広島カープの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
2021/11/05
1950年の球団創設以来、広島カープのキャッチャーをこれまで多くの選手が守ってきました。
今回は広島カープの歴代キャッチャーをリサーチして、広島カープ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。
懐かしい選手が登場するかもしれません。では、一緒に見ていきましょう!
目次
広島カープの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 阪田 清治 | 2 | 122 | 0.245 | 3 | 43 | |
1951 | 辻井 弘 | 3 | 94 | 0.257 | 1 | 30 | |
1952 | 門前眞佐人 | 12 | 108 | 0.250 | 6 | 35 | |
1953 | 門前眞佐人 | 17 | 104 | 0.256 | 12 | 61 | |
1954 | 門前眞佐人 | 17 | 120 | 0.269 | 4 | 39 | |
1955 | 門前眞佐人 | 17 | 105 | 0.205 | 5 | 33 | |
1956 | 門前眞佐人 | 17 | 72 | 0.222 | 4 | 27 | |
1957 | 川原 政数 | 6 | 107 | 0.219 | 4 | 22 | |
1958 | 田中 尊 | 12 | 94 | 0.195 | 3 | 21 | |
1959 | 田中 尊 | 12 | 79 | 0.236 | 0 | 8 | |
1960 | 田中 尊 | 12 | 95 | 0.225 | 1 | 14 | |
1961 | 田中 尊 | 12 | 112 | 0.209 | 0 | 16 | |
1962 | 田中 尊 | 12 | 120 | 0.190 | 0 | 13 | |
1963 | 田中 尊 | 12 | 124 | 0.205 | 0 | 15 | |
1964 | 田中 尊 | 12 | 132 | 0.202 | 0 | 20 | |
1965 | 田中 尊 | 12 | 126 | 0.204 | 1 | 11 | |
1966 | 田中 尊 | 12 | 124 | 0.206 | 1 | 20 | |
1967 | 久保 祥次 | 24 | 106 | 0.221 | 8 | 30 | |
1968 | 田中 尊 | 12 | 103 | 0.144 | 0 | 8 | |
1969 | 田中 尊 | 12 | 90 | 0.177 | 1 | 11 | |
1970 | 久保 祥次 | 24 | 82 | 0.205 | 2 | 9 | |
1971 | 水沼 四郎 | 39 | 95 | 0.178 | 3 | 18 | |
1972 | 久保 祥次 | 24 | 78 | 0.220 | 4 | 13 | |
1973 | 水沼 四郎 | 39 | 107 | 0.191 | 0 | 15 | |
1974 | 西沢 正次 | 37 | 95 | 0.267 | 6 | 26 | |
1975 | 水沼 四郎 | 22 | 116 | 0.208 | 1 | 19 | |
1976 | 水沼 四郎 | 22 | 124 | 0.250 | 11 | 46 | |
1977 | 水沼 四郎 | 22 | 118 | 0.251 | 5 | 32 | |
1978 | 水沼 四郎 | 22 | 127 | 0.271 | 7 | 46 | |
1979 | 水沼 四郎 | 22 | 100 | 0.277 | 4 | 24 | |
1980 | 水沼 四郎 | 22 | 117 | 0.218 | 5 | 21 | |
1981 | 水沼 四郎 | 22 | 77 | 0.257 | 0 | 12 | |
1982 | 達川 光男 | 40 | 77 | 0.210 | 3 | 13 | |
1983 | 達川 光男 | 40 | 116 | 0.252 | 5 | 41 | |
1984 | 達川 光男 | 40 | 117 | 0.244 | 7 | 33 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1985 | 達川 光男 | 40 | 95 | 0.230 | 4 | 31 | |
1986 | 達川 光男 | 40 | 128 | 0.274 | 9 | 46 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1987 | 達川 光男 | 40 | 130 | 0.256 | 8 | 34 | |
1988 | 達川 光男 | 40 | 122 | 0.261 | 6 | 38 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1989 | 達川 光男 | 40 | 109 | 0.227 | 4 | 22 | |
1990 | 達川 光男 | 40 | 101 | 0.265 | 3 | 33 | |
1991 | 達川 光男 | 40 | 120 | 0.237 | 1 | 39 | |
1992 | 達川 光男 | 40 | 100 | 0.233 | 0 | 14 | |
1993 | 西山 秀二 | 32 | 110 | 0.229 | 7 | 21 | |
1994 | 西山 秀二 | 32 | 126 | 0.284 | 3 | 32 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1995 | 瀬戸 輝信 | 2 | 78 | 0.256 | 2 | 22 | |
1996 | 西山 秀二 | 32 | 124 | 0.314 | 3 | 41 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1997 | 西山 秀二 | 32 | 103 | 0.205 | 5 | 28 | |
1998 | 瀬戸 輝信 | 28 | 120 | 0.233 | 3 | 27 | |
