【千葉ロッテ】ドラフト1位指名の歴代選手一覧!その後の成績や活躍は?
千葉ロッテは12球団の中でも熱烈なファンが多いことで有名です。リズム感の良い揃った声での応援は素晴らしいものがあります。千葉の前の本拠地は神奈川県の川崎市でしたが、その時とはかなり違った印象を受けます。
千葉に移ってからはアメリカメジャーリーグを経験したボビー・バレンタイン監督や選手ではフランコ選手などを獲得し、チーム力も上がりました。ちなみに日本プロ野球でポストシーズンがはじまってからのリーグ3位からの日本一になった球団は千葉ロッテだけです。一度勢いに乗ると止まらない雰囲気を持っているチームです。
今回はそんな千葉ロッテマリーンズからドラフト1位指名を受けた歴代選手について、その後の成績や活躍についてまとめました。ドラフト1位指名を受けた選手のその後について、ロッテの歴史と共に振り返ってみましょう。
目次
千葉ロッテドラフト1位の歴代選手一覧
早速ですが、千葉ロッテマリーンズの歴代ドラフト1位選手を確認していきましょう。
年度 | 選手名 | ポジション | 出身校 | 背番号 | 獲得タイトル等 |
1965年 | 大塚弥寿男 | 捕手 | 早稲田大 | 26 | ー |
1966年(第1次) | 園田喜則 | 内野手 | 北陽高 | 42 | ー |
1966年(第2次) | 八木沢荘六 | 投手 | 早稲田大 | 27 | 最高勝率(1973年) |
1967年 | 村田兆治 | 投手 | 福山電波工高 | 29 | 最優秀防御率3回(1975年・1976年・1989年)、最多勝利(1981年)、最多セーブ(1975年)、最多奪三振4回(1976年・1977年・1979年・1981年)、ベストナイン(1981年) |
1968年 | 有藤道世 | 内野手 | 近畿大 | 8 | 首位打者(1977年)、新人王(1969年)、ベストナイン10回(1969年~1975年・1977年・1980年・1981年)、ゴールデングラブ賞4回(1972年~1975年) |
1969年 | 前田康雄 | 投手 | 電電四国 | 16 | ー |
1970年 | 樋江井忠臣 | 投手 | 中京高 | ー | 入団拒否 |
1971年 | 井上圭一 | 投手 | 三菱自動車川崎 | 19 | 最優秀救援投手2回(1982年・1984年) |
1972年 | 伊達泰司 | 外野手 | 法政大 | 33 | ー |
1973年 | 佐藤博正 | 投手 | 札幌商高 | 23 | ー |
1974年 | 菊村徳用 | 投手 | 育英高 | 16 | ー |
1975年 | 田中由郎 | 投手 | 三菱重工三原 | 14 | ー |
1976年 | 森繁和 | 投手 | 駒沢大 | ー | 入団拒否 |
1977年 | 袴田英利 | 捕手 | 法政大 | 12 | ー |
1978年 | 福間納 | 投手 | 松下電器 | 17 | 最優秀防御率(1983年) |
1979年 | 竹本由紀夫 | 投手 | 新日鉄室蘭 | ー | 入団拒否 |
1980年 | 愛甲猛 | 投手 | 横浜高 | 1 | ゴールデングラブ賞(1989年) |
1981年 | 井辺康二 | 投手 | 東海大 | ー | ー |
1982年 | 石川賢 | 投手 | 日本大 | 18 | 最高勝率(1984年) |
1983年 | 比嘉良智 | 投手 | 沖縄水産高 | 52 | ー |
1984年 | 笠原栄一 | 投手 | 佐波農高 | 34 | ー |
1985年 | 石田雅彦 | 投手 | 川越工高 | 54 | ー |
1986年 | 関清和 | 投手 | 専修大 | 21 | ー |
1987年 | 伊良部秀輝 | 投手 | 尽誠学園高 | 18 | 最優秀防御率2回(1995年・1996年)、最多勝利(1994年)、最多奪三振2回(1994年・1995年)、ベストナイン2回(1994年・1995年) |
1988年 | 前田幸長 | 投手 | 福岡第一高 | 11 | ー |
1989年 | 小宮山悟 | 内野手 | 早稲田大 | 14 | 最優秀防御率(1997年) |
1990年 | 小池秀郎 | 投手 | 亜細亜大 | ー | 入団拒否 |
