阿部慎之助の凄さが分かる名言・語録集!天才キャッチャーの伝説エピソードから努力論まで
およそ3㎏の装備を身につけ、味方ばかりなく敵の打者にも目を配る。そして投球を組み立て、いろいろな球を受け続け、ファーストのバックアップに走り、フライに飛び込む。
更にはランナーが出れば中腰の姿勢で構えて、素早くランナーを刺す。もちろん攻撃の際には打者としても結果を問われるポジション。それは捕手です。とても過酷なポジションのため、捕手で通算2000本安打を記録した選手は過去に4人しかいません。そのひとりが阿部慎之助です。
読売ジャイアンツのキャプテンも務めたリーダーシップを持ち、捕手としては3人目の通算400本塁打を記録した長打力。投手陣を引っ張る絶妙のリード。阿部はグラウンドの監督ともいわれる捕手としての才能だけでなく、まさに野球選手としていくつもの魅力を備えています。
令和に入ってもなお現役として活躍している阿部ですが、最近は一塁を守ることも多いものの、まだまだ捕手へのこだわりも強いようです。打撃のいい捕手が他のポジションにコンバートされるのはよくありますが、だからこそ捕手であり続けることにも価値があります。
今回は平成時代を代表する捕手である阿部慎之助の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才キャッチャーの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
阿部慎之助のプロフィール詳細
まずは阿部慎之助の経歴を追ってみます。
1979年3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園高校から中央大学へ進学。2000年の大学4年の時にはシドニー・オリンピックの代表に選出され、その年のドラフトで逆指名により、読売ジャイアンツに入団します。
2001年にはルーキーながら開幕スタメンに抜擢され、シーズン13本塁打を放ち、捕手としては田淵幸一以来の新人二桁本塁打をマークしました。翌年には完全にレギュラーを確保し、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。
2004年には打者として開眼。4月に16本の本塁打を打ち、日本記録に並び、ジャイアンツの捕手としては初の30本以上のシーズン本塁打を記録します。
2007年、チームのキャプテンとなり、4番にも座って、名実共に球界を代表する選手に成長します。以降チームのリーグ3連覇に貢献。2012年にはMVP、首位打者と打点王に輝き、シーズン打率.3404で捕手として史上最高打率を残しました。
2013年、松井秀喜とならぶ球団最高年俸を得ますが、2015年に一塁手にコンバート。シーズン途中より捕手に戻るものの、翌シーズン以降、ケガなどの影響もあり、主に一塁手としての出場が中心になります。
2017年に通算2000本安打を記録。平成から令和に変わった2019年シーズンには再び捕手として出場することを選択しましたが、やはりケガに見舞われて主に代打として登場。6月には通算400本塁打を放ちました。
2018年シーズン終了時点までで、通算18年で通算2085安打、399本塁打、打率.283を記録し、MVP1回、首位打者1回、打点王1回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞4回獲得しています。
私が選ぶ、阿部慎之助の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「サヨナラホーマーを打ったり、大事な場面で結果を残しているときって、実は何も考えていないんですよ」
2年目に広島カープの黒田博樹から本塁打を放った時、余計なことは何も考えない「ほんと無の状態」で打ったところ、当てただけのような感覚なのに、打球はスタンドに飛び込んだそうです。
この年、優勝争いの中で試合に出続けた経験が、阿部が捕手としても打者としても覚醒するきっかけになったようです。捕手で通算2000本安打を記録したのは野村克也、古田敦也、谷繁元信と阿部だけです。
「打席に立っていると自然と次に真っ直ぐがきそうだとか、カーブがきそうだとか、フッと浮かぶものがある」
捕手ならではの配球の読みもあるのでしょうが、それが自然と頭に浮かんでくる状態というのは、「ゾーン」と呼ばれるものでしょう。調子のいい時の阿部は、意識的にその状態になれるのだそうです。
「結局、僕に求められているのは長いのを打つこと。そこで何が大事なのかと思ったら、フルスイングできる態勢をつくること」
捕手の長距離砲として野村克也、田淵幸一以来の400本塁打を放つことができたのは、自分で「ゾーン」を引き出せる能力と、それを結果に結び付けられる努力の結果なのだと思います。
【名言・語録その2】
「個人的に一番意識していることは下を向かないことです。キャプテンである自分が下を向いてしまっては、若い選手をはじめチーム全体がそうなってしまう」
2012年の日本シリーズでの出来事です。日本ハム・ファイターズとの対戦で、投手の澤村拓一が牽制のサインを見落としてしまい、阿部がマウンドで厳しい口調で注意し、軽く頭を叩いたシーンがありました。同じ大学の先輩と後輩ということもあるのでしょうが、まさにキャプテンである感じがしました。
同じファイターズと戦った2009年の日本シリーズでは、第6戦で5回1死ランナー2塁の場面で、稲葉篤紀、高橋信二を連続三振に取りました。そのリードを野村克也に大絶賛され、阿部は「はじめて褒められましたよ」と笑みを浮かべていましたが、まさにチームを鼓舞するリードだったと思います。
2013年に当時の原辰徳監督は「このチームは慎之助のチームである」と断言するほどの信頼を寄せていました。
投手が打ち込まれても、自分のミスだと責任を負う発言の多い阿部ですが、「一番わかっているのは投げた本人ですから」と語っています。そこには投手自身の成長を期待するチームリーダーとしての顔が感じられます。
【名言・語録その3】
「最後はキャッチャーで終わりたい」
2019年、阿部はケガのリスクを負いながらも捕手への復帰を希望しました。現実として出場するのは代打かDH、守備についても一塁手ですが、捕手へのこだわりは強いものがあるようです。
2015年に原監督は「99パーセント、捕手に戻すことはない」と断言しつつも、阿部捕手待望論はチーム内だけではなく、さまざまなところから聞こえてきました。それだけ人に期待させるものを持っていると言えます。
松井秀喜は当初「将来の巨人を背負って立つようなオーラみたいなものを慎之助にはあまり感じなかった」と言い、「彼が努力して、もの凄い成長をしたんだなと感心しました」と語っています。
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阿部は高校時代から「プロへ行く」と言葉にし、そのために地道な努力を続けました。高校の恩師である中根監督曰く「人間、持って生まれたものもあるけど、阿部は考え方ひとつでこんなにも変わるんだ、といういい見本。過去に阿部より素材のいい選手は何百人といたはずですよ。でも単にうまくなりたいなと思ってやっているだけのやつと、プロへ行くんだったやってるのと、日に日に差がついていく」のだそうです。
2016年のトークショーで来場した子どもたちに、阿部はこう語っています。
「プロ野球選手って、二軍の選手もプロ野球選手だけど、そこでゴールになっている人が多い。だからプロ野球選手になるではなくて、一軍で活躍する。これを目標に変えて欲しい」
プロ野球で捕手として活躍するこだわりは、髪型にも現われていて、「キャッチャーをやるいには一番いい髪型」と語った城島健司と同様に、スポーツ刈りです。
阿部が同じチームの小林誠司に対して「バリカン持ってこい。サラサラヘアを気にしている。あれはキャッチャー像じゃない」と説教する姿の奥には、捕手に対する強い思いがあるだと思います。
名言からの学び
・無意識に出来ることこそ極意である。
・チームリーダーには自分のみならず周囲の成長にも目を配る度量が必要である。
・こだわり抜くことが成長の糧となる。
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