福岡ソフトバンクホークスの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
南海ホークス、ダイエーホークスと名称を変え、現在は福岡ソフトバンクホークスとしてプロ野球界を牽引している常勝軍団。
今回はその福岡ソフトバンクホークスの歴代キャッチャーをリサーチして、福岡ソフトバンクホークス歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。
実力者たちが繋いできた輝かしい歴史を確認していきましょう!!
目次
福岡ソフトバンクホークスの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 筒井 敬三 | 2 | 86 | 0.254 | 3 | 32 | |
1951 | 筒井 敬三 | 2 | 76 | 0.226 | 4 | 13 | |
1952 | 筒井 敬三 | 19 | 93 | 0.255 | 2 | 21 | |
1953 | 松井 淳 | 25 | 107 | 0.273 | 0 | 27 | ベストナイン |
1954 | 松井 淳 | 25 | 127 | 0.253 | 3 | 36 | |
1955 | 松井 淳 | 25 | 109 | 0.245 | 3 | 21 | |
1956 | 野村 克也 | 19 | 129 | 0.252 | 7 | 54 | ベストナイン |
1957 | 野村 克也 | 19 | 132 | 0.302 | 30 | 94 | 本塁打王、ベストナイン |
1958 | 野村 克也 | 19 | 120 | 0.253 | 21 | 79 | ベストナイン |
1959 | 野村 克也 | 19 | 132 | 0.263 | 21 | 78 | ベストナイン |
1960 | 野村 克也 | 19 | 124 | 0.291 | 29 | 88 | ベストナイン |
1961 | 野村 克也 | 19 | 136 | 0.296 | 29 | 89 | 本塁打王、MVP、ベストナイン |
1962 | 野村 克也 | 19 | 133 | 0.309 | 44 | 104 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1963 | 野村 克也 | 19 | 150 | 0.291 | 52 | 135 | 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン |
1964 | 野村 克也 | 19 | 148 | 0.262 | 41 | 115 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1965 | 野村 克也 | 19 | 136 | 0.320 | 42 | 110 | 首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン |
1966 | 野村 克也 | 19 | 133 | 0.312 | 34 | 97 | 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン |
1967 | 野村 克也 | 19 | 133 | 0.305 | 35 | 100 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1968 | 野村 克也 | 19 | 133 | 0.260 | 38 | 99 | 本塁打王、ベストナイン |
1969 | 野村 克也 | 19 | 106 | 0.245 | 22 | 52 | |
1970 | 野村 克也 | 19 | 130 | 0.295 | 42 | 114 | ベストナイン |
1971 | 野村 克也 | 19 | 127 | 0.281 | 29 | 83 | ベストナイン |
1972 | 野村 克也 | 19 | 129 | 0.292 | 35 | 101 | 打点王、ベストナイン |
1973 | 野村 克也 | 19 | 83 | 0.309 | 28 | 96 | MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1974 | 野村 克也 | 19 | 129 | 0.211 | 12 | 45 | |
1975 | 野村 克也 | 19 | 116 | 0.266 | 28 | 92 | ベストナイン |
1976 | 野村 克也 | 19 | 119 | 0.273 | 10 | 57 | ベストナイン |
1977 | 野村 克也 | 19 | 127 | 0.213 | 16 | 58 | |
1978 | 黒田 正宏 | 39 | 117 | 0.184 | 4 | 14 | |
1979 | 伊藤 勲 | 5 | 81 | 0.251 | 10 | 27 | |
1980 | 黒田 正宏 | 39 | 101 | 0.249 | 5 | 21 | |
1981 | 黒田 正宏 | 39 | 79 | 0.206 | 2 | 7 | |
1982 | 香川 伸行 | 2 | 85 | 0.240 | 8 | 31 | |
1983 | 香川 伸行 | 2 | 105 | 0.313 | 15 | 61 | ベストナイン |
