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松中信彦の凄さが分かる名言・語録集!天才三冠王の伝説エピソードから人生哲学まで


プロ野球の打者にとって最高の勲章は間違いなく「三冠王」です。1シーズンに首位打者、本塁打王、打点王の三大タイトルを独占するということは、もっとも高確率で安打を放ち、もっとも長打力を見せ、もっとも勝負強かったという、まさに最強打者の証明です。

日本では過去7人、11度しか記録されていません。そのうち平成30年間でこの三冠王に輝いたのはだだひとり。それが松中信彦です。

その三冠王を取るのがいかに難しいことか、史上最多3度の三冠王を獲得した落合博満は「実力もそうだけど運も必要」だと語っています。事実、平成30年間で二冠王が出たのは両リーグともに16度ずつ、計32度もありますが、打者のあらゆる要素を含む三冠王となると、松中ただひとりと急にハードルが上がります。

また松中は日本プロ野球史上でただひとり、3シーズン連続120打点以上を記録。アトランタ五輪では銀メダル、WBC日本代表では世界一に、いずれも4番打者として貢献しました。

今回は平成唯一の三冠王、松中信彦の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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松中信彦について

まずは松中信彦の経歴を追ってみます。

1973年12月26日生まれ、熊本県八代市出身。八代第一高校(現秀岳館高校)を卒業後、新日鉄君津に入社。1996年のアトランタ五輪で主砲として活躍し、銀メダルを獲得。その年のドラフトでは逆指名制度により、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に2位で入団

1999年にレギュラー定着。ダイエーホークスの初日本一に貢献。翌年は3割、30本塁打、100打点を越え、MVPを獲得。チームの主力として、リーグ連覇を成し遂げます。2001年には小久保裕紀、井口資仁、城島健司と共に30本塁打をクリアし、プロ野球史上初の日本人選手による30本塁打カルテットを記録します。松中は平成時代のホークスの強さを形作った立役者のひとりだといえます。

2004年、平成史上ただひとりとなる三冠王を達成。2度目のMVPの他、打者部門のタイトルを総なめします。2006年にはWBC第1回大会に日本代表の主砲として参加。見事に優勝を果たし、日本野球の強さを世界に示しました。その後は感染症やケガなど苦しみますが、勝負強い打撃でチームを支え続けます。

しかし2013年から2015年の3年間は計6本の安打にとどまり、戦力外通告を受けます。現役にこだわった松中は自由契約となりますが、他チームとの契約に至らず、そのまま引退します。

戦力外通告のその後は?復活を遂げてプロやメジャーで再活躍した選手はいるの?

 

現役通算19年で、1767安打、352本塁打、1168打点、打率.296、MVP2回、首位打者2回、本塁打王2回、打点王3回、最多安打1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞1回など、素晴らしい記録を残しました。

引退後は解説者をしながら、野球指導者になるべく励んでいるそうです。

 

私が選ぶ、松中信彦の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「言ったことに責任を持てる男でいたかったから、三冠王という結果が出せてよかった」

2004年(平成16年)に松中は、平成時代で唯一となる三冠王になります。この頃は本人いわく「打撃を極めたという感覚があった」そうです。2003年から2006年の間に、2年連続40本以上の本塁打、3年連続120打点以上、4年連続3割を越える打率を記録し、まさに松中の全盛期です。

2005年7月15日の西武ライオンズ戦で、松中は平成の怪物こと松坂大輔から1試合3本塁打を放ちます。その内容もそれぞれ「先制」「逆転」「サヨナラ」となる一発で、まさに「打撃を極めた」というのも大袈裟ではない感じがします。

三冠王の歴代達成者を一覧にまとめた!ちなみにメジャーは?【プロ野球】

 

「ホームランっていうのはボールが小さく見えるんですよ。打った瞬間、ポッと、ボールが小っちゃくなる」

打撃の神様といわれた川上哲治が「ボールが止まって見える」(本当は小鶴誠の逸話)と言った話や、ウォーレン・クロマティが「ボールがスイカに見える」と言ったという話もありますが、どちらも投手が投げたボールについての逸話ですが、松中のように自らが打ったボールについての話は珍しいように思います。

おそらくはその打球の速さから、あっという間に小さくなるように見えたのでしょう。

投手の投球よりも、自分の打球に目が行く。それはまさに三冠王になる者の視点であるような気がします

しかし「打撃を極めた」感覚も、そう話した途端に「天罰が下ったみたいにそれからケガばかり」するようになったそうで、好事魔多しというところでしょうか。

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【名言語録その2】

「4番を外してもらってもいい」

日本中が熱狂した2006年のWBC。アメリカ戦で受けた死球のために本調子ではなかった松中は、そう王貞治監督に行ったそうです。しかし王は「日本の4番はお前しかいない。できることを欲をかかずにやってくれればいい」と答えました。

それに応え、松中はあえて本塁打は狙わず、つなぐ野球に徹して、.433の高打率を残し、日本の優勝に貢献しました。

そこには2000年の日本シリーズでは6戦した1安打、2004年のプレーオフには19打数2安打というようにポストシーズンに弱いと言われていた松中が、同じように短期シリーズであるWBCで、何とか結果を出そうとする姿が感じられます。

2011年のクライマックスシリーズでは代打満塁ホームランを放ち、日本一につながる勢いを作り出せたのは、そうした経験が背後にあったように思います。

 

【名言語録その3】

「もしも違うチームで戦うのであれば、倒しにいきます」

2015年にホークスを退団する際、このスピーチが批判的に受け取られてしまいます。自由契約となり、他チームに行っても全力で頑張るという宣言に過ぎないと思うのですが、成績不振と共に周囲の見方も厳しいものになっていたようです。

松中によれば王貞治会長が「お前のやりたいようにやれ」と言ってくれたため「まだ頑張ります」と話したのですが、マスコミが戦力外報道をはじめてしまったそうです。案外繊細で「メディアから批判されたり、球場でヤジられたりすると気になるタイプ」だという松中。

 

「不器用っていうか、一度こう決めたら周りがいろいろアドバイスしてくれても耳に入らない」

そんな不器用さが仇になり、多くの誤解を生んでしまったのかもしれません。しかし三冠王を取った打撃理論は、是非とも野球界に還元されるべきものだろうと思います。松中自信もその自覚を持っているのか、先々は指導者として頑張りたいとの希望があるようです。

「今はどこも管理や規則が多くなって、少し息苦しい雰囲気になっています」と言い、「野球には球場を沸かせる選手やプレーが必要じゃないですか」と語っていますが、それを実現できる選手を育てて欲しいと思います。

果たして令和時代に三冠王は生まれるのでしょうか?

今のところ最右翼は松中の後輩となるホークスの柳田悠岐でしょうか?まだ見ぬ誰かなのでしょうか?
いずれにせよ楽しみです。

 

名言からの学び

・極めた者にはその人ならではの視点というものがある。

・結果を出すには才能だけでなく、経験も必要。

・卓越した技能は次世代に受け継がれるべきである。

 

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