【ロッテ】歴代監督を成績と一緒に徹底紹介!優勝を経験した監督は計5人!
2017/08/13
ロッテは現在、千葉ロッテマリーンズの愛称で多くのファンがいる球団として人気を集めています。しかし、千葉の前は川崎・仙台・東京に本拠地をおいていました。東北と言えば今は楽天ゴールデンイーグルスが人気を集めていますが、楽天の前にも東北の仙台で本拠地として構えていた球団があったということになります。若い年代の方にはきっと知られていないですよね。
ちなみに私も30代後半ですが、知りませんでした・・・(^^)/そんなロッテ球団ですが、川崎時代は暗黒の時代で、ファンも少なくガラガラの川崎球場という印象が良くありました。しかし、千葉に移転後独特のサッカーのような応援で多くのファンを取り込み、背番号26がファンの背番号として永久欠番とされるまでになり、試合の際は26番のユニフォームをベンチに飾るようになりました。
チームとファンが一体になり、今では人気球団の一つと言っても良いでしょうね。今回はそんな千葉ロッテマリーンズの監督とその成績について徹底的にお伝えしていきます!!
目次
- 1 ロッテの歴代監督について
- 1.1 湯浅禎夫監督(1950年~1952年)
- 1.2 若林忠志監督(1953年)
- 1.3 別当薫監督(1954年~1959年)
- 1.4 西本幸雄監督(1960年)
- 1.5 宇野光雄監督(1961年~1962年)
- 1.6 本堂保次監督(1963年~1965年)
- 1.7 田丸仁監督(1966年)
- 1.8 戸倉勝城監督(1967年)
- 1.9 濃人渉監督(1967年~1971年)
- 1.10 大沢啓二監督(1971年~1972年)
- 1.11 金田正一監督(1973年~1978年)
- 1.12 山内一弘監督(1979年~1981年)
- 1.13 山本一義監督(1982年~1983年)
- 1.14 稲尾和久監督(1984年~1986年)
- 1.15 有藤道世監督(1987年~1989年)
- 1.16 金田正一監督(1990年~1991年)
- 1.17 八木沢壮六監督(1992年~1994年)
- 1.18 ボビー・バレンタイン監督(1995年)
- 1.19 江尻亮監督(1996年)
- 1.20 近藤昭仁監督(1997年~1998年)
- 1.21 山本功児監督(1999年~2003年)
- 1.22 ボビー・バレンタイン監督(2004年~2009年)
- 1.23 西村徳文監督(2010年~2012年)
- 1.24 伊東勤監督(2013年~)
- 2 優勝を経験した監督は計5人で各1回ずつ!
- 3 まとめ
ロッテの歴代監督について
初代から順に記載します。出身チームについてはプロチームのみの記載です。
湯浅禎夫監督(1950年~1952年)
生年月日:1902年10月2日
ポジション:投手
出身チーム:毎日オリオンズ
最高順位: 1位
大正から昭和の時代にかけて大学、ノンプロで剛腕を持ち味に活躍した投手です。プロとしての期間は短かったですが、大正の大投手の1人としてあげられています。
1950年にパ・リーグに加盟した毎日オリオンズで総監督兼選手として活躍しました。1年目から7割以上の勝率を残し1年目で優勝をおさめた素晴らしい指導者でもありました。
若林忠志監督(1953年)
生年月日:1908年3月1日
ポジション:投手
出身チーム:大阪タイガース・毎日オリオンズ
最高順位: 5位
1950年から1952年は毎日オリオンズのヘッドコーチをしていました。湯浅監督の後を継ぎましたが、5位と成績が振るわず1年で退任することになりました。1964年には野球殿堂入りも果たしています。
別当薫監督(1954年~1959年)
生年月日:1920年8月23日
ポジション:外野手
出身チーム:大阪タイガース・毎日オリオンズ
最高順位:2位
監督として6年間指揮を執りました。若手中心のチ―ム作りを行ないました。6年間で4回のAクラス。Bクラスでも4位が2度と若手が活躍し安定したチームを作り上げました。選手時代には1つの試合で二盗、三盗、本盗を連続で成功させたパーフェクトスチールを達成させたことも有名です。
西本幸雄監督(1960年)
生年月日:1920年4月25日
ポジション:内野手
出身チーム:毎日オリオンズ
最高順位:1位