1984 | 吉田 博之 | 35 | 84 | 0.267 | 6 | 23 | |
1985 | 吉田 博之 | 35 | 124 | 0.240 | 10 | 43 | |
1986 | 香川 伸行 | 2 | 91 | 0.255 | 13 | 36 | |
1987 | 吉田 博之 | 35 | 98 | 0.274 | 9 | 24 | |
1988 | 吉田 博之 | 35 | 121 | 0.254 | 7 | 41 | |
1989 | 内田 強 | 30 | 87 | 0.259 | 3 | 25 | |
1990 | 内田 強 | 30 | 94 | 0.250 | 2 | 16 | |
1991 | 吉永幸一郎 | 27 | 89 | 0.189 | 6 | 17 | |
1992 | 吉永幸一郎 | 27 | 124 | 0.290 | 11 | 49 | |
1993 | 吉永幸一郎 | 27 | 125 | 0.291 | 12 | 44 | |
1994 | 吉永幸一郎 | 27 | 123 | 0.284 | 19 | 55 | ベストナイン |
1995 | 坊西 浩嗣 | 46 | 54 | 0.167 | 0 | 8 | |
1996 | 吉永幸一郎 | 27 | 124 | 0.295 | 20 | 72 | ベストナイン |
1997 | 城島 健司 | 2 | 120 | 0.308 | 15 | 68 | |
1998 | 城島 健司 | 2 | 122 | 0.251 | 16 | 58 | |
1999 | 城島 健司 | 2 | 135 | 0.306 | 17 | 77 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2000 | 城島 健司 | 2 | 84 | 0.310 | 9 | 50 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2001 | 城島 健司 | 2 | 140 | 0.258 | 31 | 95 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2002 | 城島 健司 | 2 | 115 | 0.293 | 25 | 74 | ゴールデングラブ賞 |
2003 | 城島 健司 | 2 | 140 | 0.330 | 34 | 119 | MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2004 | 城島 健司 | 2 | 116 | 0.338 | 36 | 91 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2005 | 城島 健司 | 2 | 116 | 0.309 | 24 | 57 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2006 | 山崎 勝己 | 62 | 105 | 0.229 | 1 | 19 | |
2007 | 田上 秀則 | 70 | 91 | 0.264 | 9 | 26 | |
2008 | 高谷 裕亮 | 12 | 62 | 0.180 | 2 | 13 | |
2009 | 田上 秀則 | 70 | 138 | 0.251 | 26 | 80 | ベストナイン |
2010 | 田上 秀則 | 70 | 84 | 0.203 | 7 | 25 | |
2011 | 細川 亨 | 27 | 97 | 0.201 | 1 | 20 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2012 | 細川 亨 | 27 | 92 | 0.157 | 2 | 13 | |
2013 | 細川 亨 | 27 | 112 | 0.194 | 5 | 30 | |
2014 | 細川 亨 | 27 | 112 | 0.190 | 5 | 32 | |
2015 | 高谷 裕亮 | 12 | 93 | 0.175 | 1 | 16 | |
2016 | 鶴岡 慎也 | 33 | 103 | 0.251 | 2 | 26 | |
2017 | 甲斐 拓也 | 62 | 103 | 0.232 | 5 | 18 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2018 | 甲斐 拓也 | 62 | 133 | 0.213 | 7 | 37 | ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP |
2019 | 甲斐 拓也 | 62 | 137 | 0.260 | 11 | 43 | ゴールデングラブ賞 |
2020 | 甲斐 拓也 | 19 | 104 | 0.211 | 11 | 33 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2021 | 甲斐 拓也 | 19 | 143 | 0.227 | 12 | 44 | ゴールデングラブ賞 |
1950年代
チーム名がグレートリングだった46年に入団した筒井敬三選手が52年まで務め、53年からの3年間は5年目の松井淳選手がポジションを掴み、レギュラー1年目の53年はベストナインを受賞しました。
