野村克也監督の血液型は?成績の凄さや采配の評価もチェック!
現代の野球では対戦相手の対策をデータから分析して見るようなことは当たり前になっています。ですが、一昔前まではデータというものはあまり重要視されておらず、それぞれの選手の技量を伸ばして、後は感覚的なところで勝負するケースが多かったと思います。
そのような近代的な野球を当たり前にしたのが、かつてID野球と呼ばれた野村克也さんです。日本プロ野球に考える野球、データ野球を植え付けた野村克也さんは選手時代は捕手でありながらも打撃面でも素晴らしい成績を残しています。
今回はそんな野村克也さんの血液型や成績、采配面について調べてみました。日本プロ野球に新しい風を吹き込んだ野村克也さんのことを知ることで、より野球観戦が楽しくなると思いますよ。
野村克也監督のプロフィール
ここでは野村克也さんのプロフィールを紹介します。
生年月日:1935年6月29日
ポジション:捕手
出身学校:京都府立峯山高等学校
出身チーム:南海(1954年~1977年)・ロッテ(1978年)・西武(1979年~1980年)
監督経歴:南海(1968年~1977年)・ヤクルト(1990年~1998年)・阪神(1999年~2001年)・楽天(2006年~2009年)
血液型:B型
野村克也さんは現役生活27年間と長い間プロ野球の選手として活躍しました。南海時代の1968年から1977年はプレイングマネージャーとして監督をしながら試合にも出場していました。捕手でありながら打撃面でも素晴らしい成績を残し、多くの記録も残しています。また専業の監督としてもそれぞれで多くの功績を残してきました。
野村克也さんの血液型はB型ですが、プロ野球の天才的な選手と言われてきた人はB型が多いような印象を受けます。血液型は後付けなところもあるかも知れませんが、さすが捕手出身でID野球をうえつけた野村克也さんといったところだと思います。
ちなみに、プロ野球選手の血液型については以下でもまとめていますので合わせて確認してみて下さいね。
↓
成績や獲得タイトルをチェック!
ここでは野村克也さんの成績や獲得タイトルを確認していきましょう。
成績推移
ここでは野村克也さんの現役時代の成績をご紹介します。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 所属チーム |
1954年 | 9 | .0 | 0 | 0 | 南海 |
1955年 | 0 | .0 | 0 | 0 | 南海 |
1956年 | 129 | .252 | 7 | 54 | 南海 |
1957年 | 132 | .302 | 30 | 94 | 南海 |
1958年 | 120 | .253 | 21 | 79 | 南海 |
1959年 | 132 | .263 | 21 | 78 | 南海 |
1960年 | 124 | .291 | 29 | 88 | 南海 |
1961年 | 136 | .296 | 29 | 89 | 南海 |
1962年 | 133 | .309 | 44 | 104 | 南海 |
1963年 | 150 | .291 | 52 | 135 | 南海 |
1964年 | 148 | .262 | 41 | 115 | 南海 |
1965年 | 136 | .320 | 42 | 110 | 南海 |
1966年 | 133 | .312 | 34 | 97 | 南海 |
1967年 | 133 | .305 | 35 | 100 | 南海 |
1968年 | 133 | .260 | 38 | 99 | 南海 |
1969年 | 106 | .245 | 22 | 52 | 南海 |
1970年 | 130 | .295 | 42 | 114 | 南海 |
1971年 | 127 | .281 | 29 | 83 | 南海 |
1972年 | 129 | .292 | 35 | 101 | 南海 |
1973年 | 129 | .309 | 28 | 96 | 南海 |
1974年 | 83 | .211 | 12 | 45 | 南海 |
1975年 | 129 | .266 | 28 | 92 | 南海 |
1976年 | 119 | .273 | 10 | 57 | 南海 |
1977年 | 127 | .213 | 16 | 58 | 南海 |
1978年 | 64 | .226 | 3 | 12 | ロッテ |
1979年 | 74 | .222 | 5 | 22 | 西武 |
1980年 | 52 | .217 | 4 | 14 | 西武 |
通算 | 3017 | .277 | 657 | 1988 | - |
現役生活27年と長い間プロ野球界で活躍しました。しかも、南海時代の1968年から1977年までは監督も務めていました。その間も中心選手として活躍した数字を残せているのは本当に素晴らしいものがあります。
最近では野村克也さんの教え子でID野球の申し子古田敦也さんや、谷繁元信さんなどは同じようにプレイングマネージャーとして監督と選手の両立に挑戦しましたが、野村克也さんのように試合に出続けるということはありませんでした。野村勝也さんの凄さが感じられますよね!!