選手時代は毎日オリオンズ一筋でした。監督としても名将として有名で、20年間で8度のリーグ優勝をしている監督です。1960年でも監督として1年目で優勝をしました。8度のリーグ優勝をしている監督ですが、日本シリーズでは一度も勝つことができていない監督としても知られており、「悲運の名将」とも言われています。
宇野光雄監督(1961年~1962年)
生年月日:1917年4月10日
ポジション:内野手
出身チーム:読売ジャイアンツ・国鉄スワローズ
最高順位:4位
西本監督の後を継いで2年間監督を務めました。しかし西本監督時代はリーグ優勝でしたが、2年連続4位と成績を残すことができず2年間で監督を退任しました。
本堂保次監督(1963年~1965年)
生年月日:1918年3月18日
ポジション:内野手
出身チーム:大阪タイガース・大陽ロビンス・毎日オリオンズ
最高順位:4位
選手時代は主に二塁手でした。堅実な守備と頭脳的なプレーが持ち味でした。監督としても、その頭脳を活かした采配が期待されましたが、3年間全てBクラスとなり4位が最高の順位で3年間で監督を退任しました。
田丸仁監督(1966年)
生年月日:1926年10月14日
ポジション:内野手
出身チーム:
最高順位:4位
田丸監督はプロ野球での選手の経験はない監督でした。しかし、アマチュア時代からその采配は評価を得ていました。
神奈川の古豪法政二高、法政大学を経て母校法政二高の監督として1960年夏、1961年春甲子園大会で優勝をしました。1961年からは法政大学の監督を務めました。素晴らしい野球理論の持ち主として評価され、プロ野球の監督になりました。
戸倉勝城監督(1967年)
生年月日:1914年11月3日
ポジション:外野手
出身チーム:毎日オリオンズ・阪急ブレーブス
最高順位:5位
35歳でプロ野球に入団した選手でした。高齢でありながら2年連続でベストナインも獲得しました。1967年に監督に就任しましたが、貧打が続き、作戦も一辺倒でオーナーの不評を買い、6月に休養。8月に復帰しましたが、その後2週間で解任されました。後任は翌年から監督に就任した濃人監督が指揮を執りました。
濃人渉監督(1967年~1971年)
生年月日:1915年3月22日
ポジション:内野手
出身チーム:名古屋金鯱軍・大洋軍・結城ブレーブス・金星スターズ
最高順位:1位
濃人監督は1967年シーズン途中から指揮を執りはじめました。1967年こそ5位で終わりましたが、その後は全てAクラスと素晴らしい成績を残しました。1970年にパ・リーグを独走優勝を果たしましたが、日本シリーズでは巨人に4勝1敗で敗れました。
1971年7月13日の阪急線で日本プロ野球史上最後の放棄試合を起こしたことから、シーズン途中でしたが二軍監督に降格し、シーズン終了後に退任しました。
大沢啓二監督(1971年~1972年)
生年月日:1932年3月14日
ポジション:外野手
出身チーム:南海ホークス・東京オリオンズ
最高順位:2位
大沢親分の愛称で親しまれた監督です。若い頃は素行が悪かったようで野球選手になっていなかったらヤクザになっていたなどとも言っていました(^^)/ですが、素晴らしい野球センスの持ち主で選手時代には今でこそ当たり前ですが、打者によって守備位置を変えるようなプレーを考えて行なっていました。
1971年途中から采配を振るい、2位になったことが評価され5年間の長期契約を結びましたが、1972年のシーズンは1度も上位に組み込めず5位でシーズンを終えました。この年の成績で5年契約も解除され退任することになりました。
金田正一監督(1973年~1978年)
生年月日:1933年8月1日
ポジション:投手
出身チーム:国鉄スワローズ・読売ジャイアンツ
最高順位:1位
日本球界不滅の400勝をあげた投手として誰もが知っている金田正一監督です。監督としての1974年2年目でリーグ優勝、日本一を成し遂げました。退任した1978年は前期の終盤に15連敗するなど厳しい戦いをしいられました。
監督時代の6年間でAクラス4回、Bクラス2回の成績でしたが、Bクラスでも2回とも4位と厳しい戦いをしいられながらも粘り強さを感じた監督でした。
山内一弘監督(1979年~1981年)
生年月日:1932年5月1日
ポジション:外野手