1991年 | 吉田篤史 | 投手 | ヤマハ | 21 | ー |
1992年 | 武藤潤一郎 | 投手 | プリンスホテル | 17 | ー |
1993年 | 加藤高康 | 投手 | NTT東北 | 34 | ー |
1994年 | 大村三郎 | 外野手 | PL学園高 | 36 | ゴールデングラブ賞2回(2005年・2007年) |
1995年 | 澤井良輔 | 内野手 | 銚子商高 | 10 | ー |
1996年 | 清水将海 | 捕手 | 青山学院大 | 22 | ー |
1997年 | 渡辺正人 | 内野手 | 上宮高 | 3 | ー |
1998年 | 小林雅英 | 投手 | 東京ガス | 30 | 最多セーブ投手(2005年) |
1999年 | 高橋薫 | 投手 | 日本通運 | 14 | ー |
2000年 | 田中良平 | 投手 | 加賀高 | 36 | ー |
2001年 | 喜多隆志 | 外野手 | 慶応大 | 3 | ー |
2002年 | 西岡剛 | 内野手 | 大阪桐蔭高 | 7 | 盗塁王2回(2005年・2006年)、首位打者(2010年)、最多安打(2010年)、ベストナイン4回(2005年・2007年・2010年・2013年)、ゴールデングラブ賞3回(2005年・2007年・2010年) |
2003年 | 内竜也 | 投手 | 川崎工高 | 21 | ー |
2004年 | 久保康友(自由枠) | 投手 | 松下電器 | 16 | 新人王(2005年) |
2004年 | 手嶌智(自由枠) | 投手 | 新日本石油 | 17 | ー |
2005年 | 柳田将利(高校生ドラフト) | 投手 | 青森山田高 | 15 | ー |
2006年 | 大嶺祐太(高校生ドラフト) | 投手 | 八重山商工高 | 1 | ー |
2007年 | 唐川侑己(高校生ドラフト) | 投手 | 成田高 | 19 | ー |
2007年 | 服部泰卓(大学・社会人ドラフト) | 投手 | トヨタ自動車 | 20 | ー |
2008年 | 木村雄太 | 投手 | 東京ガス | 34 | ー |
2009年 | 荻野貴司 | 外野手 | トヨタ自動車 | 4 | ー |
2010年 | 伊志嶺翔大 | 外野手 | 東海大 | 5 | ー |
2011年 | 藤岡貴裕 | 投手 | 東洋大 | 18 | ー |
2012年 | 松永昴大 | 投手 | 大阪ガス | 28 | ー |
2013年 | 石川歩 | 投手 | 東京ガス | 12 | 最優秀防御率(2016年)、新人王(2014年) |
2014年 | 中村奨吾 | 内野手 | 早稲田大 | 8 | ー |
2015年 | 平沢大河 | 内野手 | 仙台育英高 | 13 | ー |
2016年 | 佐々木千隼 | 投手 | 桜美林大 | 11 | ー |
2017年 | 安田尚憲 | 内野手 | 履正社高 | ー | ー |
やはり、歴代1位のドラフト1位の選手だけあってアマチュア時代注目を集めていた選手ばかりですね。その時のチーム事情にもよると思いますが、高校・大学・社会人問わず万遍なく獲得している印象があります。
また、少し前になりますが1967年、1968年のドラフトでは村田兆治さん、有藤道世さんを獲得しています。獲得タイトルを見れば凄さは分かりますが、ロッテの顔となる投手と野手を2年連続1位で獲得したのは素晴らしいスカウト人だったと言えますよね。
注目選手のその後について
個々では注目選手を紹介します。
伊良部秀輝選手
香川県の強豪野球部、尽誠学園高からドラフト1位でロッテに入団しました。剛速球の持ち主で力強いストレートが魅力的でした。入団当初はコントロールに難がありました。ですが持ち前のストレートの速さで1993年の西武清原選手との対戦では158kmを記録し「平成の名勝負」と言われました。
1994年にはオールスターにも初出場し、最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。その後メジャーに移籍し、ヤンキース、エクスポズ、レンジャースでプレーし、2003年には日本球界の復帰し阪神でプレーしリーグ優勝に貢献しました。その後はアメリカ独立リーグなどでプレーしましたが、2011年42歳の時に逝去しました。
