【ヤクルトスワローズ】ドラフト1位指名の歴代選手一覧!その後の成績や活躍もチェック
ヤクルトスワローズと言えば1990年代の強さが印象にありますよね。
ID野球を植え付けた野村克也監督のもと選手が成長してその強さを見せつけてくれました。また、野村監督と言えば「野村再生工場」とも言われ、選手の良いところを引き出し持ち場をしっかり与える結果を出させる手腕は素晴らしいものがありました。
近年でも2015年にはリーグ優勝し、選手の顔ぶれが変わった今でもここぞという時には強いチーム力を発揮する印象のあるチームです。
今回はそんなヤクルトスワローズの歴代ドラフト1位指名の選手について、その後の成績や活躍についてまとめました。ドラフト1位の指名を受けた選手と共に、ヤクルトの歴史を振り返っていきましょう。
目次
【ヤクルトスワローズ】ドラフト1位の歴代選手一覧
ここではヤクルトスワローズの歴代ドラフト1位選手を紹介します。
年度 | 選手名 | ポジション | 出身校 | 背番号 | 獲得タイトル等 |
1965年 | 河本和昭 | 投手 | 広陵高 | ー | 入団拒否 |
1966年(第1次) | 奥柿幸雄 | 内野手 | 静岡商高 | 1 | ー |
1966年(第2次) | 加藤俊夫 | 捕手 | 日本軽金属 | 27 | ベストナイン(1977年)、ゴールデングラブ賞(1977年) |
1967年 | 中野孝征 | 内野手 | 日本楽器 | 6 | ー |
1968年 | 藤原真 | 投手 | 全鐘紡 | 14 | ー |
1969年 | 八重樫幸雄 | 捕手 | 仙台商高 | 28 | ベストナイン(1985年) |
1970年 | 山下慶徳 | 外野手 | 河合楽器 | 10 | ー |
1971年 | 杉山重雄 | 投手 | 駒沢大 | 12 | ー |
1972年 | 永尾泰憲 | 内野手 | いすゞ自動車 | 6 | ー |
1973年 | 佐藤博 | 投手 | 日立製作所 | 20 | ー |
1974年 | 永川英植 | 投手 | 横浜高 | 24 | ー |
1975年 | 杉村繁 | 内野手 | 高知高 | 2 | ー |
1976年 | 酒井圭一 | 投手 | 海星高 | 18 | ー |
1977年 | 柳原隆弘 | 外野手 | 大阪商大 | 23 | ー |
1978年 | 原田未記 | 投手 | 北海道拓殖銀行 | 20 | ー |
1979年 | 片岡大蔵 | 投手 | 国士舘大 | 13 | ー |
1980年 | 竹本由紀夫 | 投手 | 新日鉄室蘭 | 15 | ー |
1981年 | 宮本賢治 | 投手 | 亜細亜大 | 14 | ー |
1982年 | 荒木大輔 | 投手 | 早稲田実業高 | 11 | ー |
1983年 | 高野光 | 投手 | 東海大 | 34 | ー |
1984年 | 広沢克己 | 内野手 | 明治大 | 8 | 打点王2回(1991年・1993年)、ベストナイン3回(1988年・1990年・1991年) |
1985年 | 伊東昭光 | 投手 | 本田技研 | 18 | 最多勝利(1988年) |
1986年 | 西岡剛 | 投手 | 近畿大 | 21 | ー |
1987年 | 長嶋一茂 | 内野手 | 立教大 | 3 | ー |
1988年 | 川崎憲次郎 | 投手 | 津久見高 | 17 | 最多勝利(1998年)、沢村賞(1998年) |
1989年 | 西村龍次 | 投手 | ヤマハ | 29 | ー |
1990年 | 岡林洋一 | 投手 | 専修大 | 15 | ー |
1991年 | 石井一久 | 投手 | 東京学館浦安高 | 16 | 最高勝率(1995年)、最優秀防御率(2000年)、最多奪三振2回(1998年・2000年) |
