与田剛監督の凄さが分かる名言・語録集!準備を惰らない速球派投手の伝説エピソードからリーダーシップ論まで
救援投手に与えられるセーブポイントが、日本プロ野球に導入されたのは1974年です。以来、多くのストッパーが活躍してきましたが、最多セーブ投手または最優秀救援投手を受賞し、引退後に監督になったのは星野仙一、牛島和彦、森繁和、そして2019年から中日ドラゴンズの監督に就任した与田剛しかいません。
よく監督になるのは捕手か内野手が向いていると言われますが、投手出身の監督で戦後に日本一となったのは金田正一、藤田元司、権藤博、星野仙一、工藤公康と5名います。なかでも最多セーブ投手を受賞している星野仙一は、与田剛がプロデビューした時の監督でもあります。
引退後はNHKの解説者、野球日本代表、東北楽天ゴールデンイーグルス、中日ドラゴンズと恩師である星野と似た経歴をたどってきた与田ですが、2019年シーズンでは積極的に前年一軍出場のなかった選手たちを起用し、ある程度の効果をもたらしています。
今回は1990年当時、日本人最速の157キロという速球記録を作った与田剛監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、速球派投手の伝説エピソードから、「しっかりと準備ができている選手を使う」という監督としてのリーダーシップ論にまで迫ります。
与田剛について
まずは与田剛の経歴を追ってみます。
1965年12月4日福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身。木更津中央高校を出て、亜細亜大学に進学しますが、血行障害などによりほとんど登板することなく、卒業後はNTT東京に就職。そこで速球派として開花し、1989年のドラフト1位で中日ドラゴンズへ入団します。
1990年、新人にして開幕戦から同点延長の展開に登板し、見事なピッチングを披露。郭源治の故障もあり、クローザーに抜擢されます。ファン投票でオールスターにも選出され、シーズン31セーブをあげて新人王と最優秀救援投手を受賞しました。
しかしリリーフ登板で1試合2イニング近い登板数が災いしたのか、1993年シーズン以降はほとんど活躍できず、1996年のシーズン中に千葉ロッテマリーンズにトレードとなります。マリーンズでは登板のないまま1997年のオフに自由契約となり、1998年はテスト入団で日本ハムファイターズに加わりますが、わずか1試合の登板で1999年オフに再び自由契約となります。2000年は阪神タイガースにテスト入団しましたが、1軍登板のないまま戦力外となり、引退します。
プロ通算10年間で8勝59セーブ、防御率4.58。新人王、最優秀救援投手1回。長身から投げ下ろすのではなく、スリークォーター気味のフォームから投げ込まれるファストボールはまさに名前の通り「剛」速球でした。
引退後は解説者、野球日本代表コーチを経て、2015年に東北楽天ゴールデンイーグルスの投手コーチになります。2018年オフには中日ドラゴンズの監督に就任しました。監督経験のない与田ですが、ヘッドコーチには監督経験も豊富な伊東勤を起用していますし、どんな采配をするのか楽しみです。
私が選ぶ、与田剛の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「言葉では何といっていいかわからないが、自分のなかに確実に変化が起こった」
1990年4月7日、与田がプロ入り1年目の開幕試合。同点で迎えた延長11回という緊張した場面で初登板を迎えます。しかもノーアウトでランナーは1、3塁という大ピンチです。初球にフォークボールを投げますが、これは与田のサインの見間違いで捕手の中村武志に声をかけられて、ようやく落ち着いたそうです。そこからは17球連続速球を投げ込み、そのうち13球が150キロを越えていました。ゴロで本塁に突入したランナーが中村に体ごとぶつかりに行くと与田が激怒し、両軍がベンチから飛び出し、一触即発となりました。
プロ野球史上でも、これだけ印象に残るデビュー戦もなかなか無いと思います。この時、与田は体内の「何か」が変わったそうです。アマチュア時代から速球派とはいえ、150キロ台を連発するほどではなかったのに、プロのマウンドに立ち、一瞬で変化が起こりました。
