八重樫幸雄の凄さが分かる名言・語録集!八重樫打法(神主打法)でベストナインにも輝いた男の伝説エピソードから努力論まで
打撃フォームに二つ名がつく、というのは、プロとして認められた証なのだと言えます。もっとも有名なのは王貞治の「一本足打法」、そしてイチローの「振り子打法」、他にも梨田昌孝の「こんにゃく打法」、竹之内雅史の「マサカリ打法」、種田仁の「ガニマタ打法」などが有名ですが、極端なオープンスタンスから神主のようなポーズから強打を放つ八重樫打法の八重樫幸雄もそのひとりです。
内外野へのコンバート、ケガ、視力低下と苦しんだ末、プロ入り14年目にして会得したのが八重樫打法であり、その翌年にはオールスターにも選ばれ、更にその翌年に捕手としてベストナインに選ばれるという遅咲きの八重樫。
42歳まで現役を続け、1978年のヤクルトスワローズ初日本一から1992年のリーグ優勝までを知るチームの柱のひとりとして活躍しました。
今回は個性的な八重樫打法(神主打法)でベストナインにも輝いた八重樫幸雄の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
八重樫幸雄について
まずは八重樫幸雄の経歴を追ってみます。
1951年6月15日生まれ、宮城県仙台市出身。仙台商業高校に入学し、1年と3年の時に夏の選手権大会で甲子園に出場。全日本高校選抜メンバーにも選ばれます。1969年のドラフト1位でヤクルトアトムズ(現ヤクルトスワローズ)に指名され入団します。
入団当初は打力を生かすため、捕手ではなく、外野手や内野手へのコンバートを命じられ、1971年の初ヒットも1塁手として記録しました。1975年に捕手登録となると、大矢明彦の控えとして出場機会を増やし、1977年にはシーズン6本塁打を記録します。翌1978年にスワローズはチーム初の日本一に輝きますが、八重樫はケガのため不本意なシーズンを送り、奮起した1979年には初の2桁本塁打を記録しました。
その後、乱視が酷くなり、ボールが見えづらくなって成績が低迷しますが、1983年に怪童中西太の指導により打撃フォームを大幅に改造。グリップを神主が祝詞をあげる姿のように下げ、投手と向かい合うほど極端なオープンスタンスで構える八重樫打法を体得し、レギュラー捕手の座を獲得します。この年から3年連続で2桁本塁打を放ち、1985年にはシーズン打率3割を越え、ベストナインに輝きます。
1988年から捕手としての出場は減りますが、代打の切り札として活躍し、1990年にはプロ21年目にして通算100本塁打を達成。1991年からは兼任コーチとなり、1992年に42歳で引退します。
プロ通算24年間で773安打、103本塁打、打率.241。ベストナイン1回。
引退後はスワローズのコーチ、スカウトを歴任し、2016年に退団。現在は学生野球資格回復をし、解説者も務めています。
私が選ぶ、八重樫幸雄の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「視力が落ちて眼鏡をかけたら投手とフレームが重なって余計にズレた」
いわゆる八重樫打法が誕生するきっかけは乱視がひどくなったためだそうです。今ならばスポーツ用の良い眼鏡やコンタクトレンズがありますが、八重樫の時代には乱視が強いとレンズが厚くなり、重くなりました。更に捕手はフライが上がるとマスクを脱ぎ捨てますから、その時に眼鏡がズレ易く、眼鏡の捕手は大成しないとも言われていました。
しかし八重樫はあっと驚くフォームを、中西太コーチと共に生み出し、見事な結果を残して、野球ファンを唸らせました。少年野球ではよく、打つ時に体を早く開くなと注意されますが、中西は「どうせなら体を開いて打ってみろ」とアドバイスしたそうです。開くといっても構えの段階だけの話で、打つ瞬間は普通の打者と変わりません。投手とほぼ正対することで、両目でボールを捉えられるようになり、視力の問題を克服したのです。
捕手ではタブーといわれた眼鏡と、打者としてタブーといわれた体の開き、という二つのタブーを越えた八重樫打法は、形にとらわれず、野球選手として生き残るための工夫と努力の結果なのです。
【名言語録その2】
「負けていても試合に緊張感がありました。だから大きな連敗もしないし、ここぞというところで勝負できたと思いますね」
これは野村克也監督の采配について語られたものです。野村は主力を休ませるある意味で捨て試合も、選手には悟らせなかったそうです。主力をうまく休ませ、起用された選手のモチベーションをあげるように持っていくので、しっかりと緊張感のある試合になったのだそうです。
八重樫の観察眼は後にスカウトとしても発揮されますが、スワローズの名センター飯田哲也に関して、関根潤三監督に捕手から野手へのコンバートを進言したそうです。その意見は通りませんでしたが、後に野村が飯田を野手にコンバートし、大成功します。
そんな眼力から、八重樫はスカウトに転身しますが、スカウト時代はせっかく獲得候補に入れても、往々にして最高責任者が見ていない場合もあり、そういう場合には候補から外れるケースも少なくなかったそうで、そんな裏話を聞くとドラフトはスカウトの責任とばかりは言えないのだなと思います。
八重樫はスワローズのマスコットであるつば九郎と仲が良いそうで、よく試合後には飲みに行っていたようです。ふたりでどんな話をしていたのか、近くで聞くことができたら楽しそうだなと思います。
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【名言語録その3】
「怖くないですよ。ただ黙っているだけです」
高津臣吾と栗山英樹が、トークショーやイベントなどで口をそろえて、チームで「怖かった」存在だと言っているのが八重樫です。本人は上記のように話していますが、反抗的な態度を見せた選手に、ユニフォームを着るのを許さず、球拾いをさせたこともあり、しっかり人としてのマナーやプロとしての厳しさを教えられるコーチでした。
プロで成功する選手について、八重樫は「どれだけ野球に没頭できるかが大きい」と語っています。「社会人出身ならば、仕事と遊びを上手に両立できるタイプが多いけど、高卒の選手が遊びに夢中になると、どうしても野球が中途半端になりがち」と述べています。それは一般的な仕事や勉強にも通用する話だと思います。
八重樫は65歳になり、学生野球資格回復の認定を受け、アマチュアへの指導も行うようになりました。
「ここ数年で個性的な子も増えてきましたよね。その個性を生かしていける指導を心がけています」
いずれ八重樫の指導で、未来の八重樫が生まれるかもしれません。
名言からの学び
・タブーを恐れてはいけない。
・優れた観察眼は確かな武器になる。
・没頭できることが個性や才能を伸ばす。
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