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福岡ソフトバンクホークスの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

 

福岡の地で活動し、常勝軍団としてプロ野球を牽引している福岡ソフトバンクホークス。

今回はその福岡ソフトバンクホークスの歴代サードをリサーチし、これまで守備についてきた歴代選手の年俸や成績についてまとめ、歴代最強の選手をご紹介します。

ファンを熱狂させるプレーを見せてきた選手たちの輝かしい実績を見ていきましょう!!

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福岡ソフトバンクホークスの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にサードを守った選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 黒田 一博 8 111 0.257 9 46
1951 蔭山 和夫 12 104 0.315 6 28 新人王、ベストナイン
1952 蔭山 和夫 12 121 0.256 9 39 ベストナイン
1953 蔭山 和夫 12 112 0.303 8 38
1954 蔭山 和夫 12 134 0.263 7 47
1955 森下 正夫 16 133 0.239 6 37 盗塁王
1956 森下 正夫 16 148 0.284 6 61
1957 蔭山 和夫 12 81 0.221 3 20
1958 蔭山 和夫 12 105 0.224 2 18
1959 半田 春夫 8 122 0.279 5 43
1960 森下 整鎮 16 134 0.275 5 45
1961 ピート 1 103 0.292 12 42
1962 ピート 1 124 0.290 22 75
1963 ピート 1 130 0.241 24 69
1964 森下 整鎮 16 139 0.240 3 40
1965 森下 整鎮 16 106 0.201 3 21
1966 国貞 泰汎 6 130 0.264 7 39 ベストナイン
1967 国貞 泰汎 6 129 0.274 11 45
1968 国貞 泰汎 6 134 0.276 8 54 ベストナイン
1969 国貞 泰汎 6 127 0.263 9 49
1970 富田 勝 5 130 0.287 23 81
1971 高橋 博 25 109 0.265 9 34
1972 富田 勝 5 85 0.247 5 31
1973 藤原 満 7 128 0.263 10 44
1974 藤原 満 7 76 0.226 4 20
1975 藤原 満 7 130 0.281 4 40
1976 藤原 満 7 130 0.302 8 48 最多安打、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1977 藤原 満 7 102 0.300 4 39
1978 藤原 満 7 99 0.253 2 15
1979 藤原 満 7 124 0.295 7 62
1980 藤原 満 7 119 0.300 8 37
1981 藤原 満 7 127 0.300 3 33 最多安打、ダイヤモンドグラブ賞
1982 藤原 満 7 125 0.262 3 36
1983 久保寺雄二 33 123 0.263 11 45
1984 立石 充男 0 74 0.286 7 22
1985 池之上 格 15 100 0.301 2 35
1986 山村 善則 5 115 0.258 7 34
1987 ハモンド 4 115 0.274 9 29
1988 藤本 博史 39 108 0.201 7 28
1989 藤本 博史 39 77 0.253 13 50
1990 藤本 博史 5 112 0.211 12 61
1991 藤本 博史 5 101 0.266 11 30
1992 藤本 博史 5 130 0.253 20 56
1993 森脇 浩司 4 98 0.210 1 12
1994 松永 浩美 3 116 0.314 8 55 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1995 松永 浩美 3 87 0.238 3 21
1996 湯上谷竑志 6 86 0.270 2 20
1997 湯上谷竑志 6 101 0.301 5 28
1998 柳田 聖人 4 124 0.251 0 35
1999 小久保裕紀 9 130 0.234 24 77
2000 小久保裕紀 9 125 0.288 31 105
2001 小久保裕紀 9 138 0.290 44 123
2002 小久保裕紀 9 136 0.292 32 89
2003 川﨑 宗則 52 133 0.294 2 51
2004 本間 満 10 88 0.290 2 24
2005 バティスタ 77 135 0.263 27 90
2006 カブレラ 30 90 0.260 8 50
2007 小久保裕紀 9 124 0.277 25 82
2008 松田 宣浩 5 142 0.279 17 63
2009 森本 学 32 95 0.256 0 20
2010 松田 宣浩 5 113 0.255 19 71
2011 松田 宣浩 5 144 0.282 25 83 ゴールデングラブ賞
2012 松田 宣浩 5 95 0.300 9 56
2013 松田 宣浩 5 144 0.279 20 90 ゴールデングラブ賞
2014 松田 宣浩 5 101 0.301 18 56 ゴールデングラブ賞
2015 松田 宣浩 5 143 0.287 35 94 ゴールデングラブ賞
2016 松田 宣浩 5 143 0.259 27 85 ゴールデングラブ賞
2017 松田 宣浩 5 143 0.264 24 71 ゴールデングラブ賞
2018 松田 宣浩 5 143 0.248 32 82 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2019 松田 宣浩 5 143 0.260 30 76 ゴールデングラブ賞
2020 松田 宣浩 5 116 0.228 13 46
2021 松田 宣浩 5 115 0.234 14 47
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1950年代