1999 | 西山 秀二 | 32 | 103 | 0.238 | 4 | 25 | |
2000 | 西山 秀二 | 32 | 94 | 0.221 | 6 | 33 | |
2001 | 西山 秀二 | 32 | 120 | 0.239 | 2 | 14 | |
2002 | 木村 一喜 | 27 | 109 | 0.314 | 5 | 28 | |
2003 | 石原 慶幸 | 31 | 116 | 0.213 | 4 | 21 | |
2004 | 石原 慶幸 | 31 | 135 | 0.288 | 6 | 35 | |
2005 | 倉 義和 | 40 | 109 | 0.210 | 4 | 22 | |
2006 | 倉 義和 | 40 | 84 | 0.239 | 5 | 14 | |
2007 | 倉 義和 | 40 | 82 | 0.274 | 7 | 25 | |
2008 | 石原 慶幸 | 31 | 123 | 0.265 | 9 | 50 | |
2009 | 石原 慶幸 | 31 | 124 | 0.206 | 10 | 37 | |
2010 | 石原 慶幸 | 31 | 122 | 0.263 | 8 | 41 | |
2011 | 石原 慶幸 | 31 | 110 | 0.201 | 4 | 27 | |
2012 | 石原 慶幸 | 31 | 77 | 0.240 | 1 | 22 | |
2013 | 石原 慶幸 | 31 | 121 | 0.248 | 7 | 35 | |
2014 | 會澤 翼 | 64 | 65 | 0.307 | 10 | 30 | |
2015 | 會澤 翼 | 27 | 93 | 0.246 | 6 | 30 | |
2016 | 石原 慶幸 | 31 | 106 | 0.202 | 0 | 17 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2017 | 會澤 翼 | 27 | 106 | 0.275 | 6 | 35 | ベストナイン |
2018 | 會澤 翼 | 27 | 106 | 0.305 | 13 | 42 | ベストナイン |
2019 | 會澤 翼 | 27 | 126 | 0.277 | 12 | 63 | ベストナイン |
2020 | 會澤 翼 | 27 | 79 | 0.266 | 7 | 36 |
1950年代
50年代は5人の選手がレギュラーとして起用されました。球団創設1年目の50年は社会人野球から復帰した阪田清治選手が122試合に出場しましたが、翌年はファーストから辻井弘選手が回りました。
52年からの5年間は大洋でレギュラー経験のある門前眞佐人選手が守り、53年に2桁本塁打を記録しました。56年限りで門前選手が引退すると57年は川原政数選手が起用され、58年からは前年に南海から加入していた田中尊選手がポジションを掴み、60年代後半までレギュラーとして活躍しました。
1960年代
田中選手は67年以外の年でレギュラーを務め、毎年コンスタントに出場を続けましたが、打撃成績は打率2割付近の年が多くありました。
67年は久保祥次選手が田中選手を上回る106試合に出場し、8本塁打を放ちました。
1970年代
70年代前半は久保選手と68年のドラフト2位で入団した水沼四郎選手がレギュラー争いを繰り広げました。74年は2人よりも打撃の良かった西沢正次選手が起用され、打率.267を記録しましたが、翌年は太平洋にトレードで移籍しました。
久保選手も73年に近鉄に移籍しており、75年からは残った水沼選手が起用され、76年には11本塁打、79年に打率.277を記録する等打撃が向上しました。
1980年代
水沼選手は81年まで務め、82年からは「ささやき戦術」の使い手であった達川光男選手が台頭しました。相手打者に話しかけ、ペースを乱させることが多くあり、相手球団が対策を練るほどでした。
レギュラー3年目の84年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、86年と88年にも同時受賞する等、リーグを代表するキャッチャーの1人でした。
1990年代
92年限りで引退した達川選手に代わって起用されたのは、南海から87年シーズン途中に加入していた西山秀二選手でした。89年に2試合に出場すると徐々に出場試合数は増えていき、レギュラーを務めた93年に初めて100試合以上の出場を果たしました。
95年と98年は90年のドラフト1位で法政大学から入団した瀬戸輝信選手にポジションを譲りましたが、90年代で2度ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する等の活躍を見せました。96年に記録した打率.314は、規定打席に到達した広島カープのキャッチャーの中で最も高い打率です。
2000年代
西山選手は引き続きマスクを被りますが、年齢による衰えは隠せず、02年は木村一善選手がメインで起用され、03年はプロ2年目の石原慶幸選手が起用されました。
石原選手はレギュラーを掴み、04年に135試合に出場しましたが、翌年はオープン戦で骨折して代わりに倉義和選手が起用されました。06年と07年は石原選手との併用となりましたが、自己最高となる打率.274、7本塁打を記録しました。
08年以降は再び石原選手がメインで起用されるようになり、09年に広島のキャッチャーとしては水沼選手以来33年ぶりとなる2桁本塁打を達成しました。
2010年代
高いキャッチング技術で扇の要を担っていた石原選手ですが、10年代半ば頃からバッティングに定評のあった會澤翼選手にスタメンマスクを譲る機会が増えていきました。その會澤選手は徐々に出場試合数を増やしていき、チームの3連覇が始まった16年は石原選手の後塵を拝しましたが、17年にベストナインを受賞し、18年にも打率.305、13本塁打の好成績でベストナインを受賞、19年まで3年連続で受賞しました。
20年は怪我の影響もあり、出場試合数は100試合を切りましたが、21年は巻き返しに期待です。
広島カープの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は會澤翼選手の1億8000万円!
