土橋勝征の凄さが分かる名言・語録集!スワローズのいぶし銀の伝説エピソードから人生哲学まで
バットとは何と聞かれたらどう答えますか?
公認野球規則では材質が「1本の木」で出来た「なめらかな丸い棒」で「長さは42インチ(106.7cm)以下」、太さは「最も太い部分の直径が2.61インチ(6.6cm)以下のもの」とされています。その規定内のものであれば、それはバットと呼んで良いわけです。更に公認規則ではバットの握り部分の端から18インチ(45.7cm)については、滑り止めとしてある程度の加工が許されています。そこにもうひとつグリップエンドのような突起を作ってしまったのが土橋勝征です。
ヤクルトスワローズのファンで作家の村上春樹も一目置く、渋いいぶし銀の活躍で知られた土橋。バットを短く持ち、コンパクトなスイングをするため、滑り止めとしてテーピングをきつく巻き重ねることで、本来のグリップエンドの内側にもうひとつ突起を作ったバットを使い、巧打を連発しました。
名将野村克也に見い出されたひとりでもあり、1990年代半ばのスワローズが強かった時代の名脇役、野村曰く「裏MVP」の活躍を見せた土橋ですが、引退後も長くコーチを務めるなどスワローズを支える柱のひとりとなっています。
今回はスワローズのいぶし銀土橋勝征の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
土橋勝征について
まずは土橋勝征の経歴を追ってみます。
1968年12月5日生まれ、千葉県船橋市出身。印旛高校では千葉大会最多本塁打となる5本を記録し、スラッガーとして注目されます。1986年のドラフト2位でヤクルトスワローズに指名されて入団。3年目にプロ初安打、5年目にプロ初本塁打を放ちますが、守備では送球の不安定さが目立ち、そして打撃でも伸び悩みます。
野村監督の指導により、外野手も経験し、バットを短く持つミート打法に切れ変えたことで、守備も打撃も安定し、1994年にレギュラーを獲得。翌1995年には野村から「裏MVP」と評価される活躍で日本一に貢献。状況に応じた打撃とユーティリティーぶりでチームに欠かせない戦力となりました。
2004年には横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の絶対的守護神であった佐々木主税から三者連続本塁打の一角に名を連ね、更に2005年にはサヨナラ安打も放って、選手生活の幕引きを演出しました。しかしその土橋も2006年に引退。
現役通算20年間で、1121安打、79本塁打、35盗塁、打率.266。
引退後はスワローズのコーチなど、一貫してスワローズのスタッフとして活躍しています。
私が選ぶ、土橋勝征の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「投げ方がわからなくなるというようなことはなかった」
土橋はプロ入り後、守備機会での送球エラーが多く、いわゆるイップスではないかと言われました。しかし上記の言葉のように本人はそれを否定しています。
右打ちの外野手不足というチーム事情により、野村監督から外野手としての練習を命ぜられ、土橋は自分のスローイングに大きな問題があったことに気が付いたそうです。外野手は内野手よりも長い距離を投げることが多いので、うまく下半身を使って投げます。そういうスローイングを繰り返しているうちに、内野手の時は手首の強さのせいで、あまり下半身を使わずにスローイングしてしまうため、時々引っかけてしまうのだとわかりました。
違うポジションを経験することで、土橋は自分の悪癖に気づき、見事にスローイングを改善しました。つまり純粋に技術的なレベルの問題であって、イップスではないというわけです。野球に限らず、特に若いうちのスランプは単に技術的な未熟さが原因であることが多いものです。
もし土橋が内野手にこだわり続けていたら、ユーティリティープレーヤーとしての土橋はなく、出場機会も限られ、プロ入り8年目にしてのレギュラー獲得はなかったかもしれません。
【名言語録その2】
「今から思えばやっぱり楽をしたらダメだなと思いますね」
野村監督からは「主役と脇役がいるんだ」とか「オマエは絶対に主役じゃないよ」とか「こういう技を磨きなさい」といろいろ言われ、土橋は高校時代は長距離打者として活躍したものの、小技も使える中距離打者としてスタイルを変えました。
そして土橋の特別なバットが生まれます。最初は目印程度のものが、次第に大きくなり、やがてグリップエンドと変わらないほどになりました。土橋によるとテーピングをきつく巻きつけたもので、ちょうどいいところまで仕上げるのは、なかなか大変な作業であり、バットが折れるとその作業を考えて心も折れたそうです。
バットを短く持つことで巧打を量産した土橋ですが、もともとパンチ力があったため、バットを短く持っても長打が打てました。1995年4月26日の対ベイスターズ戦で、斎藤隆に8回1死までノーヒットに抑えられていましたが、四球のランナーを置いて、土橋が内角真っ直ぐをレフトスタンドに打ち込み勝利しました。右打者が引っ張った打球で、しかも風はファウルグラウンドに向けて吹いていたため、斎藤隆は即座にファウルと判断し、次の投球を考えていたそうですが、風に逆らってファウルゾーンからスライスした打球はレフトポールに当たりホームランになったのです。
この年、スワローズは日本一となり、土橋は野村監督から「裏MVP」と称賛されましたが、当時のスワローズには古田敦也、石井一久、池山隆寛、吉井理人、高津臣吾ら、実力と共に個性豊かなメンバーが多い中、土橋は野村ID野球の優等生と言われました。
「僕らの頃はまだ、俺が俺が、みたいな性格の人が多かった時代でした。だから野村さんが、こうやれって締め付けても、その通りに動かない選手もいたんです」
しかし土橋は、野村の話を聞いて「ああ、こんなことがあるんだ」とか「すげえ」と思うことばかりで、素直に話を聞き、それを実行しました。結果、実力と信頼を得たのです。
【名言語録その3】
「頭を使うことで野球は簡単になるんですよ」
野村ID野球の洗礼を受けた土橋ですが、野村が「こうなるんだよ」と言ったことの多くが、本当にそうなるのを目の当たりにして、考えることに興味が湧いたのだそうです。
「行き当たりばったりで、どんなボールが来るのかわからないで打つのと、ある程度こういう傾向がある、じゃあ、そのボールを狙おう、というのとでは、後者のほうがずっと野球がやさしくなる」
野球に限らず、頭を使うことで容易になることは山ほどあります。初めはとりあえずやってみるという勢いも必要ですが、レベルが高くなればなるほど頭を使うことがアドバンテージになります。
「ジャイアンツの仁志(敏久)のポジショニングがすごいって話題になったけど、あれはジャイアンツだから目立っただけで、そんなこと、俺や辻(発彦)さんはもっと前からやってるよ」
メジャー流のデータを重視する野球が主流になっている昨今ですが、結局、頭を使った野球というのはそのデータをどう生かすかです。是非とも野村ID野球から、土橋ID野球に進化させた形を、指導者として見せて欲しいものです。
名言からの学び
・異なった経験が成長を促す。
・楽をせず、他者の言葉を聞くことで成長する。
・頭を使うことでより簡単にできるようになる。
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