獲得タイトル
ここでは野村克也さんの獲得タイトルをご紹介します。
MVP:5回(1961年・1963年・1965年・1966年・1973年)
三冠王:1回(1965年)
首位打者:1回(1965年)
本塁打王:9回(1957年・1961年~1968年)※9回獲得、8年連続はいずれもパ・リーグ記録
打点王:7回(1962年~1967年・1972年)
ベストナイン:19回(1956年~1968年・1970年~1973年・1975年・1976年)※通算19回受賞は史上最多
このように獲得タイトルだけ見ても、凄さが伝わってきますよね。
戦後、捕手として世界初の三冠王、捕手でありながら8年連続の本塁打王、そして打点王も7回と素晴らしいの一言です。本当にすごい野球選手というのが一目で分かりますよね。
野村克也監督の采配に対する評価は?
野村克也さんは考える野球を定着させました。
特に選任監督になったヤクルト時代では、学校の授業のようにホワイトボードに野球に対しての捉え方をびっしりと書き、選手たちが理解できないときはノートに書き留め、後で理解させるために詳しく読み返すなど、学校の授業の様なことを行なっていたこともあったようです。
プロまで上り詰めた選手たちに対して、野球への理解を徹底するためにの野村克也さんの考え方・理論を教えることに力を注いだんですね。そのことがヤクルトの常勝時期となった事実には相違ありません。
そして、選手のいいところを見抜くのが上手だったとも言われています。「野村再生工場」なんて言う言葉を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。
再生された選手は沢山いますが、例えばヤクルトの名外野手の飯田哲也選手。彼は元々古田選手と正捕手を争うキャッチャーだったんですね。しかし野村監督はセンターにコンバートさせます。すると何と7年連続ゴールデングラブ賞を受賞するまで成長し、史上最高の外野手と呼ばれるほどになりました。
このように選手のいいところを見抜いて、そして再生させるというのは野村監督の評価が高いポイントでしょう。
考える野球と適材適所の選手配置で、実にヤクルト時代は9年間で4度のリーグ優勝、そして3度の日本一に輝いています。
豆知識エピソード
野村克也さんは自身のことを、「野球をとってしまったら何も残らない」と言っています。「野村克也―野球=0」と言うことです。それだけ野球に対して情熱を燃やしてきていた人と言えます。
確かに野球界にID野球や教え子でもプロを代表する古田敦也さんを育てたことなど素晴らしい結果があります。本当に野球一筋の人なのだというのが分かりますよね。
そんな野村監督の人生哲学などがよく分かる名言についても以下でまとめていますので、興味のある方は是非合わせて確認してみて下さいね。
↓
野村克也監督の名言!苦労人の努力やリーダー論など人生哲学に迫る
まとめ
・野村克也さんは現役生活27年と長い間選手として活躍。そのうちの10年間の南海時代は監督も兼任していました。
・捕手でありながら三冠王の獲得や、本塁打王、打点王も複数回獲得。ベストナインにいたっては19回も獲得しています。
・野村克也さんはID野球(データ野球)の先駆者です。日本の野球を世界にまで通用するようにした功労者と言っても間違いありません!!
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