立浪和義の凄さが分かる名言!輝かしい成績・記録を残した天才の努力論とは?
甲子園の伝説のヒーロー、清原和博・桑田真澄――通称“KKコンビ”の2期後輩にあたり、PL学園のスター選手、そして主将として春夏連覇の偉業を成し遂げた立浪和義氏。プロ入り後も爽やか、かつ、華やかなルックスと卓越した実力で“ミスター・ドラゴンズ”の愛称とともに絶大な人気を博しました。
プロ通算22年のキャリアを有する、稀代のヒットメーカーの1人。通算二塁打487本は燦然と輝く日本記録であり、“ミスター・ツーベース”の異名でも有名です。
新人王に輝いたルーキーイヤーから遊撃手でプロ生活をスタートさせましたが、その後、二塁手、三塁手としても巧みなグラブさばきを誇り、その3つのポジションすべてでゴールデングラブ賞を獲得。打撃だけでなく守備でも超一流の域であったことがわかります。
今回は、そんな立浪和義氏の凄さが分かる数多くの名言の中から3つをピックアップ。輝かしい成績・記録を残した天才の努力論にアプローチしてみたいと思います。
立浪和義氏について
それでは、まず、立浪氏の経歴についておさらいします。
1969年(昭和44年)8月19日生まれ、大阪府吹田市出身。PL学園高校から1987年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。ドラフト会議では南海ホークスと競合になりましたが、当時の星野仙一監督が見事に当たりくじを引き、「できればセ・リーグでプレーしたい」という立浪氏の願いが叶うことになりました。
プロ入り後、かなり早い段階で作られた応援歌の歌い出し――『生まれ持つ野球センス』のフレーズ通り、春季キャンプから走攻守すべてにおいて類稀な資質を披露。即戦力になり得ると判断した星野監督や腹心の島野育夫ヘッドコーチ、そして木俣達彦総合コーチらの判断で、遊撃手のレギュラーだった宇野勝選手は二塁手にコンバートされ、立浪氏が開幕スタメンを勝ち取ることになりました。
ちなみに、高卒ルーキー野手の開幕スタメンは、セ・リーグでは史上3人目、両リーグでも10人目という快挙。このデビュー戦で早速プロ初安打を放ちましたが、これが鮮やかな二塁打。前述の“ミスター・ツーベース”の異名に相応しい門出だったわけです。
2年目の右肩のケガや、かの有名な1994年の“10・8決戦”でヘッドスライディングの際に負った左肩脱臼など、しばしば故障に見舞われることもありましたが、ドラゴンズの顔、球界の顔として長きに渡ってレギュラーで活躍。2003年7月5日には通算2000安打を達成し、名球会入りを果たしています。
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2006年シーズン中盤から森野将彦選手が台頭し、その後は一振りに懸ける代打の切り札になりましたが、実力においても人気においてもトップクラスに君臨。リーグ優勝3回(1988年・1999年・2004年・2006年)、日本一1回(2007年)も、そのキャリアにおいて色褪せることのない勲章として輝きを放っています。
特選!私が選ぶ「立浪和義氏の三大名言」
「小さい身体がハンデだとは思いません。気持ちで負けない限りは」
トレーニング方法やスポーツ栄養学の進化などで、年々大型化が顕著なプロ野球界。その中において立浪氏の173cm・70kgという体格は、決して大きい部類とはいえないものでした。凡人であれば、それだけで気持ちを引いてしまうところ。が、しかし、立浪氏は違いました。身体の小ささを補って余りある気持ちの強さがあったのです。
引退後に発表した自著のタイトルは『負けん気』。また、現役ラストイヤーのキャンプインの日に新品のバットを下して『氣』の文字を書き込んだこともあったように、心技体のうちの特に“心”を重視していました。
我々の想像を遥かに超える気持ちの強さがあったからこそ実現できた22年間の現役生活。もちろん、少々のことでは休まない体の強さも武器だったと思いますが、いつ何時でも自らの気持ちを奮い立たせて努力を続けたことが、超一流の野球人に押し上げたのです。
「悪いときにどれくらい歯を食いしばって頑張れるかが大事。」
この名言からも立浪氏の気持ちの強さと、努力することに対する真摯な考え方が見て取れます。甘いマスクとスマートな佇まいには似つかわしくないような泥臭いコメントではありますが、この純粋すぎるほどのタフなメンタルが“ミスター・ドラゴンズ”の活躍の原動力でした。
天賦の才能に加えて、どんなシチュエーションであっても努力を怠らない。単なる「天才」ではなく「努力する天才」と称した方が、より的確かもしれませんね。
これは私たちもぜひ見習いたい思考です。長い人生、良いときも悪いときもありますが、悪いときに投げやりにならず、簡単に諦めず、何か目標に向かって頑張り続けることが大切。
状況によっては莫大なエネルギーを要することもあるでしょうが、耐えて、我慢して努力を続けることにより、新たな光を見出せることも多々あると思います。
「あの手首を柔らかく使う落合さんの技術を盗みたい」
落合博満選手が衝撃的な大型トレードでロッテオリオンズから中日ドラゴンズに移ってきたのが1986年の暮れ。立浪氏が入団する約1年前で、以降、落合選手がFAで読売ジャイアンツへ移籍するまで計6シーズン、チームメイトとして共に戦いました。
そんな落合選手のバッティンクの代名詞といえば“神主打法”。身体の前でゆったりとバットを構え、そこからリストの柔らかさを十二分に生かして広角に弾き返す、まさに唯一無二といえる天才打法でした。
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自らの入団当時、すでにプロ野球界のトップに座っていた落合選手。立浪氏が、この16歳年上のスラッガーから吸収しようとしたのが手首を柔らかく使う技術でした。
立浪氏にしても、もちろん高校時代から磨き上げてきた技術に自信と誇りはあったでしょうが、良いものは貪欲に取り入れる。この真摯な姿勢と飽くなき向上心もまた、立浪氏の努力論を形成する要因だったと思います。
私たちも自分だけの考え方や、やり方だけに固執せず、柔軟に物事を捉え、幅広い視野で自分に役立つものを取り入れることを実践していきたいですね。
名言からの学び
・立浪氏には、プロの世界では一見ハンデと思われる身体の小ささを補って余りある気持ちの強さがあった。
・悪いときに投げやりにならず、簡単に諦めず、何か目標に向かって頑張り続けることが大切。
・自分だけの考え方や、やり方だけに固執せず、良いものは貪欲に取り入れることも見習いたい。
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