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川口和久の凄さが分かる名言・語録集!解説者としても活躍する野球コーチの伝説エピソードから人生哲学まで


三振を取れる投手というのは、それでひとつの才能です。1950年の2リーグ分裂以来、3回以上シーズン最多奪三振を記録した選手は、2019年までにセリーグ6名、パリーグ7名。その中には金田正一、江夏豊、江川卓、稲尾和久、鈴木啓示、村田兆治、野茂英雄、松坂大輔など、プロ野球の歴史に名前を残す投手が並んでいます。そして川口和久もそのひとりです。

3回以上シーズン最多奪三振を記録した選手の中で、左腕はわずかに4人。

川口は右打者のインコースに食い込むクロスファイアの快速球を武器に、技巧派の大野豊と共に、広島カープを背負う左腕の二枚看板として活躍しました。荒れ球の川口、コントロールの大野という対照的な左腕を擁したカープはセリーグの強者として、度々リーグ優勝を果たしています。

また星野仙一や平松政次らと共に巨人キラーとしても有名で、ジャイアンツ相手に33勝をあげています。

今回は解説者やコーチとしても活躍する川口和久の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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川口和久について

まずは川口和久の経歴を追ってみます。

1959年7月8日生まれ、鳥取県鳥取市出身。鳥取城北高校の頃から快速左腕として注目され、1977年のドラフトでロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から6位指名を受けましたが、社会人のデュプロに入社。1980年のドラフトで広島カープから1位指名を受けて入団を決めます。

プロ2年目となる1982年に初勝利をあげ、翌年には15勝を記録します。その後はチームの柱のひとりとして活躍し、1986年から6年連続で二桁勝利をあげ、セリーグを代表する左腕として3度のシーズン最多奪三振や6度のオールスター出場を達成します。

その間、ワインドアップに変えたり、新たな球種やコントロールを磨くなど、具体的な課題を持った取り組みが結果に結びつきました。

1994年オフ、義父の病気の看病を望む妻の希望を聞き、実家のある東京移住に伴い、FA権を行使して読売ジャイアンツに移籍。1996年にはリリーフに転向。1998年に引退。古巣カープとの引退試合では、カープの選手もセレモニーに参加しました。

現役通算18年間で139勝4セーブ、2092奪三振、防御率3.38。最多奪三振3回。通算奪三振数は歴代17位です

引退後は解説者として活躍しますが、2011年よりジャイアンツのコーチに就任。2015年にはフロント入りし、同時に解説者としても活動しています。

 

私が選ぶ、川口和久の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「ファウルさせられる球威のあるボールが必要」

プロ入り当時はストレートとカーブしか投げられなかった川口ですが、左腕特有のクロスファイアは威力がありました。また当時のカープは猛練習で知られ、グラウンド10周のあとに、ポール間を10往復、50メートル走を10本、30メートル走を10本、腹筋、背筋、スクワットをそれぞれ100回やり、それからキャッチボールというハードメニューだったそうです。

入団してすぐに、カープの主軸だった山本浩二と衣笠祥雄がやってきて、川口に真っ直ぐとカーブを投げさせたところ、数球だけ見て、二人は川口の球種をほとんど当ててしまったといいます。

そんなハードワークと先輩たちの洗礼を受け、三振の取れる投手として活躍した川口ですが、ファウルを取れる球威のあるボールを意識していました。ストライクカウントを効率よく稼ぐには、力のあるボールでファウルを打たせることが重要なのだそうです。

投手は必ずしも三振を取る必要はありませんが、状況によっては三振が欲しい場面もあります。そこで三振を取れる投手は流れを変えることができます。

川口は勢いや流れを変えられる投手だったと言えます。

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【名言語録その2】

「いくら頭でわかっていても体が動かなければ、知らないのと一緒でしょう」

プロ入り3年目に15勝を上げましたが、その後の2年間は安定して活躍できなかった川口ですが、ある時、ふらりと野球関係者が多く集まる喫茶店に顔を出すと、そこに左腕のレジェンドである江夏豊がいたそうです。

挨拶を交わし、少し話をすると、江夏が「今年は何でだめかわかるか」と尋ねてきました。首をひねる川口に、江夏はアウトコースの出し入れの重要性について語りました。

アウトコースが投手の原点だというのは、江夏も師事した野村克也の持論です。確かにチャンスの場面になると、多くの打者は得意な球種か、甘い球に絞っているケースが多く、ツーストライクまでは厳しいアウトコースは待ちません。

追い込まれると多少ボール気味でも手を出さざるを得ないので、フルスイングは難しく、アウトコースの出し入れをうまくやれば長打をくらう可能性は低くなります

いくら組み立てを理解したところで、そこに投げ切れる技術が必要です。コントロールが悪かった川口ですが、大事なポイントに投げ切る技術には磨きをかけ、それにより安定して二桁勝利をあげられる投手になったのです。

江夏豊の凄さが分かる名言・語録集!天才投手の努力論や人生哲学にも迫る!

 

【名言語録その3】

「ノーコンはいわば覆面だね」

現役18年間で6度もリーグ最多の与四球を与えている川口。暴投も多く、正直なところ、コントロールが良かった印象はありません。しかし本人はカモフラージュだったと言います。

荒れ球の投手というのはコースを絞りづらいため、意表を突かれて打ちにくいことがあります。晩年の川口は若い頃のノーコンのイメージを利用し、打ちにくさを演出していました。

特に1995年にジャイアンツへ移籍し、思うように結果が残せなかった頃、「八時半の男」こと宮田征典コーチにリリーフ転向を勧められ、リリーフの極意としてコントロールを重視するよう教えられました。そこで投球時の歩幅をそれまでの7歩半から5歩半に短くすることで、体のブレを少なくしてコントロールを磨いたのだそうです。

江夏や宮田だけでなく、ワインドアップを勧めてくれた長谷川良平コーチなど、多くの助言をうまく生かすことで活躍できた川口。

聞く耳を持つことが、常に成長の一助になっていたと思います。

 


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名言からの学び

・時に流れを変えられる力が必要である。

・上手くなるには、先人の話を聞き、考えて、努力することである。

・聞く耳を持つことが、成長の一助となる。

 

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