城島健司の凄さが分かる名言・語録集!天才キャッチャーの伝説エピソードから人生哲学まで
「地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった」というのはメジャーリーグで218本塁打を放ち、ヤクルトスワローズでも強烈な印象を残したボブ・ホーナーの言葉ですが、メジャーと日本の野球との違いのひとつに、捕手の役割というものがあると思います。
主に捕手主導による配球に重きが置かれる日本に対し、メジャーでは投手主導の配球で投手が気持ちよく投げられることが大事だと言われます。その両方を経験した唯一の日本人捕手が城島健司です。
強打で主軸を打ち、強肩で盗塁阻止率も高かった城島ですが、日本人捕手としてメジャーに挑戦し、まずまずの打撃成績や盗塁阻止を見せますが、日米の野球観の違いやコミュニケーションの難しさから、わずか4年で挑戦を終えてしまいました。
日本式の配球がどれくらい通用するのか、残念ながらその真価を見ることは叶わなかったというべきでしょうが、城島の名はパイオニアとして記憶されることでしょう。
メジャーで苦労はしましたが、平成時代の最強捕手は誰かと問われれば、セリーグの阿部慎之助、パリーグの城島が最右翼で間違いありません。近年、シーズン打率が2割そこそこ、本塁打5本未満の捕手がほとんどであるのを見ると、3割30本塁打を打てる捕手がいかに貴重かがわかります。
今回はそんな天才キャッチャー城島健司の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
城島健司について
まずは城島健司の経歴を追ってみます。
1976年6月8日生まれ、長崎県佐世保市出身。別府大学付属高校から大学進学のためドラフト指名を拒否しますが、福岡ダイエーホークスは「球界の寝業師」根本陸夫の戦略もあり、1位指名を強行。憧れていた王貞治がホークスの監督に就任することも追い風となって、入団を決めます。
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1996年、入団2年目の9月からスタメン捕手に抜擢。3年目からレギュラーに定着し、打率も3割を越えます。チームも小久保裕紀、松中信彦、井口資仁らの活躍で1999年、ホークスが福岡に移転して初の日本一に輝きます。
2001年には前出の3名と共に、そろって30本塁打以上を放ち、日本人選手4人で30本塁打以上という史上初めての記録を作ります。2003年には打率.330、本塁打34本。打点119という活躍でチームを日本一に導き、MVPになります。
2005年オフにFAで、メジャーリーグのシアトル・マリナーズと契約。2006年にはアメリカンリーグの新人捕手記録となるシーズン146安打を記録します。2007年にも打者として好成績を収め、盗塁阻止率も高かったのですが、投手とのコミュニケーションが十分ではなく、更にケガもあって、2008年からは控え捕手に甘んじることになります。
2009年オフ、マリナーズとの契約はまだ2年残っていましたが、破棄できる権利を行使し、日本に復帰。阪神タイガースに入団し、28本塁打を記録するなど健在ぶりをみせますが、左膝を故障。捕手としての復帰が難しいと判断し、2012年シーズンで引退します。
日本では通算14シーズン、1406安打、244本塁打、打率.296。メジャーでは通算4シーズン、431安打、48本塁打、打率.268。日本でMVP1回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞8回、また盗塁阻止率リーグ1位を4回記録しています。
引退後は釣り師として、ローカル番組に出演しています。
私が選ぶ、城島健司の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「大事なのは、ピッチャーの心まで受け止められる懐の深さ」
プロに入るまでは「僕よりうまいヤツを見たことがなかったし、僕より遠くへ飛ばせるヤツも見たことがなかった」というお山の大将でしたが、プロで小久保裕紀のバッティングや肩のいいキャッチャーがいくらでもいるのを見て「僕が一番じゃない」と思ったそうです。
チームは城島を鍛えるためにコーチとして若菜嘉晴、選手として田村藤夫を獲得し、バックアップします。
城島自身も勉強のためにベテラン投手だった工藤公康や武田一浩の部屋を訪れたそうですが、初めはドアを開けてもくれないため、工藤や武田が他のチームメイトを食事に誘っている時など、さりげなくその近くをうろちょろして見せたそうです。そのうち根負けした二人は色々と教えるようになりました。
「投手が捕手を育てるというけれど、まさにその通りだと思う。また、その逆も言えて、捕手が投手を育てるということも言える」
そのため点差が開いていて若い投手の時には、わざと試すようなこともしたそうです。監督や投手コーチの許可をもらい、配球の勉強をさせたり、相手打者には後々の勝負で打ち取るための伏線となるボールを投げさせたりしたそうです。
「釣りに行った時に撒き餌をするのと一緒」
引退後、釣り師になった城島らしい表現です。
【名言語録その2】
「日本に残って3年たった自分より、メジャーに行って成績を残せなかった3年後の自分の方が絶対上手になっている」
メジャーに行ったのは失敗だったのではと、後々言われることもあった城島ですが、メジャーでも成績としてはそこそこのものを残しています。
ただしメジャーでは投球に関して、投手に主導権があるし、球数制限もあるためにとにかくストライクを先行させるので、ボール球を有効に使う日本的な配球術はなじまないようです。
ストライクゾーンで勝負するために、メジャーでは微妙に動くボールが主流となり、その流れは日本にも入り、カットボールやツーシームを使う投手も増えてきました。
それでも、もし城島が田中将大やダルビッシュ有など日本の一流投手を、メジャーでリードしていたらどうだったのか、と興味がわくところです。
「失投しても打たれないようにするのがリードなんです」
「打たれた球を生かさないと次につながっていかない」
そうした意図が理解されていれば、メジャーでも城島だから育てられた投手もいたのではないでしょうか。
「捕手は面白いですよ。選手の中で1人だけ反対方向を向いているでしょ。やっぱり特別だという優越感がありますね」
生涯一捕手と言ったのは野村克也ですが、晩年の城島はケガにより打力を生かすために一塁を守ることもありましたが、やはり捕手としてのこだわりから選手生活を終えました。
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【名言語録その3】
「野球が好きで、捕手が好きで、捕手が出来ないとわかってプレーすると野球が嫌いになってしまいそうだから」
城島は捕手としてプレーができないことから、引退を決めました。タイガースは引退試合を考えていたようですが、「4億円もらいながら阪神の優勝に貢献できなかった男には、晴れの場はいらない」とウエスタンリーグで1回だけマスクをかぶり、ユニフォームを脱ぎました。
工藤公康は城島について「勝負師ですね。アイツが集中力を持って打席に立てば、かなりの確率で打たれると思います」と言っています。打者としての才能が伝わってきます。
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若菜嘉晴は「王さんは常々、城島のことを『ミスターに似てる』と言っていた。華があって、やんちゃという部分ですよね」と話しています。城島は監督だった王貞治とも平気で口論し、何も言えない若手の代弁者になっていたそうです。
そしてイチローは「釣りが1番、野球が2番。それであそこまでの選手というのは、やっぱ天才だろうね」と語っています。
引退後は釣り三昧のようですが、できれば野球界でも指導者として、大魚を釣り上げて欲しいものです。
まとめ
・成長のためには環境と、本人の貪欲さが必要である。
・異文化の壁は、ルールの壁だけではない。
・好きなうちにやめるのもひとつの美学である。
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