マーティー・ブラウン監督の凄さが分かる名言・語録集!ベース投げで退場など伝説エピソードから人生哲学まで
退場というのは不名誉な記録であり、特に指揮官である監督の退場というのは決して褒められた行為ではありませんが、観客を味方につけ、選手を奮起させるパフォーマンスとして有効な場合もあります。ベースを外して放り投げる抗議で有名になったのが、監督として史上最多となる12回の退場を誇るマーティー・ブラウンです。
ブラウンは広島東洋カープの助っ人として活躍した後、アメリカのマイナーリーグで監督を務め、日米の野球を知る監督として、カープと東北楽天ゴールデンイーグルスを率いました。
退場記録とパフォーマンスで有名なブラウンですが、内野に外野手をひとり入れて、5人で守るという斬新で奇抜な戦術を使い、またアメリカ流の中4日で100球の先発ローテーションを試すなど、何かと話題になる監督でした。
今回は日本人女性と結婚し、日本とアメリカの野球を知るマーティー・ブラウン監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、ベース投げで退場など伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
マーティー・ブラウンについて
まずはマーティー・ブラウンの経歴を追ってみます。
1963年1月23日生まれ、アメリカのオクラホマ州出身。ジョージア大学から1985年のMLBドラフト12巡目でシンシナティ・レッズに指名されて入団。1988年にメジャーに昇格。1990年にはボルチモア・オリオールズ、1991年にはクリーブランド・インディアンスに移籍。しかしメジャーに再昇格はできませんでした。
1992年に広島東洋カープに入団。溌剌としたプレーで注目され、2年目には27本塁打で83打点、打率.276の記録を残します。しかし1994年限りで自由契約となり、1996年にはテキサス・レンジャーズのマイナーに所属しますが、シーズン後に引退。
メジャーリーグ通算35試合に出場。11安打を放ち、打率0.180。日本では通算3年で235安打、50本塁打、打率.256。
その後、MLBのマイナーリーグで監督を務め、2006年にカープの監督に就任。2009年に退任し、2010年にはイーグルスの監督を務めますが、シーズン後に解任となりました。
監督通算5年間で318勝、Bクラス5回。
帰国してマイナーリーグの監督を歴任し、2014年にはワシントン・ナショナルズの環太平洋地域コーディネータに就任しました。
私が選ぶ、マーティー・ブラウンの凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「ポーカーで勝利を確信したときにチップを全部投入して大勝負に出るだろ?それがオール・インさ」
カープの監督に就任して1年目のスローガンが「オール・イン」でした。ポーカーの喩えはちょっとわかりにくいのですが、いわゆる「総力戦」と訳せばわかりやすいと思います。当時のカープの戦力を考えれば、総力戦は当たり前だとはいえ、そう言葉にすることで二軍を含めたすべての選手に活躍のチャンスがあると知らせることになります。
ブラウンが監督に就任する前、カープは前年6位、それ以前は7年間5位が定位置でした。その間にチームを支えた大野豊、正田耕三らが引退し、江藤智、金本知憲がFAでチームを去りました。下位に甘んじるメンタリティを壊し、闘う集団にするためにもブラウンは総力戦を表明したのでしょう。
黒田博樹を投手陣、前田智徳を野手陣のキャプテンとして、投手陣はアメリカ流の中4日でのローテーションを試みましたが、うまく定着はせず、翌年からは日本流のローテーションに変化していきます。
投手のローテーションにはいろいろな意見があると思います。ただアメリカ人であるブラウンだからこそ、思い切って試すことが出来たと言えます。それが令和の時代に変わり、やはりメジャー流のオープナーやブルペンズデイといった投手起用法を、日本人監督が積極的に試せる土台になったのだと思います。
【名言語録その2】
「ベンチで見ていてつらかった」
2009年6月11日の交流戦で、カープは千葉ロッテマリーンズを相手に、23対2の大差で敗れた時の言葉です。あまりの大敗に「今日はラグビーの試合のようだったね」と語ったブラウンですが、「今日の勝者は左翼席のカープファンだった。チームは負けたが、彼らは間違いなく勝者だ」とアウェーで大差でも応援し続けたファンに感謝しています。
監督として最多となる12回の退場を記録したブラウン。面白いのはカープの監督時代に8回退場していますが、その試合は6連勝を含む7勝1敗です。イーグルスの監督時代には4回退場となっていますが2勝2敗。トータルで9勝3敗の成績を残していることです。監督通算での勝率が.454のブラウンからすると素晴らしい勝率です。
ブラウンの退場回数の多さには、自分の退場劇がチームを奮起させ、勝ちに結びつくことを意識していたのではないでしょうか。まさにベンチで座って見ていられないからこそ、あえてベースを投げるようなパフォーマンスをして、勝利のジンクスを引き寄せたのかもしれません。
日本で最後の退場劇はイーグルス監督時代、2010年9月23日のことでしたが、二塁ベースを引き抜こうとしましたが、西武ドームのベースは外れず、思惑通りのパフォーマンスは見せられませんでした。しかしチームはこの日も勝ちました。
【名言語録その3】
「プロ野球チームの監督であることは、社会的責任を伴うものだ」
ファンサービスにとても熱心だったブラウンですが、カープの監督時代に、広島名産のカキがノロウィルス騒動で、またキャンプ地である宮崎の地鶏が鳥インフルエンザの風評被害で、共に需要が落ち込んだことがありました。その時、ブラウンは率先して双方の食品の安全性をアピールするパフォーマンスを見せました。
2011年に東日本大震災が起きた時には、前年まで指揮していたイーグルスとの縁を忘れず、震災孤児のための支援プロジェクトにも参加してくれました。
原爆投下からの復興の一助となった広島カープ、東日本大震災からの復興の支えとなった楽天イーグルス。まさにブラウンが所属した2チームは、共にプロ野球チームが地域のシンボルとして、社会的影響力を持っていることを証明している存在です。同時に監督のみならず選手やスタッフも社会的責任を伴う仕事なのだと、改めて感じさせます。
スポーツや芸能は娯楽ではありますが、それが行われない時代は戦争や震災など、決していい時代ではありません。チーム関係者もファンも、それが普通に行われていることに感謝するとともに、それぞれがそれぞれの責任を負っていることをブラウンは教えてくれました。
名言からの学び
・どんなことにも先駆者はいる。
・退場劇はいつも感情的だとは限らない。
・どんな仕事にも必ず社会的な責任がある。
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