50年代は4人の選手が守り、50年は前年に入団した黒田一博選手が務めました。黒田選手は翌年センターに回り、51年からは前年にセカンドを務めていた蔭山和夫選手が起用されました。

蔭山選手は俊足を生かして三塁打を量産し、51年は盗塁王の獲得はなりませんでしたが、42盗塁を記録、新人王とベストナインを受賞しました。翌年もベストナインを受賞する活躍を見せ、50年代のホークス内野陣を牽引しました。同時期にサードで起用されたのは森下正夫選手で、55年に盗塁王を獲得しました。

蔭山選手が怪我で欠場することが多くなり、森下選手も怪我からの復活を目指していた59年はハワイ出身の半田春夫選手が主に守り、打順は2番を務めました。

1960年代

半田選手がセカンドに回った60年は森下選手が再び務め、翌年に今度は森下選手がセカンドに移るとホークス初の外国人野手としてバディ・ピート選手が入団し、63年までプレーしました。

64年からの2年間は森下選手が戻り、66年にポジションを掴んだのはセカンドでも起用されていた国貞泰汎選手でした。66年に初めて規定打席に到達し、ベストナインを受賞、68年にもベストナインを獲得しましたが、69年オフにトレードで故郷・広島へ移籍しました。

1970年代

移籍した国貞選手とポジションを争っていた富田勝選手は70年に23本塁打を記録、71年はレフトに回りましたが、72年に再びサードを務めました。

富田選手がレフトを守った71年は高橋博選手、富田選手が巨人に移籍した73年からは藤原満選手が務め、76年にベストナインとダイヤモンドグラブ賞を受賞し、74年を除いて毎年100安打以上を記録しました。

1980年代

藤原選手は82年も2番サードで出場を続け、122安打を放ちましたがこの年限りで引退し、83年は久保寺雄二選手がレフトから回り、84年は立石充男選手が主に起用されました。

85年はファーストでレギュラー経験のあった池之上格選手、翌年はレフトでレギュラーを務めたことがあった山村善則選手が115試合に出場しました。

87年に起用されたのはこの年入団したスティーブ・ハモンド選手で、打撃を期待されていましたが思ったような成績は残せず、守備面でもエラーを重ね、同年限りで退団しました。

88年に抜擢されたのは高卒入団7年目の藤本博史選手でした。前年までシーズン最多出場は26試合でしたが、88年は108試合と大きく出場試合数を伸ばし、翌年は初の2桁本塁打を記録しました。

1990年代

藤本選手はクリーンアップの後を打ち、92年に自己最多となる20本塁打を放ちました。93年に藤本選手がファーストに回ると内野守備に定評のあった森脇浩司選手、94年からはプロ野球史上初めてFAで他球団に入団した選手となった松永浩美選手が務め、移籍1年目の94年は打率.314を記録して、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

