日本シリーズの歴代名場面ランキング!劇的な逆転優勝も振り返る
2017/08/31
日本プロ野球界の一年を締めくくる一大イベント、ビッグゲームといえば、やはり日本シリーズです。毎年晩秋の大舞台でどのような熱い戦いが繰り広げられるのか、本当にワクワクしますね。
そこで今回は、長い歴史の中で数多くのドラマが生まれた日本シリーズを、テーマを絞ってレビュー。歴代の名場面TOP3をご紹介し、劇的な逆転優勝についても3つ取り上げます。それでは、順を追って見ていきましょう!
目次
私が選ぶ日本シリーズ歴代名場面TOP3
第1位 1979年第7戦 広島東洋カープvs近鉄バファローズ
『江夏の21球』
故・山際淳司氏の名作ノンフィクション『江夏の21球』でも知られる一戦。オールドファンはもちろん、今の若い世代でもプロ野球に造詣の深い皆さんなら、周知の試合だと思います。
時は1979年11月4日。舞台は秋の深まりと初冬の訪れが強く感じられる、今はなき大阪球場。両チーム3勝3敗で迎えた第7戦の9回裏の攻防です。4-3と広島が1点リードで迎えた同イニング。広島の絶対的守護神・江夏豊投手がこの日、3イニング目のマウンドに上がり、球団史上初の日本一まであと3つのアウトというところまで漕ぎつけました。
しかし、先頭打者への初球被安打を皮切りに、無死満塁の大ピンチを迎えてしまいます。逆に近鉄にとっては、ここで一打出れば逆転サヨナラで、初の日本一に。大観衆で埋め尽くされた大阪球場は異様な空気に包まれました。流れは明らかに近鉄へ……。
ですが、ここからが江夏投手の真骨頂でした。この回の17球目で佐々木恭介選手を空振り三振に仕留めると、続く石渡茂選手への2球目にスクイズを外し、三塁走者の藤瀬史朗選手が憤死。なおも二死二・三塁のピンチが続きましたが、最後は膝元へ落ちるカーブで石渡選手を空振り三振に斬って取り、歓喜のフィナーレを迎えました。
ここではなんといっても、スクイズを外した場面が痺れましたね。のちに江夏投手は「カーブの握りのままウエストし、スクイズを外した」とコメントしていましたが、一方の石渡選手は「球が偶然すっぽ抜けたのではないか」と主張。真偽のほどは不明ですが、究極に緊迫した状況で生まれたこのシーンは、後世へ長く語り継がれる名場面になりました。
第2位 1995年第4戦 ヤクルトスワローズvsオリックス・ブルーウェーブ
『小林・オマリーの14球』
ヤクルトの3連勝で迎えた10月25日の神宮球場。第4戦もオリックスが防戦に立ちますが、小川博文選手が9回表に起死回生の同点ソロを放ち、1-1で延長戦に入ります。
そして、ここから奮投したのが5番手の小林宏投手。11回裏に一死一・二塁というサヨナラ負けの大ピンチを背負いますが、打席に迎えたトーマス・オマリー選手を実に14球かけて空振り三振に抑え、後続も断って12回表の決勝点を呼び込みました。
オマリー選手との対決では、2球であっさりと追い込みましたが、1球ボールの後の11球は、まさに両者相譲らずの我慢比べ。“一投手”と“一打者”のガチンコ勝負で、これほど深く引き込まれたことは数多くありません。
4球目から13球目のうちの8球はファウルでしたが、その中の2球は一瞬サヨナラ本塁打かと思うような大きな当たり。12分20秒のロングバトルは、まさに手に汗握る真の一騎打ちで、瞬間視聴率55.9パーセントを叩き出しました。
第3位 1978年第7戦 ヤクルトスワローズvs阪急ブレーブス
『上田監督猛抗議、1時間19分の中断』
両チーム3勝ずつで迎えた10月22日、舞台は後楽園球場。1-0と、ヤクルトがリードして迎えた6回裏に、その“事件”は起こりました。
阪急・足立光宏投手の内角シュートをヤクルト・大杉勝男選手が巧みにすくい上げ、打球はレフトポール際へ。富澤宏哉レフト線審は「ポールの上を通過した」としてホームランと判定しましたが、阪急・上田利治監督は「ポールの外だからファウル」と主張して猛抗議。協議は延々と続き、結論が出ないまま、いたずらに時間だけが経過していきました。