出身チーム:毎日オリオンズ・阪神タイガース・広島東洋カープ
最高順位:2位
選手時代は三冠王を狙えるほどの選手でした。1967年には川上哲治さんに次ぐ2人目の2000本安打の達成をした選手でもあります。400本塁打まであと4本と迫りながらも現役を引退しました。監督としては3年間で4位、2位、3位の成績を残しましたが、3年で退任しました。
山本一義監督(1982年~1983年)
生年月日:1938年7月22日
ポジション:外野手
出身チーム:広島東洋カープ
最高順位:5位
1982年から2年間指揮を執りました。1982年の1年目にはあの落合博満の三冠王獲得に尽力しました。1983年には球団史上初の最下位に転落し、責任をとるかたちで退任することになりました。
稲尾和久監督(1984年~1986年)
生年月日:1937年6月10日
ポジション:投手
出身チーム:西鉄ライオンズ
最高順位:2位
選手時代は「神様・仏様・稲尾様」と言われ頼りにされファンの多い選手でした。ロッテの監督要請を受諾した際には、ロッテを数年以内に移転する条件をだしていました。しかし移転が行なわれることなく、3年間の監督成績は2位が2回、4位が1回と良い成績でしたが退任することになりました。
有藤道世監督(1987年~1989年)
生年月日:1946年12月17日
ポジション:内野手・外野手
出身チーム:ロッテオリオンズ
最高順位:5位
1968年にロッテにドラフト1位で指名され入団しました。ロッテ一筋で「ミスターロッテ」とも呼ばれ、人気、実力ともに高かった選手です。2年目の1988年10月19日には近鉄とのダブルヘッダーの試合で注目も集めました。3年間で5位が最高順位と最下位が2回で成績を残すことができず、3年で退任しました。
金田正一監督(1990年~1991年)
生年月日:1933年8月1日
ポジション:投手
出身チーム:国鉄スワローズ・読売ジャイアンツ
最高順位:5位
金田監督がロッテの第2次監督を2年間務めました。有藤監督から引き継ぎましたが、選手層が厳しい状態でロッテの暗黒時代と言われた時期となってしまいました。1回目監督時のような成績をおさめることができず、2年で退任しました。
八木沢壮六監督(1992年~1994年)
生年月日:1944年12月1日
ポジション:投手
出身チーム:ロッテオリオンズ
最高順位:5位
1992年に千葉に移転し、千葉ロッテマリーンズとチーム名も変更した年に監督になりました。移転を機に心機一転したいところでしたが、3年間で6位、5位、5位と全てBクラスで成績を残すことができませんでした。
ボビー・バレンタイン監督(1995年)
生年月日:1950年5月13日
ポジション:内野手・外野手
出身チーム:ロサンゼルス・ドジャース、カリフォルニア・エンゼルス、サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、シアトル・マリナーズ
最高順位:2位
当時のロッテ広岡達朗に誘われて監督に就任しました。ロッテ球団初の外国人監督でした。持ち前の明るさと愛嬌のある指導法で明るいロッテ球団を作り上げ、2位の成績を残しました。好成績を残したのですが、一部のコーチ陣との確執が表面化され、1年で解任することになりました。その後メジャーリーグでも監督も行ないました。
江尻亮監督(1996年)
生年月日:1943年1月10日
ポジション:外野手
出身チーム:大洋ホエールズ
最高順位:5位
前年1年間監督をして2位の成績をおさめたことからも人気の高かったバレンタイン監督の後任として就任しました。この年は江尻監督もシーズン途中で体調を崩し休養することもありました。成績不振や広岡GMの解任もあり、1年間のみの監督となりました。
近藤昭仁監督(1997年~1998年)
生年月日:1938年4月1日
ポジション:内野手
出身チーム:大洋ホエールズ
最高順位:6位
戦力的にも厳しい状態のチームの中で2年間監督を行ないました。2年目には日本プロ野球記録でもある、18連敗の不名誉な記録も残してしまいました。2年間で連続最下位と成績が振るわないことから退任することになりました。
山本功児監督(1999年~2003年)
生年月日:1951年12月25日
ポジション:内野手・外野手
出身チーム:読売ジャイアンツ・ロッテオリオンズ
最高順位:4位