松永選手は95年から徐々に成績を落とし、代わってショートやセカンドでレギュラーを務めたことがあり、ユーティリティプレーヤーの湯上谷竑志選手が起用されました。

98年はセカンドを務めていた小久保裕紀選手がサードに回る予定でしたが、不祥事と怪我により出場できず、87年のドラフト会議で3位指名を受けて南海ホークスに入団し、93年オフにヤクルトへトレード、95年オフにトレードで再びホークスのユニフォームに袖を通していた柳田聖人選手が穴を埋めました。

小久保選手は翌年130試合に出場して24本塁打を記録しました。

2000年代

小久保選手は00年に31本塁打、01年に44本塁打を放ち、チームに30本塁打以上が4人いた「ダイハード打線」の中心を務めました。02年も32本塁打を記録してスラッガーとして活躍していましたが、翌年はオープン戦で本塁にスライディングした際に相手キャッチャーと衝突し、右膝前十字靭帯断裂等の大怪我を負いました。

その03年は後にショートのレギュラーを長く務めることになる川﨑宗則選手がサードのレギュラーとして出場を重ね、川﨑選手がショートに移るとプロ10年目の本間満選手がレギュラーを獲得し、3割近い打率を残しました。

05年に入団したメジャーリーグで活躍した実績のあったトニー・バティスタ選手は135試合に出場して27本塁打を記録して実力を見せましたが自由契約となり、翌年は前年レフトを守っていたホルベルト・カブレラ選手が務めました。

07年は03年オフに巨人へ移籍していた小久保選手がFAで復帰し、ファーストに回った08年は亜細亜大学から希望入団枠で入団し、3年目を迎えていた松田宣浩選手が142試合に出場しました。翌年は2度の骨折による離脱があり、森本学選手が代わりを務めました。

2010年代

怪我から復帰した松田選手は10年以降がっちりポジションを掴み、11年に初めてゴールデングラブ賞を受賞、13年から7年連続で輝きました。打撃面でも15年に35本塁打、18年に32本塁打、19年に30本塁打を放つ等、主にクリーンアップの後を打つ強打者として活躍し、右拳を高々と上げ「熱男」と叫ぶパフォーマンスでファンの心をがっちり掴んでいます。

WBCにも2回出場しており、日本を代表するサードの1人になりましたが、22年限りでホークスのユニフォームを脱ぐことが決まっています。

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福岡ソフトバンクホークスの歴代サード(三塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸はトニー・バティスタ選手の5億2000万円!

ここでは福岡ソフトバンクホークスの歴代サードを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はサードのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2005 T.バティスタ 5億2000万円 0.263 135
2 2020 松田 宣浩 4億5000万円 0.228 116
3 2007 小久保 裕紀 3億0000万円 0.277 124
4 1995 松永 浩美 2億2000万円 0.238 87
5 2006 J.カブレラ 1億5000万円 0.26 90

 

いろいろなタイプの選手が務めてきた福岡ソフトバンクホークスのサードですが、1位はメジャーリーグでの実績十分で、05年に入団したトニー・バティスタ選手5億2000万円が最高年俸となりました。期待どおりの長打力を発揮し、135試合で27本塁打を放ちましたが、チーム方針により契約を1年残して退団しました。

2位は4億5000万円松田宣浩選手で、10年代のホークスのホットコーナーを守り続けました。熱いムードメーカーはプレーでもチームを牽引し、13年から7年連続でゴールデングラブ賞を受賞、15年・18年・19年に30本塁打以上を記録して20年に自己最高年俸に到達しました。

3位は07年の小久保裕紀選手です。主力として90年代から活躍し、04年に巨人に移籍しましたが、FAで06年オフに復帰しました。07年は3億円でプレーし、124試合に出場して25本塁打を放ちました。

4位にランクインしたのは95年に2億2000万円でプレーした松永浩美選手です。93年オフにプロ野球史上初めてFAで阪神から加入し、移籍初年度の94年は打率.314をマークしてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞すると年俸は約8000万円アップしました。

5位は06年のホルベルト・カブレラ選手。メジャーリーグ経験を積んだ実力者は05年に入団し、主にレフトでプレーしました。06年はサードで起用されることが多くなり、年俸はダウンしたものの1億5000万円で5位にランクインしました。

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私が思う歴代最強の福岡ソフトバンクホークスのサード(三塁手)は松田宣浩選手!

