伊東勤監督の凄さが分かる名言・語録集!天才キャッチャーの伝説エピソードからリーダーシップ論まで
重い防具をつけて、試合中に何度も立ったり座ったりを繰り返す、肉体的にとても過酷なポジションである捕手ですが、同時にチームの頭脳としての面も求められます。そんな捕手として実に14度ものリーグ優勝と10度の日本一を経験した選手がいます。伊東勤です。
2000試合以上捕手を務めた選手は日本プロ野球史上、わずかに3人しかおらず、1位は野村克也、2位は谷繫元信、3位が伊東勤です。3人とも後に監督となり、野村と伊東は選手としても監督としても日本一になっています。
20年にもわたって正捕手の座を守り抜き、その読みと隙を突く洞察力は、意外性のある打撃だけでなく、俊足というわけではないのに、捕手として史上1位となる134盗塁を記録しているところにも表れていると思います。
今回はゴールデングラブ賞11回の名捕手であり、豊富な優勝経験を持つ、伊東勤の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才キャッチャーの伝説エピソードからリーダーシップ論にまで迫ります。
伊東勤のプロフィール詳細
まずは伊東勤の経歴を追ってみます。
1962年8月29日生まれ、熊本県熊本市出身。熊本工業高校定時制に入学し、夏の選手権大会で甲子園に出場。西武ライオンズの監督であった根本陸夫の目に止まり、所沢高校定時制に転入させ、球団職員として採用しました。「球界の寝業師」と呼ばれた根本が他球団のドラフト指名を避けるための奇策だったようですが、さすがに他球団も伊東の調査を始めたので、1982年ドラフト1位で指名します。
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1年目から1軍での出場経験を積み、3年目には打率.284、本塁打10本、盗塁20という好成績を残し、正捕手となります。それ以降、20年間も正捕手の座を譲らず、後に通算2050安打で319本塁打を記録する和田一浩などを他のポジションに追いやるほど安定した活躍を見せます。
特筆すべきは、捕手として14度のリーグ優勝と10度の日本一に貢献したことです。リーグ優勝の経験すらなく、勝利の味を求めて移籍するベテランもいる中、この経験は大変なものです。球界の盟主と呼ばれる読売ジャイアンツのV9を支えた「世界の本塁打王」王貞治でも現役時代の記録は14度のリーグ優勝と11度の日本一ですから、黄金期ライオンズの強さと共に、伊東の貢献度の高さがわかります。
2002年からは兼任コーチとなり、2003年に引退。現役通算22年で1738安打、156本塁打、134盗塁、打率.247。305犠打はパリーグ1位の記録です。ベストナイン10回、ゴールデングラブ賞11回。
引退後は2004年よりライオンズの監督を4年間務め、リーグ戦2位からの日本シリーズ進出で日本一にも輝きました。2013年から2017年までは千葉ロッテマリーンズの監督に就任し、機動力を生かしたチーム作りをしました。監督通算9年で626勝、Aクラス6回。
2019年からは中日ドラゴンズのヘッドコーチを務め、新人監督の与田剛を支えています。
私が選ぶ、伊東勤の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「あれだけ注目度の高いチームを倒して、我々の名前を売ってやろうじゃないかと」
「注目度の高いチーム」とはもちろん読売ジャイアンツの事です。1987年のライオンズ対ジャイアンツの日本シリーズは、プロ野球ファンにとって印象深いものでした。清原和博の涙以上に、両チームの戦いの中に時代の変化を感じさせられたからです。ジャイアンツの外野守備の弱さにつけこんだ戦術的な走塁が、シリーズの流れをライオンズに呼び込んだといえます。
ジャイアンツは打力を重視し、守備力や走力に劣る選手起用が多かったのに対し、ライオンズは総じて走力や守備への意識が高く、俊足とまでは言えない伊東も歴代捕手最多の134盗塁を決めています。その意識があったからか、後年伊東がマリーンズの監督を務めた際、岡田幸文など俊足堅守の外野陣をそろえました。
「最近の優勝チームを見ても、外野手は打撃だけでなく、守備力も必要不可欠なものになってきていますよね。そういう今の時代の野球のはしりが、うちのチームの外野陣だったんじゃないかなと思います」
走攻守に高いレベルの選手が集まった黄金期のライオンズでは「巨人に勝って日本一」というのが、チームのモチベーションとなり、何かミスをするとコーチよりも前に、チームリーダーだった石毛宏典をはじめ、選手同士であれこれ注意をするような雰囲気だったそうです。
野球はチームスポーツだという原点を、改めて考えさせられます。
【名言語録その2】
「一番重要なのが強い意志を持ったリード。ピッチャーが投げたい球種ではなく、その意見と違う球種を要求し、抑えることができれば、ピッチャーから信頼を得られる。それをするには投手を納得させる根拠や観察が必要」
監督としてのベースは、ライオンズで最初の監督だった広岡達朗だという伊東。日本シリーズ前のミーティングでは、広岡が黒板に相手の先発投手を書き出し、シミュレーションをして見せ、「最後はウチが勝つようになっているんだ」と説き、選手たちもその気になるのだそうです。またミーティングでは相手チームの選手全員の打力、走力、守備力、性格までが細かに分析され、説明されていました。
広岡による管理野球は賛否両論ありましたが、今となればアスリートが生活面までしっかり自己管理し、細かなデータをもとに作戦を練るのは当たり前です。伊東はしっかりとその真価を見極めていたひとりだったと言えます。
「指揮官が優勝できなくてもいいと考えていたならば、選手は絶対についてこないでしょう」
常勝チームで勝者のメンタルを受け継いでいる伊東は、勝つことでいかに選手たちが成長するかをよく知っています。広岡との違いは、信頼のベースとなるものを築くために選手との対話を重視している点です。
「なんでもそうだと思うんですけど、感じたことは直接、選手に話すべきじゃないでしょうか」
伊東はかつて最新モデルだった広岡流の分析力と選手操縦術を、更に時流に合ったものにリノベーションしている監督だと言えそうです。
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【名言語録その3】
「こうして野球がやれたということだけでも大変なことなのかもしれない」
ライオンズは2005年に親会社の経営不振などで、球団売却が検討されましたが、話がまとまらずに結局は西武グループが球団を保有し続けています。
以来、大きく球団の体制が変わったようです。また近鉄バファローズの消滅や1リーグ化への動きなどがありました。サッカー人気の台頭などもあってプロ野球といえども安泰でないことが突きつけられました。
それは2011年に東日本大震災で開幕が遅れた時にも感じられたことです。これらの出来事を通して、球団の多くはよりファン目線の経営へと進みました。
伊東は球団売却騒ぎの余波というべき監督解任を受けて、26年間在籍したライオンズを離れ、「今の僕の夢は、他のチームのユニフォームを着て西武を倒すことです」と宣言し、千葉ロッテマリーンズの監督も務めました。
ライオンズファンには寂しさもあるでしょうが、彼のように勝つことを知る者がさまざまなチームでその手腕を伝えていくことは、プロ野球界の発展のためには必要だと思います。
「我々は常にチャレンジャーですから」
その言葉がすべてを言い表していると思います。
名言からの学び
・強者のメンタリティは強者に勝って生まれる。
・基本を極めた先に応用がある。
・常にチャレンジャーであれ。
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