とても熱い気持ちのある山本監督でした。若手やべテランを上手く融合させ選手起用を行ないました。5年間監督として指揮しましたが、徐々に選手の成長も見られるような起用が目につきました。
4位が3回、5位が2回の成績でしたがこの後のロッテのリーグ優勝、日本一のベースをつくった監督と言っても良いと思います。
ボビー・バレンタイン監督(2004年~2009年)
生年月日:1950年5月13日
ポジション:内野手・外野手
出身チーム:ロサンゼルス・ドジャース、カリフォルニア・エンゼルス、サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、シアトル・マリナーズ
最高順位:1位
ロッテの成績が振るわないことから9年ぶりに監督として復帰しました。2年目の2005年には84勝49敗3分の素晴らしい成績で31年ぶりのリーグ優勝とに日本シリーズでは阪神に4連勝し日本一に輝きました。
やはり日本人監督とは違った独特の采配が健在で、若手選手の成長が大きく垣間見れたシーズンでした。2007年にも2位となり6年間の2期目の監督では、Aクラス2回と素晴らしい成績を残しました。ボビー・マジックを感じさせる監督でしたよね。
西村徳文監督(2010年~2012年)
生年月日:1960年1月9日
ポジション:内野手・外野手
出身チーム:ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ
最高順位:3位
西村監督はロッテ一筋の選手でした。選手時代はその俊足をいかし「走る将軍」の愛称で親しまれていました。選手との信頼関係の厚い監督で自ら選手と積極的にコミュニケーションをとり信頼されている監督という印象があります。
3年間でAクラスが1度で3位の成績が最高順位となっていますが、クライマックスシリーズの1次ステ―ジで西武、2次ステージでソフトバンクを倒し日本シリーズに出場しました。日本シリーズでも中日を倒しリーグ3位からの日本一を獲得し、「史上最大の下克上」と言われ話題にもなりました。
伊東勤監督(2013年~)
生年月日:1962年8月9日
ポジション:捕手
出身チーム:西武ライオンズ
最高順位:3位
選手時代は西武一筋の名捕手として西武の黄金時代を築いた選手の1人です。2004年から2007年までは西武の監督を務めていました。西武の監督としても日本一を掴んでいます。
新たな風をいれていくことも期待され2013年からロッテの監督に就任しました。2017年で5年目を迎え、そろそろ成績を残さなければいけないのですが、2017年は開幕からかなり厳しい状況にたたされています。残りの試合の戦い方によっては、2017年のオフには進退が問われるかも知れませんね。
優勝を経験した監督は計5人で各1回ずつ!
これまで見てきましたように、優勝を経験した監督は計5人でそれぞれ1回ずつです。
特に、1950年のロッテができた年の湯浅監督は初年度で優勝ですから、本当に素晴らしい成績でした。その他もやはり知名度の高い名前が並んでいると思います。西本監督、濃人監督、金田監督、バレンタイン監督ですから、名立たる名将と言って良いでしょう。
1980年代後半から1990年代前半はロッテの暗黒時代でした。しかし、その雰囲気を変えたのがバレンタイン監督でした。1回目の監督時代は2位の成績でしたが、外国人監督特有の明るさが見られチームの印象も大きく変えてくれたのではないかと思います。
また、この中に名前はありませんが、2010年の西村監督もリーグ3位からクライマックスシリーズで勝ち上がり日本一を成し遂げています。勢いに乗ると止められないイメージの千葉ロッテ。次のリーグ優勝の監督に誰が名を刻むのか楽しみなところですよね・・・(^^)/
まとめ
・ロッテ球団ができて2017年で68年目です。
・ロッテのリーグ優勝回数は計5回。全て監督が違うので最多リーグ優勝監督は5名となっています。
・ロッテのイメージは最近ではバレンタイン監督が明るい勢いのあるチームカラーを作り上げました。外国人監督の持ち前の明るさで出来たチームカラーと緻密な日本人監督を融合させた野球で、今後ロッテの野球は更に魅力的になるかもしれませんね・・・(^^)/
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