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福岡ソフトバンクホークスの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

球史に名を残す偉大な強打者が誕生した福岡ソフトバンクホークスの歴代ファースト。

今回は福岡ソフトバンクホークスのファーストを守った歴代選手の成績や年俸などを調べ、福岡ソフトバンクホークス歴代最強のファーストについて紹介します。

南海ホークスから現在の福岡ソフトバンクホークスまで、数々の名選手がプレーした歴史を一緒に振り返ってみましょう!!

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福岡ソフトバンクホークスの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にファーストを守った選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 飯田 徳治 23 120 0.327 23 97 ベストナイン
1951 飯田 徳治 23 100 0.296 15 87 打点王、ベストナイン
1952 飯田 徳治 23 121 0.323 18 86 打点王、最多安打、ベストナイン
1953 飯田 徳治 23 120 0.296 12 73 ベストナイン
1954 飯田 徳治 23 140 0.281 18 74 ベストナイン
1955 杉山 光平 29 140 0.278 16 90
1956 長谷川繁雄 26 125 0.282 4 37
1957 寺田 陽介 3 129 0.234 13 39
1958 寺田 陽介 3 112 0.224 9 41
1959 寺田 陽介 3 129 0.261 13 61
1960 寺田 陽介 3 124 0.249 10 52
1961 寺田 陽介 3 126 0.256 8 54
1962 ハドリ 4 110 0.295 11 56
1963 ハドリ 4 137 0.263 30 84
1964 ハドリ 4 149 0.238 29 70
1965 ハドリ 4 131 0.279 29 86
1966 ハドリ 4 127 0.213 18 53
1967 ハドリ 4 127 0.242 14 47
1968 キーオ 4 134 0.231 17 46
1969 トーマス 4 109 0.263 12 50
1970 ジョーンズ 4 128 0.244 33 88
1971 ジョーンズ 4 125 0.231 35 73
1972 ジョーンズ 4 126 0.292 32 70
1973 ジョーンズ 4 126 0.244 32 76 ダイヤモンドグラブ賞
1974 パーカー 6 127 0.301 14 59 ダイヤモンドグラブ賞
1975 林 俊宏 28 79 0.224 4 21
1976 柏原 純一 9 124 0.260 16 55
1977 ピアース 4 95 0.227 13 39
1978 小田 義人 9 102 0.235 5 25
1979 片平 晋作 25 123 0.329 16 68
1980 片平 晋作 25 114 0.266 21 66
1981 片平 晋作 25 96 0.272 8 35
1982 岡本 圭右 27 74 0.229 3 31
1983 池之上 格 15 120 0.265 7 32
1984 ナイマン 4 125 0.267 29 82
1985 ナイマン 4 121 0.285 26 78
1986 デビッド 61 130 0.285 25 74
1987 デビッド 9 124 0.251 17 68
1988 河埜 敬幸 8 121 0.276 5 18
1989 アップショー 7 123 0.255 33 80
1990 アップショー 7 51 0.220 6 17
1991 ラガ 44 124 0.236 32 81
1992 ブーマー 23 129 0.271 26 97 打点王
1993 藤本 博史 5 129 0.239 13 53
1994 トラックスラー 39 129 0.263 15 62
1995 藤本 博史 5 119 0.264 11 58
1996 藤本 博史 5 101 0.211 6 23
1997 柳田 聖人 4 110 0.240 1 30
1998 ロペス 44 134 0.294 17 68
1999 松中 信彦 26 126 0.268 23 71
2000 松中 信彦 3 130 0.312 33 106 ベストナイン
2001 松中 信彦 3 130 0.334 36 122
2002 松中 信彦 3 136 0.260 28 83
2003 松中 信彦 3 135 0.324 30 123 打点王、ベストナイン
2004 松中 信彦 3 130 0.358 44 120 首位打者、本塁打王、打点王、最高出塁率、最多安打、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2005 ズレータ 42 131 0.319 43 99 ベストナイン
2006 ズレータ 42 126 0.281 29 91
2007 松中 信彦 3 123 0.266 15 68
2008 小久保裕紀 9 106 0.253 20 56
2009 小久保裕紀 9 144 0.266 18 81
2010 小久保裕紀 9 112 0.279 15 68 ゴールデングラブ賞
2011 小久保裕紀 9 98 0.269 10 48 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2012 小久保裕紀 9 103 0.239 4 34
2013 ラヘア 35 111 0.230 16 57
2014 中村 晃 60 143 0.308 4 61 最多安打
2015 明石 健志 36 115 0.263 3 30
2016 内川 聖一 1 141 0.304 18 106
2017 内川 聖一 1 73 0.297 12 50
2018 内川 聖一 1 71 0.242 8 30
2019 内川 聖一 1 137 0.256 12 41 ゴールデングラブ賞
2020 中村 晃 7 100 0.271 6 50 ゴールデングラブ賞
2021 中村 晃 7 139 0.245 8 56 ゴールデングラブ賞
2022 中村 晃 7 114 0.253 7 51
 
