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稲尾和久の凄さがわかる名言!球界レジェンドの人生哲学とは


「神様、仏様、稲尾様」プロ野球のオールドファンならば誰もが知っている言葉でしょう。
今風に言えば「稲尾、神ってる」という感じでしょうか?

鉄腕とも言われ、伸びあがるようなフォームから、抜群の制球力と切れのいい変化球を駆使して、通算276勝。防御率1.98。奪三振2574個。
数々の伝説を残し、特に年間42勝という記録は、日本球界のアンタッチャブルレコードとして今後も破られる事はないでしょう。

今回は神様仏様とも呼ばれた球界レジェンド、稲尾和久氏の人生哲学に名言と共に迫ってみましょう。

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稲尾和久氏について

まずは稲尾和久氏の経歴を追ってみます。

1937年6月10日生まれ、大分県別府市出身。大分県立別府緑丘高校を卒業後、西鉄ライオンズに入団。当時は無名の選手で、期待もされず、バッティング投手ばかりさせられましたが、その結果として抜群の制球力を身につけます。

1年目から大活躍し、21勝をあげ、防御率1.06で、新人王と最優秀防御率のタイトルを獲得。翌年には20連勝を含む35勝。リーグのMVPに最年少で選出。更に次の年も連続MVPに輝きます。

そして伝説の日本シリーズ。当時、第二期黄金期を迎えていた読売ジャイアンツを相手に3連敗と追い込まれた後、ライオンズは稲尾氏の4連投4勝で逆転日本一に。稲尾氏はその活躍ぶりから「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれました。

その後も鉄腕ぶりを発揮しましたが、当時は投手ローテーションや分業制などはなく、先発でも救援でも登板し、連投も普通だった中、ついに肩を故障。わずか14年で現役を終えます。最優秀防御率5回というのは球界最多記録です。

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引退後もコーチや監督を歴任。また解説者としても活躍しましたが、2007年惜しまれつつ、70歳で亡くなりました。

 

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「ひとりのピッチャーで42勝もしちゃいかんよ。それだけ西鉄というチームが弱かったってことだ」

これからも破るのは不可能な年間42勝。稲尾氏はそれを誇る事はなく、チーム事情の結果だと言います。
当時、金の卵と言われた若者たちが仕事のために都会へ集まったように、プロ野球もほとんどの球団が東京か大阪や名古屋という大都市に集中していました。例外はセリーグの広島カープと、パリーグの西鉄ライオンズ。しかし地方にある両球団は人気が無く、ドラフトが無い時代には弱小チームでした。

それでも西鉄ライオンズは「知将」「魔術師」と呼ばれた三原監督のもと、稲尾氏の他、中西太や豊田泰光、高倉照幸、大下弘らで黄金期を作りましたが、選手層は薄く、特に投手は手薄でした。

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だからと言って、誰でも勝てる訳ではありません。ましてや42勝など並みの投手には不可能です。チームが弱かったというのは稲尾氏の謙遜であり、この謙虚さと任された事への責任感があったからこそ、それだけ勝てたのです。

実直に仕事をこなす稲尾氏の照れが垣間見られる言葉です。

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「野球は教わるものじゃない盗むものだ」

当時はチームメイトであれ、ライバルだという雰囲気が強く、現在のように選手同士で技術を教え合うという風潮はありませんでした。ですからこれはと思う技術があれば、その選手の練習などを見て、盗み取るというのが当たり前でした。

稲尾氏も現役時代にはそうやって、多くのものを盗んだのでしょう。
しかし、いざ稲尾氏が指導者や解説者となり、後輩がアドバイスを求めに行くと、時間を忘れて熱心に指導をしていました。

自分たちの時代と同じやり方を意固地に押し付けるのではなく、柔軟に対応するところに、稲尾氏の優しさと謙虚さが感じられます。

何よりも好きな野球について極めようとする思いが、そうさせたのかもしれません。その職人のような精神も、稲尾氏らしさだろうと思います。

 

「あれだけ投げさせてくれたから今の自分があるんですよ。自分ではまったく酷使されたなんて思っていませんよ。感謝の気持ちはあっても恨むようなことは一切ない」

ローテーションも何もなく、来る日も来る日も投げ続けた結果、肩を痛めてしまった稲尾氏。後に「あんなに酷使されなければ、もっと長くやれたのでは」と聞かれ、そう答えたそうです。

感謝というのは稲尾氏の人生哲学において、大きなキーワードだろうと思います。かつて南海ホークスのエースだった杉浦忠は、稲尾氏と投げ合うと、毎回マウンドを降りるたびに、グラウンドがきれいにならされ、ロージンが決まった位置に置かれていた、と言っています。

それは投球の歩幅など、相手に情報を与えないという面もあったでしょうが、それよりもマウンドへの感謝と相手投手への心遣いだったのだろうと思います。そんな稲尾氏だからこそ、酷使だとは思わず、たくさん投げさせてもらえた事に感謝すると言えるのでしょう。

素直に野球が好きな少年のような気持ちと、優れた人格者としての両面がうかがえる名言です。

 

名言からの学び

・与えられた環境の中で、しっかりと実直に責任を全うすれば、結果は自ずとついてくる。そしてその結果に驕ってはいけない。

・他人の持っている良いものは、観察して自分のものにする。そして求められれば、惜しまず丁寧にそれを伝える。

・何か問題や、良くない事があっても、誰かのせいや環境のせいにするのではなく、自分を作り上げてくれた様々な出来事に対し、素直に感謝する。

 

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