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三原脩の名言・語録集!多くの名将が尊敬する氏のリーダーシップ論や人生哲学に迫る!

「知将」「魔術師」などと呼ばれ、その意表をついた采配ぶりに「マジック」という言葉がつけられた最初の人物、それが名将三原脩です。

仰木彬が「師」と仰ぎ、野村克也が5大監督のひとりとしてその名をあげ、原辰徳、阿南準郎らがその教えを受け継ぎ、近年では栗山英樹が北海道日本ハムファイターズの監督就任の際に、三原氏がヤクルトスワローズ時代に付けていた背番号にあやかって80番を選ぶなど、多くの監督たちからリスペクトされています。

監督としての通算1687勝は歴代2位。6度のリーグ優勝と4度の日本一。
素晴らしい成績ですが、今もって三原氏が評価される理由は、単に勝ち数の多さだけではありません。様々な戦術を用いて弱小球団を勝たせたことです。

チームスポーツでは、戦力に劣る方が必ず負けるわけではありません。ただそのためには既成概念を飛び越えた奇策はもちろん、運や勢いなど、さまざまなところに目を配り、実行しなければ不可能です。

今回はそんな三原脩のマジックのタネあかしをするべく、残された名言や語録から、多くの名将が尊敬する氏のリーダーシップ論や人生哲学に迫ってみましょう。

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三原脩について

まずは三原脩の経歴を追ってみます。

1911年11月21日生まれ、香川県仲多度郡出身。旧制香川県立高松中学校を卒業後、早稲田大学へ進学。在学中に結婚し、帰郷しますが、後に大阪へ転居し、全大阪に加入。1934年に大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)に入団。翌年、兵役につき退団。1936年に監督兼選手として復帰するも1938年には引退。

その後、新聞記者を経て、軍に召集され、終戦後は新聞記者に戻り、1947年途中から読売ジャイアンツの助監督に就任しますが、事実上、監督扱いでした。翌年正式に監督となりチームは好成績を残しますが、スター選手だった水原茂の復帰により、その座を追われるような形になりました。

1951年より西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の監督となり、9年間で3連覇を含む、4度の優勝と、西鉄黄金期を作り上げます。1956年には因縁の水原率いるジャイアンツと日本シリーズで対戦し、見事勝利します。

1960年からは万年最下位の弱小球団大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督に就任。いきなり日本一に導きました。この奇跡が三原マジックの名声を大きく高めました。

1968年から3年間は近鉄バッファローズ(現オリックスバッファローズ)、1971年から3年間はヤクルトスワローズの監督を務め、晩年には日本ハムファイターズの球団代表などの要職につくなど活躍しましたが、1984年に72歳で亡くなりました。

 

私が選ぶ、三原脩の凄さがわかる名言・語録集

「野球は筋書きのないドラマである」

三原氏のもっとも有名な名言です。スポーツでは往々にして強いものが勝つとは限りません。

「勝負は実力5、運3、調子2の割合である」

これも三原氏の言葉です。
その「運3、調子2」が「筋書きのないドラマ」を生み出すのでしょう。

知将と呼ばれた監督たちは、皆、この運と調子をうまく呼び込む工夫をしています。それには当たり前の発想から離れることが必要です。

三原氏は投手を一度野手として守らせて、再登板させるワンポイントリリーフや、いわゆる当て馬として先発メンバー7人を偵察メンバーにするなどの奇策を使ったかと思うと、流線形打線と呼ばれた2番に強打者を置くという、いまやメジャーリーグで主流になっている攻撃型の打線などの先見性を持った采配で、運を呼び込み、勢いをつけて勝ちに導きました。

「筋書きのないドラマ」をキャストの組み合わせや意表をつく小道具で、面白いものに仕上げていたのです。

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「監督はゲームに勝てる雰囲気を醸成し、技術・精神をつねに調整するいわばエンジニアである」

これ以上、監督の仕事を端的に表している言葉はないと思います。
試合をするのは基本的に選手であり、監督がコミットするのは、勝つために調整が必要な場合です。指示される作戦や選手交代は、選手が勝てると思えるものでなければ、チームの勢いは変りません。

「野球というメンタルの要素が大きいゲームの監督をやっていると、雨を自軍の選手がツイてると感じてくれるように努力をしなければならない」

三原氏はそんな言葉も残しています。
ひと言でいえば人心掌握術ということなのでしょうが、雨さえツイていると思わせるには、選手たちが納得できる的確なアドバイスが必要です。

たとえば大洋時代の選手桑田武は、決して体が大きくはなく、常識的にはホームランを狙わずにコンパクトに打てと指導される筈です。ところが三原氏はパンチ力をいかして打率は捨て、積極的にホームランを狙わせることで本塁打王に育てあげます。
まさにエンジニアとして、技術を調整した結果といえます。

 

「タイプの違った二人の選手の長所をうまく組み合わせて起用すれば、一人のスタープレーヤーに匹敵する戦力が生まれる」

野球エンジニアである三原氏は、弱小チームであっても一芸に秀でた選手をうまく組み合わせて使うことで、一流選手並みの戦力に仕立て上げました。
そんな形を三原氏は「超二流」と呼びました。

「やりたいことをやってもよろしい。言いたいことは言いなさい。が、与えられたことはきっちりやらなければならない」

与えられた仕事をきっちりこなすなら、他は好きにやって構わないというのが三原氏の姿勢でした。三原氏はそれを「遠心力野球」と名付けます。

「選手は惑星である。それぞれが軌道をもち、その上を走っていく。この惑星、気ままで、ときに軌道を踏み外そうとする。そのとき発散するエネルギーは強大だ。遠心力野球とは、それを利用して力を極限まで発揮させる」

三原氏はこの「遠心力野球」を基本に、選手が監督の指示のもと、それぞれの役割をこなす姿を「求心力野球」といいました。

より大きな力となる遠心力と、それを引き付ける求心力と、そのふたつの融合こそ、三原マジックの神髄なのです。

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【名言語録集 おまけ】

「弱小チームを強くするのは男子の本懐である。ただし、チームを強くするのは監督ではなく、球団の姿勢だ」

どんなマジックも所詮は一時的なものだと三原氏は理解していました。

本当に強くするためには、球団の姿勢で決まる
球団代表まで務めた三原氏の言葉だけに、説得力があります。

現場の監督や選手にばかり成績の責任を押しつけがちな球団は、是非この言葉をしっかりと噛みしめてほしいものです。

 

名言からの学び

・すべてが実力通りに結果がでるわけではない。運や調子といった不確定要素を軽んじてはならない。

・リーダーはメンバーが結果を出すためのエンジニアとして、能力や心をうまく調整してやらねばならない。

・ひとつに秀でた者たちをうまく組み合わせることで、より大きな力に出来る。

 

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