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岩瀬仁紀の凄さを年俸や成績・記録で振り返る!完全復活で引退はまだ早い!

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かつて、中日にあった黄金期の時代、その中心にいたひとりが、言うまでもなく岩瀬仁紀投手と言えるでしょう。

そして今なお、400セーブを達成、昨年、今年と900登板、950登板と記録を打ちたて、中日のセットアッパーや抑えの中心にいる岩瀬仁紀投手。

今回は多くのファンに愛される岩瀬仁紀投手の「凄さ」を年俸・成績推移や獲得タイトル等の記録で振り返りたいと思います。引退の話も出てくる年齢ではありますが、完全復活を遂げた岩瀬投手のエピソードもご紹介しますのでお楽しみに!

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岩瀬仁紀投手の年俸・成績推移や獲得タイトルについて

それでは早速、岩瀬仁紀選手の年棒や成績から見ていくことにしましょう。

年俸推移(1999年~2017年)

年度 年俸 球団 背番号
1999 1300万円 中日ドラゴンズ 13
2000 4200万円 中日ドラゴンズ 13
2001 8000万円 中日ドラゴンズ 13
2002 1億500万円 中日ドラゴンズ 13
2003 1億4000万円 中日ドラゴンズ 13
2004 2億円 中日ドラゴンズ 13
2005 2億3000万円 中日ドラゴンズ 13
2006 3億500万円 中日ドラゴンズ 13
2007 3億8000万円 中日ドラゴンズ 13
2008 4億3000万円 中日ドラゴンズ 13
2009 4億3000万円 中日ドラゴンズ 13
2010 4億3000万円 中日ドラゴンズ 13
2011 4億3000万円 中日ドラゴンズ 13
2012 4億5000万円 中日ドラゴンズ 13
2013 3億7000万円 中日ドラゴンズ 13
2014 3億7000万円 中日ドラゴンズ 13
2015 3億円 中日ドラゴンズ 13
2016 5000万円 中日ドラゴンズ 13
2017 5000万円 中日ドラゴンズ 13

成績推移(1999年~2017年)

年度 登板数 勝利数 敗北数 セーブ HP 防御率
1999 65 10 2 1  - 1.57
2000 58 10 5 1  - 1.9
2001 61 8 3 0  - 3.3
2002 52 4 2 0  - 1.06
2003 58 5 2 4  - 1.41
2004 60 2 3 22  - 2.8
2005 60 1 2 46 3 1.88
2006 56 2 2 40 7 1.3
2007 61 2 4 43 5 2.44
2008 51 3 3 36 8 2.94
2009 54 2 3 41 3 2.12
2010 54 1 3 42 4 2.25
2011 56 0 1 37 7 1.48
2012 54 1 3 33 7 2.29
2013 55 2 3 36 10 1.86
2014 34 1 2 20 5 3.52
2015 (登板なし)  -  -  -  -  -
2016 15 0 2 0 2 6.1
2017 50 3 6 2 29 4.79

岩瀬投手は、ルーキー時代から左の中継ぎとして活躍、99年の優勝に貢献して以来、着実に成績を伸ばしていきました。ルーキーだった99年は巨人で20勝を挙げた上原投手がいたためか、新人王は逃しています。

ですが、2001年以外は中継ぎとして防御率1点台という安定感で、それは年俸にも現れていますね。2002年当時で入団4年目にして億プレイヤーとなり、2004年から抑えに回ってからも大車輪の活躍。

特に2005年は60試合に登板しながら被弾がゼロという素晴らしい記録を残しています。

2006年には3億円、そして2007年の中日優勝への貢献によって、2008年の年俸は大台の4億3000万円。

更に近年最後の中日優勝年の2011年オフには、自己最高額の4億5000万円となっています。この4億5000万円という数字は、今でも中日における歴代年俸のナンバー1の数字です。

しかしその後、チームの低迷とともに中日の選手全体の年俸コストカットがあった影響もあり、3億までダウンしてしまいます。

そして岩瀬投手にとって転機になったのは全く一軍登板がなかった2015年オフ。この年、岩瀬投手は左肘の故障に悩み、投手陣の若返りも進んだチーム事情もあって、NPBで制定されている減額制限(億以上の場合は最大40%)を大きく上回る83%減の5000万円を提示されましたが一度でサイン。2016年シーズンに臨みましたが、成績は奮いませんでした。

ですが2017年はチームの台所事情もあり、主に左のセットアッパーとして起用され、同年6月には12年振りという月間MVPを獲得し復活

950登板も達成し、ますます元気な姿をファンを見せてくれています。
2017年の引退は、岩瀬投手も考えていないようで、この分なら来季の年俸は上がることは間違いなさそうですね。

そんな岩瀬投手の輝かしい受賞歴ですが、最優秀中継ぎ投手として3度最多セーブ王には5回輝いています。

前人未踏の400セーブを達成している岩瀬投手。まさに「抑えの神様」として長年活躍していることがよく分かります。

最多セーブ数の歴代記録ランキング!メジャー記録もチェック【プロ野球】

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岩瀬仁紀投手の選手プロフィール

続いて身長や体重、出身校など、岩瀬投手のプロフィールも確認しましょう。

生年月日:1974年11月10日
出身:愛知県西尾市
身長:181センチ
体重:85キロ
投球・打席:左投左打
出身校:愛知県立西尾東高校(~愛知大学~NTT東海)
血液型:AB型

高校時代はほぼ無名のピッチャーですが、地方大会でノーヒットノーランの記録も残しています。

その後愛知大学に進学後は当初外野手でした。大学時代はそのためか野手として注目されていた岩瀬投手ですが、NTT東日本入社後は投手として活躍。

当時のドラフト制度によって中日ドラゴンズを逆指名し、ドラフト2位で入団しています。

ちなみに血液型はAB型ですね。AB型は岩瀬投手の他に、同じ中日ですと山本昌投手、大リーグで活躍する岩隈投手や元巨人の桑田投手など素晴らしい大投手が名を連ねています。

興味のある方は以下も合わせてチェックしてみて下さいね。

プロ野球選手の血液型一覧表まとめ!一番多い比率は何型?

 

岩瀬仁紀投手の豆知識エピソード

岩瀬投手は黄金期の中日ドラゴンズの中の投手陣にあっても、抑えとして華々しく活躍はしていましたが、どちらかというと見た目が地味な印象が周りには強かったようです。

実際、当時活躍していた川上憲伸投手とタクシーに同乗すると、川上投手のマネージャーに間違われてしまったという逸話もあります。2016年の復活登板で満足な成績が残せず、やはり引退を考えていたという岩瀬投手。

踏みとどまらせたのは、その年に引退を表明した横浜の三浦大輔投手の存在が大きかったと言います。

まだやれるのでは、と思った岩瀬投手は、実は大の炭酸飲料好き。でも炭酸飲料って身体に悪いイメージですよね。岩瀬投手は大好きな炭酸飲料を断ち切って、オフからトレーニングを積み重ね、見事2017年は左の中継ぎとして重宝されるまでに復活。そして念願の950登板を飾りました。

その時のコメントは、「また951登板目から頑張ります」。岩瀬投手の謙虚さが伺えるとても暖かくなる言葉ですよね。年に逆らうことなく、チームを引っ張る存在です。そしてますますの活躍をファンは願っていることでしょう。

 

まとめ

・岩瀬投手の最高年俸は、今でも中日ドラゴンズの中での歴代最高年俸である。

・西尾東高校時代は無名だったが、愛知大学時代は野手として活躍していた。

・非常に地味で謙虚な投手。引退の考えを撤回したのは横浜・三浦投手の存在もあった。

 

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