実力者が揃う福岡ソフトバンクホークスのサードですが、歴代最強のサードは「熱男」こと松田宣浩選手だと考えます。

ここで、松田宣浩選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1983年5月17日
身長:180cm
出身:滋賀県
最終学歴:亜細亜大学
血液型:B型

1983年(昭和58年)5月17日生まれ、滋賀県草津市出身。岐阜県の中京高校から亜細亜大学に進み、05年に希望入団枠にて福岡ソフトバンクホークスに入団しました。

プロ1年目の06年に開幕戦でスタメンに抜擢されましたが、結果が残せず序盤に二軍落ち、翌年は夏場に昇格して一軍で活躍するきっかけを掴みました。08年に142試合に出場、翌年は怪我もあり出場試合数を減らしましたが、10年から21年までレギュラーとしてプレーし、13年と15年から19年までフル出場を果たしました。

21年までのプロ16年間で1867試合に出場、打率.266、301本塁打、984打点を記録しています。打撃主要タイトルの獲得経験はありませんが、シーズン30本塁打以上を3回、100打点に迫るシーズンも複数あり、クリーンアップの後ろを打つポイントゲッターとして活躍しました。打つだけでなく守りでも、強肩と鍛えた捕球技術で8回ゴールデングラブ賞を受賞しました。

本塁打を放ち、ベンチ前でスタンドに向かって右拳を上げ、「熱男」と叫ぶ姿や守りにつくサードのポジションから大きな声で仲間を鼓舞する姿はファン人気も高く、常勝軍団のリーダーとしてチームを牽引しました。

22年は出場機会に恵まれず、シーズン終了直前に福岡ソフトバンクホークスのユニフォームを脱ぐことを発表しましたが、10年代にチームを支え、日本代表でもプレーし、ファンの心を掴むプレーを見せ続けた松田選手が、歴代最強のサードでしょう。

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福岡ソフトバンクホークスの歴代サード(三塁手)に関する豆知識

サードのレギュラーを務めていた主力選手がトレードされるという球界に衝撃を与えた「事件」が03年オフに起こりました。トレードされたのは主砲として活躍していた小久保裕紀選手でした。

95年にセカンドのレギュラーを掴みますが、チーム事情により99年からサードでプレーすることが多くなり、4番打者としてチームを牽引しました。01年には44本塁打、02年も32本塁打を放つ等リーグを代表するスラッガーでしたが、03年のオープン戦で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、復活を目指してリハビリを続け、出場はできなかったもののチームはリーグ優勝・日本一を達成しました。

誰もが04年は小久保選手が戦列に復帰すると思っていた中、優勝パレート翌日に突如巨人へトレード、しかも無償であることが発表されました。元々球団と小久保選手の間では移籍について話し合いがされていたようですが、チームメートは驚きと球団への不満を隠せず、優勝旅行ボイコット等の騒動へ繋がっていきました。

小久保選手は04年から巨人で3年間プレーした後、06年オフにダイエーからソフトバンクへ球団経営が移っていたホークスにFAで入団し、引退までプレーしましたが、「無償トレード」の残したインパクトは大きなものでした。

まとめ

・藤原満選手や松田宣浩選手が長くレギュラーとしてプレーしていた。

・蔭山和夫選手や国貞泰汎選手、松田選手がゴールデングラブ賞を複数回受賞した。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2005年シーズンのトニー・バティスタ選手の5億2000万円。

・松田選手は毎年安定した打撃成績を残し、守備でもゴールデングラブ賞を8回受賞しており、「熱男」の愛称のとおり熱いプレーでファンを熱狂させている福岡ソフトバンクホークス歴代最強のサードである。

 

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