山崎康晃の凄さが分かる名言・語録集!天才セーブ王の伝説エピソードや日本の守護神となった努力論まで
「亜細亜ボール」と呼ばれる謎のボールがあります。プロ野球で活躍する亜細亜大学出身の投手たちが投げるというボールで、福岡ソフトバンクホークスの東浜巨、広島東洋カープの九里亜連や薮田和樹、阪神タイガースの高橋遥人らがその使い手と言われていますが、もっと巧みな使い手が山崎康晃です。
クローザーとして日本人最速の100セーブ、プロ野球史上最年少での150セーブと、さまざまな記録を塗り替え続けている山崎。日本とフィリピンのハーフで、東京ガールズコレクションにもモデルとして登場したイケメンでもあり、横浜スタジアムでの熱狂的な「康晃ジャンプ」は球場が揺れるほどの人気です。
2015年のプレミア12以来、日本代表である侍ジャパンメンバーの常連で、クローザーとして常に安定した活躍を見せてくれています。
今回は最速、最年少のセーブ王である山崎康晃の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才セーブ王の伝説エピソードや日本の守護神となった努力論にまで迫ります。
山崎康晃について
まずは山崎康晃の経歴を追ってみます。
1992年10月2日生まれ、東京都荒川区出身。帝京高校では2年の時に夏の選手権大会、3年の時に春の選抜大会で甲子園に出場。プロ志望届を出したもののドラフトでは指名されず、亜細亜大学へ進学します。大学ではクローザーとしてリーグ戦で6季連続優勝や神宮大会優勝に貢献。国際大会でも活躍します。2014年のドラフトで横浜DeNAベイスターズと阪神タイガースの1位指名を受け、ベイスターズが交渉権を獲得し入団しました。
2015年のルーキーイヤーからクローザーを任され、37セーブをあげて新人王に輝き、オールスターにもファン投票1位で出場しました。2016年は2年目のジンクスからか一時期調子を落し、防御率は高くなりましたが33セーブを記録。2017年にはセットアッパーを担う時期もあったものの、途中でクローザーに戻ります。
2018年、日本人選手最速となる通算100セーブを達成し、シーズンでも37セーブをあげて、初の最多セーブ投手に輝きます。2019年は日本プロ野球史上最年少で150セーブに到達。新人1年目から5年連続20セーブ以上という記録も作り、2年連続で最多セーブ投手になります。
2019年シーズン終了時で通算5年間、13勝163セーブ、防御率2.34。新人王、最多セーブ投手2回。
セーブポイントはチームの強さも関わってきますが、このままクローザーを続ければ、名球会の基準である250セーブはもちろんですが、歴代2位となる高津臣吾の286セーブを越え、岩瀬仁紀の407セーブにも迫りそうな勢いです。
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【名言語録その1】
「僕自身、一度は野球を諦めかけましたが、そこからいろんな人に期待してもらって今こうしてプロ野球の世界で投げています。僕はその人たちの思いも背負って投げているつもりです」
高校時代、プロ志望届を出しましたが、山崎はドラフトから漏れました。1学年下に伊藤拓郎というプロが注目するエースがおり、甲子園でも途中登板、3年の夏にはエースナンバーの背番号1を背負いましたが、伊藤の不調が理由であり、甲子園も逃しました。その伊藤の方はベイスターズにドラフト9位指名を受け、高校からプロ入りしています。
高校2年の時には、山崎は野球をやめる決心をしますが、母親はそれを良しとはせず、息子をタクシーに押し込み、運転手に「帝京高校以外では降ろさないで」と頼み、登校させたそうです。
更に高校卒業時にドラフト指名はなく、母子家庭で大学に進学するのは経済的に苦しく、再び野球を辞めようかと悩んだ末、母親に「4年後にプロになる。もう一度、野球を学ばせてくれ」と頼み、大学へ進みました。
厳しいことで有名な亜細亜大学の野球部で、山崎は時にブルペンで泣きながらピッチングをしていたそうですが、野球を諦めずに続けました。
まさに継続は力ですし、母は強しです。そしてたくさんの支えを知るからこそ、クローザーとしての責任感と、プロとしてのファンサービスを忘れない姿が生まれたのでしょう。
【名言語録その2】
「僕が教わった時はツーシームでしたよ」
戦国東都と呼ばれた東都リーグで、2011年から2014年まで6季連続優勝の他、神宮大会優勝などの結果を残した亜細亜大学。その時代に所属した東浜巨、九里亜連、薮田和樹、そして山崎らが使う独特のボールが、いつしか「亜細亜ボール」と呼ばれるようになりました。
始まりは東浜巨が、彼らに握りを見せて、「これで真っ直ぐを投げれば、勝手に落ちるから」と教えたことだったそうです。それをそれぞれが投げやすいように独自に進化させたものだから、東浜は「全部違うボール」だと話しています。
実際、握りは同じでも、身体的にも能力的にも変化は違ってくるものです。山崎はそのボールの正体を「ツーシーム」と語っていますが、東浜によると「シンカー」という認識なのだそうです。それぞれプロで活躍しているわけですが、ボールの軌道を見るとやはりみんな違っているし、特に山崎のボールは変化が鋭く大きいようです。
4人もプロで活躍する投手がいたのですから、当時の亜細亜大学は強く当たり前だと感じてしまいますが、それは結果論であり、そのような投手たちが切磋琢磨して強くなり、プロになったというのが因果律として正解です。
それは「松坂世代」とか「ハンカチ世代」といったものと同じであり、環境が人を育てる好例なのだと思います。
【名言語録その3】
「あれだけカッコよく登場してきて、パンパンパンって点数取られてマウンドを降りることだってあるわけですからね。そう考えればプレッシャーは感じます。でも、それをはね返してやるぐらいじゃないと、いまのポジションでは絶対にやっていけないと思う。期待感もプレッシャーも全部はね返すぐらいの力を身につけてマウンドに立てればいいなって思ってます」
山崎といえば定番曲のKernkraft400と康晃ジャンプですが、2017年のアジアプロ野球チャンピオンシップの決勝戦では、東京ドームでそこにいるのはベイスターズファンとは限らないのに、康晃ジャンプが起こりました。
それだけクローザーとして期待されマウンドに登るわけで、その重圧は相当なものでしょう。
「僕としては、とにかくランナーを出してもホームベースを踏ませなければいい。試合を勝ちで終わらせることができればいい」
2018年にはそう発言していた山崎ですが、最多セーブ投手のタイトルも獲得し、2019年にはそれまで弱かった夏場対策もフィジカル面と、カットボールを覚えるというテクニック面で補い、結果として2年連続の最多セーブ投手に輝きました。そしてその発言も変わります。
「極力3人で終わらせたいという思いはあります。同様にセーブが付く場面でも、最後の終わり方ひとつで翌日の戦い方が変わってくる。難しいところですが、そこは気にかけるようにはしていますね」
翌日につなげるため、いい勝ち方をする必要があり、出来るだけ3人で締めたいという思いが出てきているようです。それはまたひとつの進化だろうと思います。
「結果にはスランプがあってもファンサービスにスランプはないと思う」
そう言い切る山崎ですから、更にファンを楽しませてくれる結果を残してくれるだろうと思います。
名言からの学び
・継続は力であり、続けなければ結果は生まれない。
・環境や出会う人が、その人を育てる。
・成長もまたファンサービスのひとつである。
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