上田監督はレフト線審の交代を条件に、判定をのんで試合再開すると言いましたが、ルール上で認められないと分かると態度をさらに硬化。ついには、金子鋭コミッショナーがグラウンドに降りて上田監督を説得する緊急事態へと発展しました。
結局、阪急の渓間秀典球団代表が説得し、抗議を却下。1時間19分という非常に長い中断時間の末に試合が再開され、その後2点を追加したヤクルトが球団創設29年目で初の日本一に。上田監督は混乱の責任をとり、辞任しました。
阪急の黄金時代を築いた名将の勝利への飽くなき執念が感じられた一戦。後味の悪さも決して否めませんでしたが、日本シリーズの歴史において、かなりインパクトのあった場面といって間違いないと思います。
私が選ぶ劇的な逆転優勝TOP3
それでは次に、日本シリーズ史上に深く刻まれる劇的な逆転優勝を振り返ってみます。
第1位 1958年の西鉄ライオンズの優勝
『神様、仏様、稲尾様』
読売ジャイアンツに対して第1戦から3連敗を喫した西鉄ライオンズですが、その後、劇的な4連勝を果たして日本一に。その立役者となった稲尾和久投手の熱投が光りました。
高熱による体調不良で第1戦で黒星を喫した稲尾投手ですが、第4戦以降はまさに獅子奮迅。最終的には計6試合登板し(4完投を含む)、西鉄の4勝を全て挙げる大活躍。地元の新聞が掲げた『神様、仏様、稲尾様』の大見出しは、そのまま稲尾投手の代名詞となり、西鉄ファンはもちろん、プロ野球ファンの間に広く浸透しました。
第2位 1986年の西武ライオンズの優勝
『史上初の第8戦決着』
西武ライオンズと広島東洋カープの顔合わせとなった1986年の日本シリーズ。第1戦の引き分け後、広島が3連勝して日本一に王手を掛けますが、ここから黄金時代の西武が驚異的な粘り腰を発揮しました。
シリーズの流れを変えたのは、工藤公康投手。土俵際に追い込まれた第5戦の10回表から好リリーフを見せると、12回裏に、なんと自らのバットでサヨナラタイムリー。ライト戦を鋭く破った打球と、工藤投手の満面の笑みは、いまだ鮮明に記憶に残っています。
勢いに乗った西武は第7戦でタイに戻すと、史上初の第8戦では2点のビハインドを秋山幸二選手のツーランで追いつき、8回にはブコビッチ選手が勝ち越しタイムリー。最後は、逆転優勝の立役者・工藤投手が締めて胴上げに雪崩れ込みました。
貴重な同点弾を放った秋山選手のバック宙ホームインとともに、この一戦を記憶しているプロ野球ファンは多いと思います。
第3位 1989年の読売ジャイアンツの優勝
『相手投手の挑発(!?)に大奮起』
読売ジャイアンツ・藤田元司監督、近鉄バファローズ・仰木彬監督ともに、その高い采配能力が「マジック(魔術)」と称され、“マジシャン対決”ともいわれたマッチメイク。初戦からシリーズの流れを掌握した近鉄が3連勝を果たしますが、この勢いが止まったのは、ある投手の一言が原因とされました。
それは、「巨人は(同年パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」という近鉄・加藤哲郎投手のコメント。第3戦後のヒーローインタビューでの談話が、このような表現で大きく報道されたことで、読売ジャイアンツの選手の闘志に火がついたという逸話があります。
ちなみに、加藤投手本人は「ロッテより…」の部分に関して否定していますし、仰木監督も、その後の4連敗への影響はなかったとしていますが、勝負事はデリケートなもの。ちょっとしたことで選手のモチベーションが変化し、それが延いては両チームの明暗に直結することが有り得る…ということですね。
まとめ
・晩秋の大舞台でどのような熱い戦いが繰り広げられるのか、毎年、本当に楽しみな日本シリーズ。
・江夏の21球、小林・オマリーの14球、上田監督猛抗議が、日本シリーズ歴代名場面TOP3
・西鉄ライオンズ、西武ライオンズ、読売ジャイアンツの逆転優勝にも、それぞれにシリーズを動かしたドラマやエピソードがある。
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