当時監督だった闘将星野仙一の気合に押されたのか、死球を当ててマウンドに190センチで100キロの外国人選手が詰め寄ってきても、帽子を取っての謝罪もせず、一歩も下がらなかったという試合もありました。
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「守護神の座は自分の実力で奪ったわけではなかったですから」
郭源治の故障で一時的に抜擢されたものの、星野や主砲の落合博満から「お前で負けたら仕方がない」と言われるようになったことで、その責任が与田の能力を開花させたのでしょう。
【名言・語録その2】
「他の世界もそうだけど、結果論で言うのは外部の人。内部の人は結果論を優先してはいけない。内部の人間は過程も大事にしていかないといけない」
ドラゴンズの監督に就任し、試合へ向けての取り組みや体調を整えられている、準備を惰らない選手を使うという方針を打ち出した与田。
2019年シーズンに入ると、井領雅貴、溝脇隼人、加藤匠馬、阿知羅拓馬、三ツ俣大樹、友永翔太など、昨シーズンは一軍出場のない選手たちを、積極的に使いました。ドラゴンズの状況として育成の意識があることはもちろんでしょうが、しっかり準備をしている選手を見逃さないという意識もあるのでしょう。
「(監督という立場になって)自然と何かが見える、というよりも、見なきゃいけないという意識が強くなりますね」
「プロは単年契約の世界で、じっくり腰を据えてお互いを知る時間はないんですよ。だからより濃厚な時間を取ることを意識しなければならないと思います」
ドラゴンズ応援歌の歌詞に「お前」とあるのを「選手の名前で呼んでほしい」という発言で、物議を呼んだ与田ですが、「それぞれの価値観や感受性も違うと思うんですけどね。意外と不本意な方向に話がいっている」と騒動について語っています。
もしかしたら、かつて自身がプロのマウンドで覚醒したように、あまり経験のない選手たちも自分の名前を呼んでもらうことで、彼と同じように何か変るかもしれないと思っての発言だったのかもしれません。
【名言・語録その3】
「僕と距離を取りたい選手がいたら逆に近づいていこうと思う」
監督として意識しているのはやはり星野仙一だという与田ですが、その星野がイーグルスの監督をしていた頃について、与田は「昔は闘将として激しさを前面に押し出すスタイルでしたが、今は逆になにがあっても動じない。そこに、むしろ若い頃にはなかった迫力と怖さを感じるんです」と話していました。
星野は常に「選手が最優先、とにかくじっくり見ろ」と言っていたそうです。その意識を与田も忘れないようにしているようです。
「勝ち抜いた人間にいつまでも競争心を求めるのもよくないと思うんです。『厳しい競争に勝ち抜いてきたんだから、オレは自信を持ってお前に任せる。不安なく戦ってこい』と送り出してあげることも大事だと思っています」
与田は1999年に日本ハムファイターズにテスト入団しましたが、最終戦で1イニングだけ投げ、それが現役最後の登板となりました。その時、退任が決まっていた上田利治監督は握手をしながら「なにも与田くんの力になれなかったなあ」と言ってくれたそうです。
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与田は戦力になれず悲しくもつらかったと語っていますが、翌年テストで拾ってくれた野村克也、星野、落合、上田といった野球を続けさせてくれた人たちに強く感謝を抱いているようです。
「選手ではあるんですけど、自分の子どもであり家族であると思えるようにと。それはスタッフも含めてです。そういう感覚で接していきたいというのはすごく思っています」
その言葉は、まさに先達への感謝から生まれ、後からくる人たちへの贈り物となる言葉だと思います。
監督としても先達に負けない成績を期待しましょう。
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名言からの学び
・与えられた責任と向けられた信頼が人を大きくする。
・内側にいる人間は評論家になるのではなく、関係者にならなければならない。
・先達の教えは、後代に受け継がれてこそ価値を増す。
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