大学の奪三振記録を更新しました。そしてプロでもスピードガンの数字よりも速く感じるというまっすぐで勝負できる投手として、活躍を続けています。
今回は体感速度で勝負する和田毅の凄さが分かる名言や語録を紐解き、メジャー経験もあるレジェンド投手の伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
和田毅のプロフィール詳細
まずは和田毅の経歴を追ってみます。
1981年2月21日生まれ、島根県出雲市出身。生まれは母の郷里である山形県で、初めは愛知県江南市で育ち、10歳の時に島根に転居。浜田高校では2年と3年の時に、夏の選手権大会で甲子園に出場。3年の時にはベスト8に進出します。卒業後は早稲田大学に進学。江川卓が持っていた東京6大学の通算奪三振記録443を越え、476奪三振まで伸ばし、2002年春からチームが4連覇する原動力となりました。
2002年のドラフトでは自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団。ルーキーイヤーから先発ローテーションに入り、14勝をあげて新人王に輝くなど、リーグ優勝に貢献し、日本シリーズでは胴上げ投手となります。
以降、2007年まで入団から5年連続で二桁勝利を記録。故障の影響もあり、2008年と2009年には二桁勝利に届かずに終わりますが、2010年に復活。17勝で最多勝利をあげ、MVPにも輝きます。2011年、通算100勝を記録するなど16勝で、リーグ優勝に貢献し、オフには海外FA権を行使して、メジャーリーグに挑戦。ボルチモアオリオールズと契約します。
しかし渡米後、トレーニング中に左肘を痛め、トミージョン手術を行うこととなりました。2年間をほぼマイナーリーグでのリハビリと調整に費やし、2013年オフに自由契約となり、シカゴ・カブスとマイナー契約とます。途中でメジャーに昇格して、念願初勝利をあげるなど4勝しますが、翌2015年にも故障し、わずか1勝で自由契約となります。
2016年、古巣のホークスに復帰。見事な復活を見せて、15勝をあげて6年ぶりの最多勝を獲得。
以降、故障がちながらも2017年と2019年に4勝ずつ記録し、2020年も現役として迎えています。
日本プロ野球では通算13年間で130勝、1565奪三振、防御率3.13。新人王、MVP1回、最多勝利2回、最高勝率1回、ベストナイン1回。メジャーリーグ通算4年間で5勝、防御率3.36。
私が選ぶ、和田毅の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「自分の中では、三振というのはまっすぐで取るものだと思ってます」
和田と対戦した打者たちは口をそろえて、「スピードガンよりも速く感じる」と話します。事実、スピードガン計測では140キロ前半でも、打者が振り遅れ気味に空振りするシーンをよく見かけました。
和田の前に東京6大学の奪三振記録を持っていた江川卓も、スピードガンの球速表示よりも速い印象がありましたが、最近は各チームが投手の回転数などさまざまなデータを計測しており、和田のまっすぐは回転数が投手平均よりも高く、江川同様いわゆる「手許で伸びるボール」であることがわかります。
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かつて和田がジャイロ回転のボールを投げているなどと話題にもなりましたが、ダルビッシュ有は「ジャイロボーラーなんていない」とツイートし、皆がジャイロボールだと指摘しているボールは「カットorスライダーの抜けただけの球」と説明し、松坂大輔もそれに同意しています。
ジャイロボールについてはアンダースローやサイドスローだと可能だという論議もありますが、問題はそれほど和田のボールがすごかったということです。そして重要なのは打者目線ではスピードガンの速度よりも、体感速度が重要だということです。それは球速がなくて投手を諦めようとしている子どもたちへのヒントになるかもしれません。
【名言語録その2】
「松坂の4年と僕の4年はまったく別の世界の話なわけで。それがこれから交わっていく。そこで初めて勝ち負けが出てくるんじゃないですかね。これからですよ」
いわゆる「松坂世代」の和田。高校時代にはすでにスターだった松坂と記念写真を撮るくらい、いろいろな意味で距離があったふたりですが、和田は大学野球で大活躍してプロ入りを果たしました。上記はその4年間について語った言葉です。
「僕はもともとプロに入れるような選手ではなかった」
そう考えていた和田は、大学に入ってからフォームをすべて見直したそうです。参考にしたのは松坂のフォームです。右投げと左投げの違いはありましたが、グローブをはめている腕の動きや振りかぶってからのテンポ、力の入れ方などを真似たそうです。それで1ヶ月半ほどで13キロも球速が増しました。
またウエイトトレーニング全盛期の今も、「走ることが一番大切だと思っています」と話す通り、黙々と走ることを続けています。大学時代にはライトとレフトのポール間を毎日40本走るのが日課だったそうで、それにより「下半身を使って投げること」を意識してきたそうです。
「大輔って繊細だし、器用だけど、僕は大雑把で、不器用なんですよ」
好対照な2人ではありますが、共に現役を続けている以上、互いの勝ち負けはまだまだ「これから」なのだと思います。
松坂大輔の凄さが分かる名言・語録集!天才投手の復活までの努力論や人生哲学まで
【名言語録その3】
「僕というピッチャーは、作り上げて来た作品なんです」
和田曰く、「ちょっとでも手入れを怠ると、スピードがでなくなるし、壊れちゃう。だからこそ一生懸命、真剣にやってきた」のだそうです。
度重なる故障と手術から、自慢のまっすぐだけでは通用しなくなり、和田はカットボールとツーシームを身に付けました。そしてそのボールを生かすために、プレートの真ん中から三塁側を踏むように変え、カットは右バッターに食い込むように、ツーシームは外に逃げていくようにしました。
自分という作品を、時代の変化や身体の状況に合わせて変え続けるのは、そう容易なことではありません。過去の成功体験や結果が邪魔をするからです。しかし和田は過去の成果に囚われることなく、果敢に挑戦を続けています。
和田は「世界の子どもにワクチンを日本委員会」の活動に協力し、1球ごとに10本、勝ったら20本のポリオワクチンを寄付しています。2020年は新型コロナウイルスで世界が混乱していますが、それで多くの人がワクチンの重要性を再認識したと思います。
メジャーリーグを経験し、アメリカでは年間に個人寄付が日本の100倍もあることを知ったという和田。是非ともまだまだ活躍をしてもらって、更に多くのワクチンを届けてもらいたいと思います。
だから僕は練習する 天才たちに近づくための挑戦 [ 和田 毅 ]
名言からの学び
・数字は目安であり、結論ではない。
・好敵手の勝敗はどちらかがギブアップするまで続く。
・経験はその人の作品である。
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