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井口資仁の引退後は監督就任もある?その後の活動が気になる!

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走攻守、三拍子そろった一流選手として日本プロ野球界のみならず米国メジャーリーグでも活躍し、スタープレーヤーの地位を確固たるものとした井口資仁選手。

先日行われた今季限りでの現役引退会見は多くの野球ファンに衝撃を与えましたが、ラストイヤーを華やかに飾るべく、引き続き変わらぬ姿でグラウンドに立ち続けています。長いキャリアの終焉が刻一刻と近づいていることには寂しさを禁じえませんが、第一線を退いてからの動向もまた気になるところ。

今回はそんな井口選手のプロフィールを紹介し、これまでの足取りを振り返るとともに、気になる監督就任の可能性などを考えてみたいと思います。

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井口資仁選手のプロフィール

では早速、井口選手のプロフィールを確認します。

生年月日: 1974年12月4日
出身:東京都田無市(現・西東京市)
身長:178cm
体重:91kg
投球/打席:右投右打
出身高校:国学院大学久我山高校
出身大学:青山大学
NPB:福岡ダイエーホークス(1997年~2004年)
    千葉ロッテマリーンズ(2009年~)
MLB:シカゴ・ホワイトソックス(2005年~2007年)
    フィラデルフィア・フィリーズ(2007年)
    サンディエゴ・パドレス(2008年)
    フィラデルフィア・フィリーズ(2008年)

身長178cmは、近年のプロ野球界の日本人選手の中では長身の部類には入らないかもしれません。ごく平均的な数値と思われます。しかし、それとは対照的に目を引くのが体重の91kg。全体的にガッチリとしたシルエットは、若い頃のスピード重視の体型からパワーアップを図り、中距離砲以上への進化を体現していると言えるでしょう。

中学までは捕手

生まれは東京都田無市(現・西東京市)で、小学4年から地元の少年野球チームで野球を始めました。その翌年には少年野球のエリートと称されるリトルリーグの「保谷リトルクラブ」に移り、頭角を現し始めます。その後、中学までは捕手を務めていたそうですから、クレバーな野球頭脳の下地は青春時代に作られたと見ても良さそうです。

福岡ダイエーホークスにドラフト1位で入団

内野手に転向したのは国学院久我山高校に入学してから。甲子園で実績を収めるには至りませんでしたが、レギュラーのショートとして青山学院大学進学後も第一線で活躍を続け、東都大学通算24本塁打(現在も破られていないリーグ記録)などの実績を残して1996年、逆指名のドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団。スター選手としての歩みが始まりました。

その後の活躍は枚挙にいとまありませんが、今でも記憶に濃く残っているのがプロデビューの鮮烈さ。プロ初打席の安打、そして第3打席での初本塁打。これが、なんと満塁本塁打の離れ業で、熱いファンが多く詰めかける福岡ドームを最高にヒートアップさせました。技量の高さはもちろん、当時のスター候補生だからこそ成せる業だったのかもしれません。

怪我も地道なトレーニングで克服し、メジャーリーグにも挑戦

怪我がパフォーマンスに影響して下位打線に甘んじるシーズンもありましたが、足を上げる打法から、すり足に変え(その後また、足を上げる打法に戻す)、それと並行して地道なトレーニングの積み重ねなどで己の技量を高め、天性の勝負強さと共に存在感を着実に増していきました。

2005年からは4シーズン、米国メジャーリーグ3球団に所属。渡米1年目にワールドシリーズ優勝に貢献したことで、現地のファンを大いに熱狂させ、「タダヒト・イグチ」の名を全米に広めました。日本のファンにとっても実に誇らしい出来事でしたね。

 

引退後の監督就任の可能性は?

抜群の実力と実績はもちろん、その人柄も高く評価されている井口選手。華のあるキャラクターもあいまって、千葉ロッテマリーンズの球団幹部は次期監督として相応しいと考えていることでしょう。

関東の出身とはいえ、元々、縁もゆかりもなかったロッテに入団し、主力選手の1人としてチームの日本一にも貢献しましたし、井口新監督誕生を待ち望むロッテファンは多いと思います。

ただし来季から即、監督就任かというと、伊東勤監督の契約問題もありますし、現時点で確定とは言えなさそうです。現状、チームは最下位に低迷していますが、何が起こるか分からないのが近年のパ・リーグ。ここからの巻き返しで、伊東監督ヘの評価が変わる可能性もあります。

そうなると、古巣のホークスへ復帰という選択肢も生まれるかもしれません。工藤公康監督が今季で勇退ということはなさそうですが(一説では2019年までの契約)、福岡での井口選手の人気はいまだに根強いはずですし、近い将来の監督候補として、まずはコーチとして招聘されることは有り得るかもしれません。

 

監督就任以外の選択肢も探った

もし、いったんグラウンドレベルから離れるとしたら、間違いなく野球解説者として引っ張りだこでしょう。

爽やかなルックスと語り口、そして日米の野球を熟知している知名度の高い人材は、各メディアの争奪戦になりそうです。多くの野球ファンも、井口選手のプロフェッショナル解説を聞きたいと思っているのではないでしょうか?

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井口選手の豆知識エピソード

スポーツライターの吉井妙子氏が自著『天才は親が作る』で、井口選手を取り上げていましたが、それによると、井口選手のお父様は野球やバレーボールの会場に連れて行き、お母様はソフトボールをする姿を見せていたところ、資仁少年は教えられるわけではなく自然と、それぞれのスポーツの動きの真似をするようになったとか。

実際、3歳の頃から全身運動の水泳には取り組んでいたそうですし、それと共に様々なスポーツを目にして模倣することによって、運動能力が磨かれていったと言えそうです。

野茂英雄投手をパイオニアとする投手、イチロー選手や松井秀喜選手に代表される外野手と比べて成功しにくいとされるメジャーでの内野手。その中で井口選手が評価を上げるに至ったのは、日本にいるときからの用意周到な準備でした。ヒッティングポイントを出来るだけ近くし、ボールを呼び込んで打つバッティング。多少詰まったとしても打ち返せる体幹の強さ。また守備では、併殺を防ごうとする走者のデンジャラスなスライディングを避けるために、どの方向にも巧みに、俊敏に動けるトレーニングを重ねていたそうです。それらの準備を考えると、メジャー1年目からの活躍も必然のことだったのかもしれませんね。

ファンはもちろん、メディアにも“神対応”で知られる井口選手。よほどのことが無い限り、サインや握手、記念撮影、そして取材にも気持ちよく応じてくれるそうです。プロ野球選手は人気稼業。そういう意味でも、器の大きな井口選手はチームの指揮官としても相応しい人物ではないでしょうか。

引退試合のスケジュールは未発表ですが、球団は早くも『レジェンドを目撃せよ!』というポスター(7月の試合日程ポスター)を作成し、本拠地や千葉市内等に掲示することで、来るべき日に向けてファンの気持ちをさらに熱くしようと試みています。これもまさに、井口選手の実力と実績が一目置かれ、さらには一野球人としてリスペクトされる所以ですね。

 

まとめ

・井口選手は走攻守、三拍子そろった一流選手として日本プロ野球界のみならず米国メジャーリーグでも活躍したスタープレーヤー。

・抜群の実力と実績、人間性、そして華のあるキャラクターが特長。千葉ロッテはもちろん、古巣の福岡ソフトバンク復帰で、近い将来は監督の可能性も!?

・監督でなければ解説者の道も。爽やかなルックスと語り口、そして日米の野球を熟知している知名度の高い人材のため、各メディアの争奪戦は必至。

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