56年にレギュラーとして起用されたのは、後にプロ野球の歴史に名を残すことになる野村克也選手でした。テスト生として入団し、キャッチャーとしては4番手以降の序列でしたが、豊富な練習量で56年からスタメンマスクを被るようになりました。
レギュラー1年目にいきなりベストナインを受賞、翌年は30本塁打を放ち本塁打王に輝きました。50年代は56年以降すべての年でベストナインを受賞し、リーグを代表するキャッチャーへと駆け上がりました。
1960年代
引き続き野村選手が起用され、60年もベストナインを受賞、翌61年は4年ぶりの本塁打王と初のMVPを獲得しました。
ここから野村選手の打撃はますます磨きがかかり、61年を含めて8年連続の本塁打王、62年から6年連続の打点王、65年には戦後初、キャッチャーとして例のなかった三冠王に輝き、南海ホークス黄金時代のチームの中心でした。
1970年代
野村選手は69年オフに兼任監督に就任し、監督・キャッチャー・4番の重責を担うことになりました。タイトル獲得はならなかったものの42本塁打を放ち、監督1年目のチームの最終順位は2位でした。72年は打点王、73年はMVP、70年代のベストナイン受賞は6回と監督を兼任しながら選手として成績を残し続けましたが、77年シーズン終盤に監督を解任され、「野村選手」として同年オフにロッテへ移籍しました。
野村選手の後を黒田正宏選手と伊藤勲選手が務めました。
1980年代
80年と81年は黒田選手が務め、82年に出場機会を増やしたのは「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行選手でした。レギュラー2年目の83年は105試合に出場して打率.313、15本塁打を記録し、ベストナインを受賞、86年にもレギュラーとして起用されました。
同時期にポジションを争ったのは横浜高校出身の吉田博之選手で、84年と85年、87年と88年にマスクを多く被り、89年は前年オフに阪急からトレードでやってきた内田強選手がレギュラーを奪取しました。
1990年代
内田選手は90年もレギュラーを務めますが、翌年からは「打てるキャッチャー」として吉永幸一郎選手が台頭し、92年から3年連続の2桁本塁打を記録、94年と96年はベストナインに選出されました。その吉永選手は怪我等によりファーストや指名打者での出場が多くなり、95年は坊西浩嗣選手が多くスタメンマスクを被りました。
吉永選手が本格的に内野に転向した97年は高卒3年目の城島健司選手がポジション掴み、いきなり打率.308、15本塁打の好成績をマーク、99年には打率.306、17本塁打、77打点を記録してベストナインとゴールデングラブ賞を獲得し、「ダイエーホークス」になってからの初のリーグ優勝と日本一に大きく貢献しました。
2000年代
引き続き城島選手が扇の要を務め、01年までベストナインとゴールデングラブ賞を連続でダブル受賞し、ゴールデングラブ賞は99年から05年まで7年連続で獲得しました。
ベストナインは03年から再び3年連続で受賞しましたが、圧巻だったのはリーグ優勝した03年で、主に5番を打って打率.330、34本塁打、114打点を記録してMVPに選ばれました。
また、翌年も夏にアテネオリンピックの正捕手として出場しながら、打率.338、36本塁打を記録し、名実ともに日本を代表するキャッチャー1人になり、05年シーズン終了後にFAでメジャーリーグ挑戦を表明しました。
城島選手が抜けてからは守備力に長けた山崎勝己選手、強肩が武器で左打ちの高谷裕亮選手、中日を戦力外になり入団したパンチ力のある田上秀則選手が務めました。
田上選手は09年に自己最多の138試合に出場してベストナインを受賞しましたが、レギュラー定着には至りませんでした。
2010年代
田上選手は10年もメインで起用されましたが、故障で攻守に精彩を欠き、チームはオフに西武でレギュラーを務めていた細川亨選手をFAで獲得、細川選手は移籍1年目にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、14年までレギュラーを務めました。
15年はキャンプ中に負傷し、怪我が続く1年となり高谷選手が93試合に出場、翌16年は日本ハムから13年オフにFAで加入していた鹿児島出身の鶴岡慎也選手がホークス入団後、最多となる103試合に出場しました。
17年から現在までレギュラーとして起用されているのは育成出身の甲斐拓也選手で、「甲斐キャノン」と呼ばれる強肩で毎年高い盗塁阻止率を記録しています。レギュラー1年目の17年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、ゴールデングラブ賞は21年まで5年連続で受賞しています。
18年の広島との日本シリーズでは新記録となる6連続盗塁阻止で広島の機動力を封じ、打率.143だったものの日本シリーズMVPを受賞、この受賞は育成出身として初の受賞でした。
21年の東京オリンピックでも日本代表の正捕手としてプレーし、準々決勝のアメリカ戦でのサヨナラタイムリーは記憶に新しく、日本を代表するキャッチャーとしてホークス投手陣を牽引しています。
福岡ソフトバンクホークスの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は城島健司選手の5億円!