まだまだ若かっただけに残念な出来事でしたよね。
小宮山悟選手
1989年に早稲田大学からドラフト1位で入団しました。コントロールが良い投手で「ミスターコントロール」の愛称で親しまれていました。大学4年時代は主将も務めているなど、周りからの人望も厚い選手でした。ちなみに大学時代には教員免許も取得しているようです。
メジャーにも移籍しましたが、海外ではパワーの差を感じたこともあり、持ち前のコントロールだけでは勝負ができませんでした。日本プロ野球での通算成績は117勝141敗と負け数も多い成績ですが、素晴らしい頭脳派投手と言った印象が残る選手の一人です。
西岡剛選手
2002年にドラフト1位でロッテへ入団しました。プロ入り後にスイッチヒッターに変更し成功した選手です。足の速さと好打、攻守が魅力で三拍子そろった選手です。2010年にはチームのキャプテンとなり200本安打の記録も達成しています。
その年のオフにポスティングシステムを利用し、メジャーミネソタ・ツインズと契約を結びました。メジャーでも活躍を期待されましたが、ケガなどもあり持ち前のプレーが披露できず自由契約となり2013年からは日本プロ野球の阪神に復帰しました。その後もケガに泣かされていますが、まだまだその存在感はあるように思います。
是非ベテランとしてチームをまとめてほしいですね。
澤井良輔選手
澤井良輔さんは1995年のドラフト1位でロッテに入団しました。その年のロッテのドラフト1位はPL学園の福留選手でしたので、外れ1位ということになります。同じ高校生の福留選手と長距離砲の野手として注目を集めていました。
プロ通算の成績は10年間で本塁打6本とその長打力を見せつけることができませんでした。1軍の機会もほとんど恵まれず、プロの実力の高さについていけないといった感じを受けました。
引退後はクラブチーム、独立リーグのコーチを経験し2010年からはメットライフアリコで保険の営業をしているようです。
渡辺正人選手
大阪の強豪校上宮高校から1997年ドラフト1位で指名されました。入団時の背番号は3と野手として期待されていましたが、入団から3年はほとんど2軍にいました。2002年、2003年には主力選手のケガなどにより出場機会に恵まれました。
ですが、2004年に自らがヘッドスライディングで骨折し、若手に出場機会を譲る結果となってしまいました。ケガ後は控え選手としてチームを支えていましたが、2012年に戦力外通告を受け独立リーグでプレーしコーチ・監督を経験しています。
2016年からは石川ミリオンスターズの監督となり、2017年シーズン終了時点で契約満了となっています。今後もアマチュア野球を支える人になってほしいですね。
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千葉ロッテドラフト会議の豆知識エピソード
1990年のドラフト1位で獲得している小池秀郎投手は上の表で分かるように入団していません。当時のアマチュア最高左腕として注目されていました。
亜細亜大学時代の春のリーグ戦で111奪三振をマークするなど、どの球団も欲しい逸材でしたが、ドラフト前から最も避けたい球団としてロッテをあげていたようです。ですがロッテは強行指名を行い8球団競合の末、ロッテが交渉権獲得となりました。
そのようなエピソードがあるくらいですから、それだけロッテのイメージが今とは全然違うことを感じますよね。時代も違うとは思いますが、現代では中々ないケースだったと思います。
まとめ
・ロッテのドラフト1967年、1968年は村田兆治さん、有藤道世さんを1位で獲得。ロッテの顔になる投手と野手を2年連続で獲得しているスカウトの先見力は素晴らしいですね。
・西岡剛選手は今もなお現役でプレーしています。かつてのスピードスターの印象がある西岡選手ですが、まだまだ体の切れはあると思います。ぜひ持ち前のセンスの良さと身体能力の高さをいかして頑張ってほしいですね。
・1990年の小池秀郎さんをドラフトで強行指名したロッテはそれだけ魅力のない球団だったのかと思うと、かなり今の価値観と差があると感じてしまいます。
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