ここで広島カープの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2020 | 會澤 翼 | 1億8000万円 | 0.266 | 79 |
2 | 2016 | 石原 慶幸 | 1億0000万円 | 0.202 | 106 |
3 | 1997 | 西山 秀二 | 8000万円 | 0.205 | 103 |
4 | 1992 | 達川 光男 | 6600万円 | 0.233 | 100 |
5 | 1998 | 瀬戸 輝信 | 2800万円 | 0.233 | 120 |
数々の選手が守りについた広島カープのキャッチャーですが、1位は會澤翼選手で、20年の1億8000万円が歴代最高年俸でした。チームの3連覇に大きく貢献し、19年に取得したFA権を行使せずに残留して結んだ契約により最高年俸となりました。20年は出場試合が減り、満足いくシーズンとはなりませんでした。
2位は石原慶幸選手で、長い年数レギュラーを務め、14年に1億円に到達しました。1億円の年俸でレギュラーを務めた16年はチームの優勝に貢献し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せました。
3位は西山秀二選手の8000万円です。達川光男選手引退後の93年にレギュラーを掴み、96年には打率.314を記録して、ゴールデングラブ賞を受賞した守備面だけでなく打撃面でもチームを牽引し、ベストナインを受賞しました。自己最高年俸で迎えた97年は打撃不振に陥り、苦しいシーズンでした。
4位は92年の達川光男選手。6600万円でこの年は100試合に出場していましたが、突然引退を決意しました。通算ではベストナインとゴールデングラブ賞を3回ずつ受賞しており、徐々に年俸は上がっていきました。
5位にランクインしたのは瀬戸輝信選手でした。91年のドラフト1位で入団し、西山選手と激しいレギュラー争いを繰り広げました。レギュラーとして出場した98年の年俸は2800万円で、自己最多の120試合に出場しました。
私が思う歴代最強の広島カープのキャッチャー(捕手)は達川光男選手!
多くの選手が広島カープの扇の要を務めてファンを魅了してきましたが、歴代最強のキャッチャーは達川光男選手だと考えます。
ここで、達川光男選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1955年7月13日
身長:177cm
出身:広島県
最終学歴:東洋大学
血液型:O型
1955年(昭和30年)7月13日生まれ、広島県広島市出身。広島商業高校から東洋大学に進み、1977年のドラフト会議で4位指名を受けて広島カープに入団しました。
現役通算15年で1334試合に出場して打率.246、51本塁打、358打点を記録しています。1年目から一軍出場を経験し、打撃に難はありましたが、リード面を評価されてプロ5年目にレギュラーを掴みました。
相手打者に話しかけて集中力を削ぐ「ささやき戦術」を武器とし、対戦相手が対策を練るほどでした。レギュラーを11年務め、ベストナインとゴールデングラブ賞を3回ずつ受賞し、チームのリーグ優勝も3回経験しています。
あたっていないのに何度もデッドボールだと主張したことや試合中にコンタクトレンズを紛失し試合を中断させたこと等、球場を笑いの渦に巻き込みファンの心を魅了し続けた達川選手が広島カープ歴代最強のキャッチャーではないでしょうか。
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広島カープの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識
広島カープの歴代エースの好投の陰には「専属捕手」の存在がありました。
00年代に石原慶幸選手とレギュラー争いを繰り広げた倉義和選手は、メジャーリーグ挑戦前の黒田博樹投手とバッテリーを組むことが多く、黒田投手退団後はサウスポーの高橋建投手の先発時にマスクを被りました。
石原選手は10年代後半になると會澤翼選手にポジションを譲りましたが、左のエースとして活躍したクリス・ジョンソン投手の登板時にはスタメン出場し、ジョンソン投手の好投に貢献しました。
まとめ
・広島カープのキャッチャーは水沼四郎選手や達川光男選手、石原慶幸選手が長くレギュラーを務めた。
・達川選手が3回ずつ、西山選手が2回ずつベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、會澤翼選手が3年連続でベストナインを受賞している。
・歴代で一番年俸が高かったのは、會澤選手の1億8000万円。
・達川選手は実績だけでなく、ファンを魅了したエピソードを多数持つ広島カープ歴代最強のキャッチャーである。
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