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1950年代

47年に入団した飯田徳治選手は54年までファーストのレギュラーを務め、50年から5年連続のベストナイン、51年と52年は2年連続で打点王を獲得する活躍を見せました。守っても捕球技術に優れ、攻守にわたってチームを牽引しました。

飯田選手がセンターにポジションを移すと55年は杉山光平選手が140試合に出場、56年は法政大学から入団したルーキーの長谷川繫雄選手が主に5番打者として出場しました。

長谷川選手が外野に回った57年からは安定した守備を披露していた寺田陽介選手が主に起用されるようになりました。

1960年代

寺田選手は61年までレギュラーを務めましたが、62年に中日にトレードで移籍し、チームはメジャーリーグでプレー経験のあったケント・ハドリ選手を迎え入れました。

来日1年目は11本塁打に終わりましたが、翌年以降は長打力を見せつけ、63年は30本塁打、64年と65年は29本塁打を放ち、66年には外国人選手としてプロ野球初となる通算100本塁打を達成しました。

ハドリ選手は67年限りで退団し、翌年はマーティー・キーオ選手、キーオ選手が1年でチームを去るとリー・トーマス選手が代わりに入団しましたが、こちらも1年で退団となりました。

1970年代

ハドリ選手以降、外国人選手が思うような活躍を見せていませんでしたが、70年に入団したクラレンス・ジョーンズ選手は1年目から本塁打を量産し、74年に近鉄に移籍するまで4年間で132本塁打を記録、守りでも73年にダイヤモンドグラブ賞を受賞しました。

74年はウェス・パーカー選手が打率.301を記録しましたが、同年オフに退団、75年と76年は久しぶりに日本人選手が起用され、ピッチャーから転向して5年目の林俊宏選手柏原純一選手と併用されました。

77年に入団したジャック・ピアース選手は13本塁打を放ち残留しましたが、翌年のキャンプ中に構想外となり帰国、77年オフに日本ハムからトレードで加入した小田義人選手、外野で頭角を現していた片平晋作選手が起用されるようになり、片平選手は79年に打率.329のハイアベレージを記録しました。

1980年代

片平選手が82年のシーズン前に西武にトレードで移籍し、82年にレギュラーを務めたのはピッチャーから転向していた岡本圭右選手でした。翌年も同じくピッチャーから転向した池之上格選手が務め、池之上選手がサードで起用されることが多くなった84年はクリス・ナイマン選手が入団し、29本塁打を放ちました。

ナイマン選手は85年も26本塁打を記録してクリーンアップの一角として活躍しましたが、チームはデビッド・ホステトラー選手を獲得してナイマン選手は退団しました。

デビッド選手は2年間レギュラーを務めましたが、87年シーズン限りで退団、88年はセンターやセカンドでレギュラー経験のあった河埜敬幸選手が起用されました。

福岡に移り、チーム名もダイエーホークスに変わった89年はウィリー・アップショー選手が33本塁打を記録しました。

1990年代

アップショー選手は90年もレギュラーを務めましたが、シーズン途中に帰国してそのまま退団、91年はマイク・ラガ選手がチーム最多となる32本塁打を放ちました。翌93年は阪急で三冠王を獲得した経験があるベテランのブーマー・ウェルズ選手が入団し、打点王を獲得しましたが、1年で退団しました。

93年は藤本博史選手がサードから回り、94年は主にセカンドで起用されましたが、95年からの2年間は再びファーストを務めました。藤本選手がセカンドを務めた94年はブライアン・トラックスラー選手が守り、129試合に出場しました。

97年は95年オフにトレードでヤクルトから復帰していた柳田聖人選手、98年は広島で2年連続打点王を獲得する等、中心打者として活躍したルイス・ロペス選手が加入し、5番打者として勝負強さを発揮しました。

99年にレギュラーに抜擢されたのはプロ3年目の期待のスラッガー、松中信彦選手でした。

2000年代

松中選手は00年に33本塁打106打点でベストナインを受賞すると01年も打率.334、36本塁打122打点を記録して打線を牽引し、03年も打点王を獲得する活躍を見せました。そして04年には打率.358、44本塁打、120打点をマークして平成唯一となる三冠王に輝きMVPも受賞しました。

松中選手が指名打者や外野で出場していた05年と06年はフリオ・ズレータ選手が守り、05年に43本塁打99打点でベストナインを受賞しました。

07年は松中選手、再び松中選手が指名打者での出場が多くなった08年は前年にサードを守っていた小久保裕紀選手が起用されました。

2010年代

10年にゴールデングラブ賞、11年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した小久保選手は引退した12年までレギュラーを務め、小久保選手の後に左打ちのブライアン・ラヘア選手が起用されましたが、左ピッチャーに弱く、1年限りで退団しました。

14年は前年ライトを務めた中村晃選手が守って最多安打のタイトルを獲得、中村選手が外野に戻った15年は明石健志選手が務めました。

16年からはヒットメーカー・内川聖一選手がレフトからファーストに移り、クリーンアップの一角として打線を引っ張りました。打つだけでなく19年には守備率10割を記録してゴールデングラブ賞を獲得しましたが、20年は大不振でレギュラーを失い、代わって中村選手が起用され、20年と21年にゴールデングラブ賞を獲得しました。

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福岡ソフトバンクホークス歴代ファースト(一塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸は松中信彦選手の5億円!

