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江本孟紀の名言・語録集!伝説エピソードから人生哲学に迫る!


「ベンチがアホやから野球がでけへん」
そう言い放ってプロ野球選手を辞め、タレントになった後は国会議員に。
お騒がせな言動を繰り返しながらも、いまだにファンに愛される江本孟紀氏。

しかし野球選手としては、野村克也とバッテリーを組み、データ野球の元祖ともいうべき野村流「考える野球」の実践者でもあり、クレバーな投手でした。

プロ通算11年間で113勝、8年連続二桁勝利、オールスター選出4回。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)と阪神タイガースでエース投手として活躍。

長い手足を生かした、独特のスリークォーターのフォームで、死球や暴投、ボークも多く、荒れたイメージながらも、頭を使った技巧派という、個性あふれる投手でした。

今回はそんな破天荒な江本孟紀氏の名言・語録集から、伝説に残るエピソードやその人生哲学にも迫ります。

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江本孟紀氏について

まずは江本孟紀氏の経歴を追ってみます。

1947年7月22日生まれ、高知県香美郡(現香美市)出身。高知商業高校のエースとして西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)にドラフト4位指名を受けますが法政大学へ進学。卒業後は熊谷組に入社。

1971年春に東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)にドラフト外で入団。プロ野球選手になります。

在籍わずか1年で南海ホークスへ移籍。そこで捕手兼監督の野村克也と出会い、プロ未勝利の江本氏は「お前がエース」「俺の言うとおりやれば、お前は10勝できる」と言われたそうです。そして実際にシーズン16勝をあげ、以降、エースとして活躍します。

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1975年、江夏豊らとのトレードで阪神タイガースに移籍。1981年8月に「ベンチがアホやから野球がでけへん」との発言をし、そのシーズン限りで引退します。

その発言のイメージが先行し、投手としての江本氏は過小評価されがちですが、8年連続二桁勝利というのは見事な記録です。

たとえば2016年と2017年の2年連続二桁勝利すら6人しかいません。また江本氏は6年連続200イニング以上投げていますが、現在はシーズンに200イニング投げる投手はほとんどいません。

他に通算24ボークの日本記録や3球連続ボークといった珍記録を残しているのも江本氏らしい感じがします。

引退後は野球解説はもちろんタレントとしても活躍、そして参議院議員も2期12年勤めています。

 

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「どうせならボークの日本記録や3球連続ボークを表彰してもらいたかった」

プロ野球史上最多のボークを記録している江本氏。それに対してこんな自虐ジョークを飛ばしています。
ボークというと負の記録であり、不注意な印象を与えてしまいますが、江本氏は「審判との戦い」だと言っています。

この記録の背景には、当時パリーグがボークの適用を厳しくするようになったという事情があります。プロ野球ではボークや二段モーションなどが、その時々で厳しくなったり緩くなったりした歴史があります。しかしジャッジは審判という人間が行うものであり、人によって基準が微妙に違います。

当時、阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)には「世界の盗塁王」と呼ばれた通算1065盗塁の福本豊がいました。彼に盗塁を許さないために野村克也はクイックモーションを考え出し、投手たちもボークぎりぎりの牽制をしていました。

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江本氏はそんな中で「どこまで止めたらいいのか、アンパイアに挑戦した」のだそうです。
つまり雑な投球をしたためのものではなく、走者に盗塁させないため、審判とぎりぎりの駆け引きをした結果の記録なのです。

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「敗戦野手というのはいないですしね。その日10対0で負けても、自分がヒット3本打ってれば、ニコニコして帰れますから」

投手と野手の違いを指摘した言葉です。
江本氏は「ピッチャーは泣きごとが言えない」とも語っています。
野球は勝利も敗戦も、投手にかかる比重が大きいスポーツ。
投手は9回2アウトまで完璧でも、そこからたった1球で敗戦投手になることもあります。

江本氏はどうしても打たれそうな時に絶対打たれない方法として「フォアボールかデッドボール」と言っています。
記録を見るとシーズン与四球1位を2回、与死球1位を2回と、四死球の多い投手でした。
しかしそれはコントロールが悪いというだけではない、打たせないための戦術という面もあったのでしょう。

そう考えると、この言葉は単純な野手批判というのではなく、投手の責任というものを語ったということでもあるのです。

 

「今はどっちつかずの中間の監督が増えましたね。この人、どういう野球するの、っていうのが見えない」

江本氏にとって監督といえば名将野村克也氏でしょう。ホークス時代の恩師というべき人物です。

その野村氏が監督人生における三悪人として江夏豊、門田博光、そしてこの江本氏を選んでいます。この三人に鍛えられて以降、どんな選手も「屁とも思わなかった」そうです。

江本氏は監督の野村氏に向って「高卒出の選手ほど派手なスーツを着る」と言い、「アクセサリーも派手で、キンキラの時計やネックレス、指輪をつけたり。監督もそうですよね」などと平気でからかうのだそうです。
しかし引退後も今に至るまで、時に野村氏をいじりながらも、常にリスペクトを表明し続けています。

それは一見するといい加減に見えがちな江本氏が、実は緻密な野村流の「考える野球」を受け継いでいるひとりであるということでもあります。

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「ベンチがアホやから野球がでけへん」

プロ野球史上、有名な事件の発端になったひと言です。
選手会長として、投手として起用法について、いろいろ監督に言いたいことが積もり積もった結果にでた言葉のようですが、他にもマスコミ側の過剰報道や、熱狂的なタイガースファンの問題など、いろいろな側面があり、江本氏はこれをきっかけに引退します。

賛否はともかく、筋を曲げない江本氏らしいとも言えるかもしれません
後には年齢と経験を重ねて、当時の監督の気持ちがわかるようになったと語っていますが、それもまた江本氏らしいと思います。

 

「私は十年前からやめております」

江本氏は引退後、参議院議員に転身しますが、ある時、法務大臣に対して、賭け麻雀について質問しました。

賭け麻雀は「世間一般にやられており」、どれくらいまでなら問題ないのかわかっていた方がいい、と質問したのです。
するとカミソリとの異名があった後藤田法相は「江本さんはどれくらい賭けているのですか」と切り返し、江本氏は上記の答えをしました。

その後の内容は法相が法律の文面を確認する形で終わりますが、江本氏は「なるべく捕まらないようにみんな気をつけたい」とまとめました。

冗談のようなやりとりですが、その当意即妙ぶりは見事です。
これも賛否はともかく、実に江本氏らしい内容だと思います。

 

名言からの学び

・自分を殊更誇ることなく、やるべきことはやる。それがプロフェッショナルの仕事である。

・歯に衣着せぬという言動というのは、根底にきちんとした相手へのリスペクトがあってこそ成り立つ。

・人の表に現れる部分は、その人物のほんの一部であり、単純にそこだけを捉えて評価すべきではない。

 

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