真中満監督の凄さが分かる名言・語録集!解説者としても活躍する人気者の伝説エピソードから指導方法まで
毎年、プロ野球のドラフト会議では、様々なドラマが繰り広げられています。球団同士は選択順による駆け引きがあり、選ばれる方は名前が呼ばれるのかどうか、呼ばれるならどの球団か、はらはらする時間を過ごすことになります。そのドラフト会議で伝説となる「勘違い」で会場を沸かせたのが真中満です。
2015年のドラフト会議にヤクルトスワローズの監督として参加した真中は、ドラフト1位の重複指名で抽選となった際、NPBのマークを当たりと勘違いしていち早くガッツポーズをしてしまい、インタビューにまで答えてしまいました。しかし実は当たりくじを引いていたのは阪神タイガースの金本知憲監督でした。
そんな失敗も、おもしろ伝説エピソードとして語られているのは、真中の人柄のせいでしょう。監督として就任1年目で優勝したものの、3年目には最下位となり、称賛から一変して怒号を浴びせられたものの、選手やマスコットのつば九郎からは応援の声があがりました。
今回は人気解説者としても活躍する、真中満監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから指導方法まで迫ります。
真中満監督について
まずは真中満の経歴を追ってみます。
1971年1月6日生まれ、栃木県大田原市出身。宇都宮学園(現文星芸術大学付属高校)では3年生の時に春夏共に甲子園に出場。卒業後は日本大学に進学。東都リーグで打率と打点の2冠王に輝くなど活躍し、1992年のドラフトでヤクルトスワローズから3位指名を受けて入団。
当時のスワローズには飯田哲也、秦真司、荒井幸雄がいて、更に真中の2年後には稲葉篤紀が入団し、他にも外国人選手もいるなど、外野手は大激戦区でした。そのためなかなか出場機会が得られませんでしたが、飯田の怪我もあり、1998年にはレギュラーを獲得。1999年には規定打席数に到達して初の3割を記録します。
2001年には再びシーズン3割を打ち、リーグ優勝。日本シリーズでもホームランを放つなど活躍をし、チームの日本一に大きく貢献しました。
2005年には青木宣親の台頭で、レギュラーを失うものの、代打の切り札としてチームを支え、2007年にはシーズン代打起用数98、代打安打数31の共に日本最多記録を打ち立てました。
2008年シーズン限りで引退。現役通算16年間で1122安打、54本塁打、64盗塁、打率.286。その後、チームの二軍コーチ、二軍監督、一軍コーチを経て、2014年オフには監督に就任します。
2015年は見事にリーグ優勝を果たしましたが、翌年5位、そして2017年には96敗と大きく負け越して最下位となり退任しました。監督通算3年間で185勝を上げ、リーグ優勝1回。退任後は野球解説者を務めています。
私が選ぶ、真中満の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「僕がルールを変えた。歴史に名前を刻めたと思いますよ。失敗がいいことに変ることだってあるんですよ」
2015年のドラフト会議で、1位指名した高山俊がタイガースと競合。くじの結果、NPBのマークを当選と勘違いし、勝ち誇るように両手をあげた真中でしたが、NPBのマークはすべてについており、交渉権獲得の文字がある当りくじは、タイガースの金本監督が引き当てていました。
ドラフト会議では2005年にもソフトバンクホークスの王貞治監督が同じような勘違いをしたことがありますが、しかし真中の方はテレビ中継で喜びのコメントまで発してしまっていたので、大きな話題となりました。
しかしそれがきっかけとなり、勘違いを避けるため、NPBのマークは入れないことになりました。そもそも交渉権獲得の印があって当たりというのは、事前に球団側には知らされているわけですから、真中の勘違いは単に確認ミスなわけですが、監督としては今後のチームに関わる重要な選手選択で頭がいっぱいな筈で、彼を責めるわけにもいかないと思います。
ドラフトの際のNPBのマークについては、以前より度々くじを引く者から混乱するとの話があったようです。しかし長年の慣習でそのままだったものが、真中のミスで変更されたのです。ひとつの失敗がより良い制度を生み出したことは、偶然とはいえ真中の功績と言えるでしょう。
【名言・語録その2】
「やっぱり緊張してましたよ。そういう意味では俺もまだまだかなと思ったね」
監督就任1年目で、前年の最下位からリーグ優勝を果たした際に、語られた言葉です。終盤まで読売ジャイアンツと熾烈な優勝争いを繰り広げましたが、選手には「平常心で普段通りの野球をやろう」と話していました。しかし内心ではその快挙にかなり緊張していたようです。
異例の最下位からの快進撃ですが、真中が監督して目指していた野球は「しつこく、粘り強く、最後まで諦めない野球」です。しかし戦術的には送りバントを多用せず、ランナーを2塁に置いた場面でも右方向への打撃で進塁させるのを求めない攻撃的な野球でした。それによりリーグ最少犠打で、最多得点をあげました。
進塁打に頼らない野球というと、大雑把な野球と思われがちですが、併殺を奪った回数は十二球団トップです。内野守備コーチを務めていた三木肇は「常識を度外視したシフトやポジショニング、あるいは作戦を常に考えるようにしました」と話しています。たとえば1死ランナー2、3塁の場合でも、あえて内野は前進守備を引かないといった形です。
当然、セオリーは踏まえた上で状況に合わせての作戦ですが、それを臨機応変に使うには実行する側の選手たちも、意図を理解しておかなければなりません。
「自主性のある選手を育てたかったんです」
真中は「指示を仰いでばかりの選手はどうしてもとっさの判断力が鈍ります。練習から自分で考えることで判断能力がつくんです」と言っています。
自主性を持ち、判断力のある大人の選手を育てることで、監督就任1年目でのリーグ優勝を果たしたのだと思います。
【名言・語録その3】
「それは固定観念ですよね」
恩師である野村克也が「外野手出身監督に名将はいない」と言っていることについての反論です。真中は「そもそも野村さんは僕らに、固定観念は悪だ、と常に言っていたのに」と笑って答えています。
野村というと理論派で管理野球のイメージもありますが、真中いわく「意外とのびのびプレーはやらせてもらい」、「意外とシンプルでやりやすい環境」だったそうです。
真中は野村が監督の頃、2番を打つことがよくあり、2番らしくボールをよく見て、ランナーがいれば進塁打を打つなどしていたところ、野村からは「どんどん初球から打てよ。お前なんか追い込まれたら打てないんだから、ボール球からくるわけないだろう」と言われたそうです。
野村の奇襲戦法はあくまでも弱者が強者に勝つための戦術であり、すべての場面に当てはまるものではありません。それを常にセオリーとしてしまうことを戒めたのでしょう。
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真中が目指したものは、選手個々がそういった状況を見極められる強者として、常勝チームを作るための野球だったと言えます。
それは真中が退任した時に、毒舌で知られるチームマスコットのつば九郎が残したメッセージからも感じられます。
「こせいのつよい、おとなたちのしゅうだんを、まとめるおとこの、しごとは、たいへんだったとおもいます。みんな、かんとくだけのせきにんじゃないことは、わかっています。みんなもうしわけないきもちで、いっぱいのはずです」
まさに、つば九郎も大人な対応だなと思います。
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できない理由を探すな! スワローズ真中流「つばめ革命」[本/雑誌] / 真中満/著
名言からの学び
・失敗から学ぶことも多い。
・指示待ちでは判断力は育たない。
・固定観念を排除するのが大人である。
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