ここでは福岡ソフトバンクホークスの歴代ファーストを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はファーストのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2007 松中 信彦 5億0000万円 0.266 123
2 2018 内川 聖一 4億0000万円 0.242 71
3 2008 小久保 裕紀 3億0000万円 0.253 106
4 2006 F.ズレータ 2億5000万円 0.281 126
5 2020 中村 晃 2億4000万円 0.271 100

ここでは福岡ソフトバンクホークスの歴代ファーストを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はファーストのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

打線の中軸を担い、チームを牽引した選手が多く守った福岡ソフトバンクホークスのファーストですが、1位は平成唯一の三冠王獲得者の松中信彦選手でした。毎年コンスタントに成績を残し続けたスラッガーは、07年に年俸5億円でファーストのレギュラーを務めました。

2位は18年に4億円でプレーした内川聖一選手で、この年はレフトから移って3年目のシーズンでした。球界を代表するヒットメーカーは、前年に続いて出場試合数が100試合を切り、苦しいシーズンになりました。

3位は08年の小久保裕紀選手3億円です。06年オフに巨人からFAで復帰し、07年はサードを守りましたが、08年からはファーストを務めました。106試合の出場でしたが、本塁打は20本を記録しました。

4位は06年のフリオ・ズレータ選手。前年に43本塁打99打点でベストナインを受賞し、年俸は1億5000万円アップの2億5000万円になりました。パナマの怪人は06年も29本塁打を放ち、パワーを見せつけました。

5位にランクインしたのは中村晃選手でした。外野も守れる安打製造機は19年から年俸2億4000万円でプレーし、20年からファーストでの出場が多くなっています。20年から2年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、攻守両面での活躍が今後も期待されています。

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私が思う最強の福岡ソフトバンクホークス歴代ファースト(一塁手)は松中信彦選手!

打線の中心を担った選手が多くいた福岡ソフトバンクホークスのファーストですが、歴代最強のファーストは松中信彦選手だと考えます。

ここで、松中信彦選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球評論家
生年月日:1973年12月26日
身長:183cm
出身:熊本県
最終学歴:八代第一高校
血液型:B型

1973年(昭和48年)12月26日生まれ、熊本県八代市出身。八代第一高校から社会人の新日本製鐵君津に進み、96年のドラフト会議で逆指名選手として当時の福岡ダイエーホークスに2位で入団しました。

プロ入り1年目は20試合、2年目は34試合の出場に終わりましたが、3年目の99年にファーストのレギュラーを掴むと翌年には打率.312、33本塁打、106打点を記録してベストナインを受賞しました。

03年に123打点で打点王を獲得すると翌年も120打点を記録、打率.358、44本塁打と打撃三部門で好成績を残し、平成唯一となる三冠王に輝きました。

左ピッチャーを苦にしない確実性の高い打撃技術を持ち、プロ通算19年間で打率.296、352本塁打、1168打点を記録、首位打者2回、本塁打王2回、打点王を3回獲得し、強力ホークス打線の4番を長く務めた松中信彦選手が福岡ソフトバンクホークス史上最強のファーストだと考えます。

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福岡ソフトバンクホークス歴代ファースト(一塁手)に関する豆知識

松中信彦選手が指名打者とレフトでの出場が多かった04年と05年にファーストを務めたフリオ・ズレータ選手は、04年に43本塁打、05年に29本塁打を放ち、持ち味の長打力を発揮し、ダイヤモンドを一周した後のベンチ前でのパフォーマンスも話題となりました。

侍をイメージした居合い切りをしながら「チョップチョップパナマウンガー(運河)」と叫ぶ姿はファンの心をがっちり掴みました。このパフォーマンスは日本と故郷のパナマをイメージしたもので、日本で成功したズレータ選手は日本とパナマを繋ぐ架け橋的存在でもありました。

まとめ

・ケント・ハドリ選手や松中信彦選手が長くレギュラーとして活躍した。

・飯田徳治選手や松中選手が打撃主要タイトルを複数回獲得している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、07年シーズンの松中選手の5億円。

・松中選手は4番としてチームを牽引し、確実性と長打力、勝負強さを兼ね備え、平成唯一の三冠王に輝いた福岡ソフトバンクホークス歴代最強のファーストである。

 

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