1992年 | 伊藤智仁 | 投手 | 三菱自動車京都 | 20 | 新人王(1993年) |
1993年 | 山部太 | 投手 | NTT四国 | 19 | ー |
1994年 | 北川哲也 | 投手 | 日産自動車 | 34 | ー |
1995年 | 三木肇 | 内野手 | 上宮高 | 35 | ー |
1996年 | 伊藤彰 | 投手 | 山梨学院大付高 | 11 | ー |
1997年 | 三上真司 | 投手 | 敦賀気比高 | 29 | ー |
1998年 | 石堂克利 | 投手 | 愛工大名電高 | 37 | ー |
1999年 | 野口祥順 | 内野手 | 藤代高 | 55 | ー |
2000年 | 平本学 | 投手 | 立命館大 | 15 | ー |
2001年 | 石川雅規(自由枠) | 投手 | 青山学院大 | 19 | 新人王(2002年)、ゴールデングラブ賞(2008年) |
2002年 | 高井雄平 | 投手 | 東北高 | 16 | ベストナイン(2014年) |
2003年 | 川島亮(自由枠) | 投手 | 八戸大 | 17 | 新人王(2004年) |
2004年 | 田中浩康(自由枠) | 内野手 | 早稲田大 | 7 | ベストナイン2回(2007年・2012年)、ゴールデングラブ賞(2012年) |
2004年 | 松岡健一(自由枠) | 投手 | 九州東海大 | 21 | ー |
2005年 | 村中恭兵(高校生ドラフト) | 投手 | 東海大甲府高 | 15 | ー |
2005年 | 武内晋一(大学・社会人ドラフト) | 内野手 | 早稲田大 | 8 | ー |
2006年 | 増渕竜義(高校生ドラフト) | 投手 | 鷲宮高 | 63 | ー |
2006年 | 高市俊(大学・社会人ドラフト) | 投手 | 青山学院大 | 14 | ー |
2007年 | 佐藤由規(高校生ドラフト) | 投手 | 仙台育英高 | 11 | ー |
2007年 | 加藤幹典(大学・社会人ドラフト) | 投手 | 慶応大 | 16 | ー |
2008年 | 赤川克紀 | 投手 | 宮崎商高 | 47 | ー |
2009年 | 中澤雅人 | 投手 | トヨタ自動車 | 14 | ー |
2010年 | 山田哲人 | 内野手 | 履正社高 | 23 | 盗塁王2回(2015年・2016年)、本塁打王(2015年)、最高出塁率(2015年)、最多安打(2014年)、最優秀選手(2015年)、ベストナイン3回(2014年~2016年) |
2011年 | 川上竜平 | 外野手 | 光星学院高 | 36 | ー |
2012年 | 石山泰稚 | 投手 | ヤマハ | 12 | ー |
2013年 | 杉浦稔大 | 投手 | 国学院大 | 18 | ー |
2014年 | 竹下真吾 | 投手 | ヤマハ | 22 | ー |
2015年 | 原樹理 | 投手 | 東洋大 | 16 | ー |
2016年 | 寺島成輝 | 投手 | 履正社高 | 18 | ー |
2017年 | 村上宗隆 | 捕手 | 九州学院高 | 55 | ー |
ヤクルトと言えば本拠地が神宮球場が本拠地です。
神宮球場の満員時の収容人数は何人?球場の歴史はいつから始まった?
アマチュア野球の中でも大学野球の聖地と言われています。特に東京六大学は神宮球場をメインに使用しているので東京六大学の選手が多いイメージをお持ちの方もいるかも知れませんが、特にそんな訳ではありませんね。
早稲田大や慶応大出身の選手ももちろんいますが、他球団と同じくらいの印象です。
また、ヤクルトと言えばあのミスタージャイアンツ長嶋茂雄さんの息子である長嶋一茂さんもドラフト1位で入団しています。当時は話題性も高かったですよね!!