ここで福岡ソフトバンクホークスの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2005 | 城島 健司 | 5億0000万円 | 0.309 | 116 |
2 | 2022 | 甲斐 拓也 | 2億2000万円 | 0.183 | 127 |
3 | 1996 | 吉永 幸一郎 | 9000万円 | 0.295 | 124 |
4 | 2016 | 鶴岡 慎也 | 7600万円 | 0.251 | 103 |
5 | 2011 | 細川 亨 | 7100万円 | 0.201 | 97 |
※甲斐選手の成績は9月29日時点
強打のキャッチャーや抜群の守備力を誇るキャッチャーがマスクを被った福岡ソフトバンクホークスのキャッチャーのポジションで、歴代1位の年俸に輝いたのは城島健司選手でした。メジャーリーグ挑戦前の最後のシーズンとなった05年は前年から1億円アップの5億円でプレーし、打率.309、24本塁打、57打点を記録して3年連続6回目のベストナインと7年連続のゴールデングラブ賞を受賞しました。
2位は甲斐拓也選手で、育成からオリンピック代表のレギュラーキャッチャーまで上り詰めた実力者は17年からレギュラーを務め、22年シーズンは2億2000万円でプレーしており、今年も強肩を武器に活躍しています。
3位は96年の吉永幸一郎選手の9000万円です。強打の左打ちキャッチャーとして打線の中軸を担うこともあり、94年にベストナインを受賞、96年はキャッチャーとしての出場は徐々に減っていったものの再びベストナインを獲得しました。
4位は16年の鶴岡慎也選手。13年オフに日本ハムからFAで入団後、初めてレギュラー核として出場を重ねた16年の7600万円がランクインしました。移籍後最多となる103試合に出場し、地元・九州で活躍する姿を見せました。
5位にランクインしたのは細川亨選手でした。西武からFAで加入し、1年目の11年から4年連続でレギュラーを務めました。移籍初年度の年俸7100万円が最高となり、この年はベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。
私が思う歴代最強の福岡ソフトバンクホークスのキャッチャー(捕手)は野村克也選手!
南海ホークスやダイエーホークス、現在の福岡ソフトバンクホークスまで、数々の名キャッチャーが誕生していますが、歴代最強のキャッチャーは南海ホークス時代のレジェンド・野村克也選手だと考えます。
野村克也監督の名言!苦労人の努力やリーダー論など人生哲学に迫る
ここで、野村克也選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1935年6月29日
身長:175cm
出身:京都府
最終学歴:峰山高校
血液型:B型
1935年(昭和10年)6月29日生まれ、広島県竹野郡網野町(現:京丹後市)出身。南海ホークスのテストを受験し、1954年にテスト生として入団しました。
プロ3年目にレギュラーを掴み、いきなりベストナインを受賞すると翌年は30本塁打を放ち本塁打王を獲得、65年にはキャッチャーとしては例のない三冠王に輝きました。観察力と洞察力に優れ、バッティングに活かした結果、61年から8年連続本塁打王を獲得し、63年に放った52本塁打は22年にヤクルトの村上宗隆選手に抜かれるまで歴代6位タイの記録でした。
守備では「ささやき戦術」を用いて相手打者を乱し、巧みなリードでピッチャーを支えました。南海時代は兼任監督も務め、73年にリーグ優勝を果たし、名将への道も歩み始めました。
南海からロッテを経て、西武で現役を引退しましたが、プロ野球史上歴代2位の通算3017試合出場、通算657本塁打、通算1988打点を記録し、その大半を南海時代に記録しました。
プロ野球の歴史に名を残す偉大な名キャッチャー・野村選手が福岡ソフトバンクホークス史上歴代最強のキャッチャーです。
福岡ソフトバンクホークスの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識
福岡ソフトバンクホークスのキャッチャーで野村克也選手の次に成績を残したのは城島健司選手ですが、この2人にはある共通点があります。それは、入団1年目にキャッチャーから内野にコンバートされそうになったことです。
野村選手は肩が弱かったことから1年目の秋季キャンプでファーストへのコンバートを首脳陣から告げられましたが、トレーニングを重ねて肩を強くし、キャッチャーのレギュラーを掴み、後の活躍に繋げました。
城島選手は、ブロッキング能力が低く、ワンバウンド投球を逸らすことがファーストへのコンバートが検討され、当時の王貞治監督もその意向を示していました。しかし、打てるキャッチャーは貴重だったことから二軍で実戦経験を積み、一軍に定着してからも工藤公康投手に鍛えられ、成長を続けて日本人のキャッチャーとして初めてのメジャーリーガーになりました。
まとめ
・福岡ソフトバンクホークスのキャッチャーは野村克也選手や城島健司選手、甲斐拓也選手が長くレギュラーを務めている。
・ベストナイン受賞者も多く輩出している。
・歴代で一番年俸が高かったのは、城島選手の5億円。
・野村選手はキャッチャーとして例のなかった三冠王を獲得し、8年連続本塁打王や6年連続の打点王等、大記録を残した福岡ソフトバンクホークス歴代最強のキャッチャーである。
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