注目選手のその後について
ここでは注目選手を紹介します。
広沢克己選手
広沢克己さんは今でもプロ野球の解説やテレビでよく見かけますよね。選手時代は長距離打者として活躍していました。明治大学からドラフト1位でヤクルトに入団し、1年目から本塁打18本を打つ活躍をしました。
その後も1988年には本塁打30本を放つなどチームの主軸打者として成長していきました。
1995年からはFAで巨人へ移籍しましたがヤクルトにいた時よりも競争が激しく出場機会も減り、5年契約が切れた1999年オフに自由契約となりました。翌年からはかつてヤクルト時代の恩師の野村克也さん率いる阪神に移籍し、代打として活躍しました。引退後も解説などで野球ファンを楽しませてくれています。
伊藤智仁選手
伊藤智仁さんと言えば高速スライダーが有名です。1992年のバルセロナオリンピックでは1大会27奪三振のギネス記録なども作っています。その年のドラフトでヤクルト、広島、オリックスの3球団から1位指名され抽選でヤクルトへ入団が決まりました。入団当初から活躍し、前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91とチームのエースとしてなっていきました。
1年目からフルに使われたこともあり、その後はケガに悩まされます。結局そのままケガとの戦いを送る日々が続き、2003年に惜しくも引退を表明しました。翌年の2004年から2017年までコーチとしてヤクルトの投手陣を支えてきましたが、2017年で退団することが決まっています。今後もどこかで投手の育成に関わってほしいですね。
山田哲人選手
山田哲人選手は日本人右打者の最多安打193本の記録を持っています。2015年には本塁打王と盗塁王の二つを獲得している長距離打者でありながら走れる選手です。プロ入り4年目の2013年からレギュラーに定着しあっという間にヤクルトの顔の選手になりました。翌年の2015年はトリプルスリーを達成しました。
プロ野球史上3人目で65年ぶりの快挙でした。その年のリーグ優勝にも大きく貢献しました。2017年は打率を落としてしまい、チームも振るわない状況でしたが、まだまだ若い選手なので今後の更なる成長に期待していくところを見たい選手の一人です。
山田哲人の年俸や成績は?身長・体重や出身校などプロフィールもチェック!
高市俊選手
2006年の希望入団枠でヤクルトへ入団。即戦力を期待されていましたが、わずか5年間のプロ野球生活となってしまし、2011年に自由契約となりました。高校は帝京高校、大学は青山学院と野球エリートの道を進んできましたが、プロの壁は厚く思うような活躍ができませんでした。
即戦力として期待値が高いこともあり短い年数で自由契約となってしまいましたが、引退後は日本ハムの打撃投手として活躍されています。
石堂克利選手
松坂世代の一人で、愛知の愛工大名電高から1998年ドラフト1位でヤクルトに入団。素材としては松坂以上という評価もあり将来性を期待されていました。しかしプロ入り後に右肩の違和感から手術、骨折など数年間ケガに泣かされプロ初登板は2003年になりました。
1軍での実働は2003年から2005年の3年間で26試合に登板し11勝10敗、防御率6.19と成績も振るわず2007年に戦力外通告を受けることになりました。その後はヤクルトの打撃投手を務めているようです。
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【ヤクルトスワローズ】ドラフト会議の豆知識エピソード
1988年のドラフト2位でプロ野球史に名を残す名捕手に成長した古田敦也さんが指名されています。監督に就任したばかりの野村克也さんが眼鏡をかけている捕手に不安を持っており、スカウトに対して「本当に大丈夫か?」と聞いていたようです。
ドラフト直前でも野村克也さんは「古田の指名はやめよう。捕手はワシが育てる」と発言があったようですがスカウトの片岡宏雄さんが喰い下がり獲得に結び付けたようです。ドラフトはスカウトと指名選手の関係も強くあります。
このように裏方であるスカウトの助言がなければプロ野球の古田敦也さんが存在していないと思うと凄いエピソードですよね!!
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まとめ
・山田哲人選手は65年ぶりのトリプルスリーを達成しました。史上3人目の快挙です。まだまだ若い選手なのでさらなる成長を期待したいですね。
・高速スライダーと言えば伊藤智仁さん。ストレートとスライダーが打者の手元寸前まで分からないようです。本当に素晴らしい投手の一人だったと言えます。
・古田敦也さんがプロ野球に入団できたのもスカウトの方の助言が強くあったからではないかと思います。表には見えないスカウトと指名選手の関係性もあるのだと感じさせられますね。
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